川内村 ガイドツアー

 Nさん宅の並びの空き住宅の寝袋の中で目覚める。
 そこは、3月11日の直後、避難してきた人が何人か泊まり込んでいたらしい場所で、その時のまま時間が止まっていた。
 寝具や備蓄物資がそのままで、3月13日付けの地元紙「福島民友」が置いてある。
 その一面の大見出しは「原発建屋が爆発」。
 朝食は、ふんだんなコーヒー、パン、福島の桃、茨城の梨、ソーセージ、など。
 一段落したところで、Nさんに運転を任せて、村内を案内してもらう。
 まず諏訪神社。
 次は相模原6年前に村にリタイア移住して来たOさん夫妻のところ。
 段々畑何段分もの土地を自分の庭にして、野菜や花を育てている。
 今年は放射能のせいで野菜はやめて花をたくさん育てているという。
 庭には林も池もあり、ものすごい種類の動植物が棲息している。そして、自分の庭以外には一切の人工物が見えない自然の借景。
 説明してくださったご夫妻の顔がいちいちうれしそうだった。
 そして、立派なキャンプ場と遊歩道のある高塚高原。
 ここの放射線量はちょっと高くて0.7μSV/hほど。
 キャンプをするにはちょうどいい気候だけど、閉鎖されていて誰もいない。
 
 尾根に並ぶ風力発電の風車を見たかと思うと、沢沿いのワインディングロードを降りる。
 お昼は「天山」という手打ち蕎麦の店。
 小松屋という旅館がやっていて、そこは名誉村民である草野心平が投宿していたという。
 歯ごたえのいいお蕎麦でした。
 ほとんどが避難所のある郡山ビッグパレットに移動して「支所」になっていまった川内村役場の村長室の窓の外には、空間放射線のモニタリングポストがある。
 草野心平が村に寄付した蔵書を収めてある天山文庫。
 和尚さんが逃げてしまって一部が崩れたままのお寺。
 その霊廟の上は、遺族がいつでも位牌を拝めるように無施錠になっている。
 そこに巡回してきた警察が「施錠に不完全な部分があり防犯上望ましくありません」と紙が挟んである。(鍵がかかっていないとわかってしまうではないか)
 その扉を開けると、位牌や燭台が床に散乱したままになっていた。
「かわうちの湯」のとなりにある観光協会の「あれこれ市場」は、農産物直売所のはずだったのに、買う人も売る人もいない今は、がらんとした休憩所になっている。
 少しでも人が集まれるようにということだろう、御菓子と飲み物のセットが100円で、さらにはきゅうりの漬け物がつく。
 強制避難区域から避難してきている割烹料理屋の大将がいて、ここには書けない話をしてくれた。
 駐車場に何台も観光バスが止まっているが人はいない。
 近づいてみると、運転席も客席もビニールで被われている。一時帰宅のためのバスだ。
 汚染地域に入るバスだからこの場所から外へは出ないようにしているのかもしれない。
 タイヤの放射線量を計ってみたが、0.4μSV/h程度で、取り立てて高くはなかった。(除染後だから低いのかもしれないが)
 やがてNさんが道なき道へ分け入ると、ほどなく視界の開けた平原に出た。
 緑の山々が連なっている中に見えるのは、原発からの電力を送り出す送電線。電波時計で使っている電波の送信アンテナ。そしていまは皮肉に見える風力発電の風車。
 Nさんのガイドと運転なしでは知ることのできない川内村ガイドツアーはそこで終わり。
 午後3時過ぎ、お宅まで戻って、そこで暇乞いをして、横浜への帰路についた。「早く帰るよりも楽に帰ろう」を合い言葉に、家に着いたのは午後10時をまわっていた。
(写真はまた別途)