Diary

中川陽介監督作品3本

 沖縄取材の代わり、という感じで、沖縄の映画ばかり作っている中川陽介監督の作品を3つ続けてみた。
「青い魚」(1998)
「Departure」(2000)
「Fire!」(2002)
 カメラを固定して長回しをする。タイプとしてはあまり好みじゃない鈴木清順みたいな映画。でも、鈴木清順が「画をつくっている」とすると、中川陽介は「目が貼りついている」感じがする。空気の中で見つけたフレームを「ほら、こんなのを見つけたよ」と切り取って見せようとしている。
 テンポも悪い。ひたすら淡々としている。 映画学校の卒業製作みたいな映画とでもいえばいいか。
 実際、井坂聡監督といっしょに見た日本映画学校の卒業製作作品にも、同じ雰囲気をもつものが結構あった。
 つまんない映画との共通点がこんなにたくさんあるのに、なんだか魅力的な映画たち。
 なんなんだろう、と思ったら、「切ない気持ち」をもつ自分を渇望するための映画のような気がしてきた。
 Fire! は渋谷で見ようと思っていたら先週で終わってしまって悔やんでいたところ、Gyao! で放映が始まったので、昨夜、すかさず見た。
 僕の好きなコザが舞台。
 知っている風景がたくさんあって懐かしかった。
 生まれても育っても住んでもいない町で、瞬間、その景色を見て懐かしいと思うのは、シリコンバレーと沖縄コザ。
 きっとシリコンバレーが第二の故郷で、コザが第三の故郷なんだと思う。
 そして、東京生まれで転勤族の家に育った僕には第一の故郷はない。

長編小説 受注

 横浜駅近く、オバサマ系エレガンスを備えたティールームにて、出版社編集長と会う。
『覇権の標的』はどのように面白かったか(笑)という編集者の観点からのヨイショからスタート。
 頃合いを見て、昨日つくった作品リストを見せながら、こちらからああでもない、こうでもない。
 で、プロットができていて売り先が決まっていなかった2本のうち1本、お買い上げ決定!
 まあ、本文はこれから書くので、どうなるかわかりませんが、順調にいけば11月には刊行できるのではないでしょうか。
『覇権の標的』を読んで、気に入ってくれて、プロットのさわりだけ読んで、「これで企画書は通しておきますので執筆にかかってください」ということで。
 できていないこれから書く小説を、阿川を見込んで注文していただいたわけで、初めてプロの小説家になった気がしましたよ。
(分量にして原稿用紙85枚のあらすじはできているけど、見せたのはその最初の25枚分)
 いままでは、誰にも頼まれもしない小説ばかり空振り覚悟で書いて、持ち込みなり、公募文学賞に応募したりしていたわけで、結果としてそれが本になっても、いまひとつプロだという実感はなかったのです。
 注文を受けて初めてプロだという、そういう感じ。
 とりあえず、年内2冊が目標なので、最低でももう1冊受注を決めなくては。

会心のスルーパス

 僕は、足遅いし、視野狭いし、サッカーが下手なんだけど、ときどき自分でビックリするようなプレーをすることがある。
 今日のフットサル。
 左サイドでボールをもらい、ふだんなら左奥へ入っていくところ、ゆっくり、中央へ横方向にドリブル。
 それを見た相手ディフェンスが3人、引きつけられて上がってくるのがわかった。
 そのとき、僕の視野が中央から右サイドに向いていたので、右サイドいちばん外からダッシュで上がってくる味方のプレイヤーが見えた。
 そこで、ややマイナス方向右へ加速をつけて、一歩踏みだすと、それを見て相手がよせてくる。その瞬間、ファーポストにオープンスペースができた。
 そこへ向けて角度をつけインサイドキックでパス。
 駆け込んだ味方にぴったり合って、ゴール!
 自分でも信じられないほど視野が確保されていた。
 自分でデフェンスを引き寄せてそれによってオープンスペースをつくってそこへパスを出すという理想的なプレーではないか!(と自画自賛)
 オーバラップして上がってくる仲間を見た瞬間、ゴールネットが揺れるまでが完全にイメージできて、その通りに動くことができた。 剣の達人が、相手が斬りかかってくる前に太刀の先の通る筋が見えるというけれど、まさにそういう感じ。(え? 言い過ぎ?)
 理由はわからないけど、その瞬間は会心の動き。
 不思議。
 ただ、結果として、こう動けばオープンスペースをつくることができる、と会得した感はあります。
(もういちどできるかどうかは、まったく別なんだけど)
 フットサルを始めたのは2002年、ワールドカップのボランティアがきっかけだ。
 その前、最後にサッカーをしたのは、中学の頃(クラブではなく、早朝と昼休みと放課後、クラスの連中と遊んでいた)だから、1969年。実に33年ぶりに、なんと生まれて初めてサッカーチームに入り、しかも生まれて初めて背中に自分の背番号のついたチームユニフォームを持つことができた。
 そのチームでの球蹴りが、4年続いて、今日で100回目。
 僕自身は、そのうち半分も出席していないと思うけれど、なにしろこの年齢になってサッカーをすることができるなんて思ってもいなかった。オッサンと遊んでくれる仲間たちにはほんとうに感謝している。
 100回記念の飲み会もあったけれど、執筆の調子が出てきていて、テンションを抜くのがもったいないので、残念だけど参加せずにまっすぐ帰宅。

推理作家協会総会

 昼間、執筆の調子が出てきたので、本当は外出したくなかったけど、駆けだし作家としては営業も大事なのでムリをして外出。
 飯田橋ホテル・メトロポリタン・エドモントにて日本推理作家協会総会、それから懇親会なのだ。
 午後4時30分。
 初めてなので総会にも出てみたけれど、ずいぶん狭い部屋に四角く机を並べてあり、ほとんどが理事の人たちなので居心地が悪い、(意外とシャイなんです。ほんとに)
 議長の東野圭吾さんが遅刻なので真保裕一さんが代行。説明が終わった頃に東野さんが登場。やっぱり黒っぽい服装。中央に大沢在昌さん。北方謙三さんはいつものように葉巻を吸う。逢坂剛さんは盛んに軽口を飛ばす。会計報告が宮部みゆきさん、楡周平さんは着物姿、他には北村薫さん、福井晴敏さん(たぶん)、柴田よしきさん、などなど、名前は有名でも必ずしも作家の顔まで有名とは限らないので、名前のわからない人も多数。
 議事進行は、和やかな雰囲気ながらポイントを外さず、といって無駄もなく、やはり頭のいい人たちの集まりなのだなあと思った。予算、決算、60周年記念行事のことなど、いろいろ。
 早々に終わったのであとはロビーでパソコンを出して執筆。
 午後6時、懇親会開始。
 藤田宜永さんは背が高いなあ。
 知り合いは前回よりも少ないが、知っている編集者を見つけては話して回る。
 実績ある編集者というのは、話しをしてみて全然ちがうんだなこれが。駄目な人は雑談しているだけだけ。どうせつきあうなら、しっかりとした人の方が楽しいし、たぶん、仕事もうまくいく。
 やはり「おねえさん」は来ているのだけれど、場所が飯田橋のせいか、かなり水準が落ちるなあ。(笑)
 あまり親しい人はいないが、こういうときこそソフトボール仲間がいて助かる。(フットサルで痛めた足首にテーピングしてまでソフトボールに行ってほんとうによかったよ) ボーリング大会や温泉卓球大会、フットサル大会、テニス大会などの話題。(ん? 推理作家協会は何の団体だったっけ?)
 ビンゴの司会は真保裕一さん、くじを引くのは楡周平さん、商品をわたすのは大沢在昌さん。
 ディズニーランドのペアチケット、ホテルエドモントのお食事券、ときたあとは、思わず当たらないでくれと願うほどの冗談賞品のオンパレード。
 最後、角川書店提供のワインになったところで、僕がビンゴ!
 3人いたのでじゃんけんになり、じゃんけんに弱い僕が勝ってしまった。ブルゴーニュの新進メーカーの赤ワインでした。ラッキー。
 商品提供の角川の名物編集者にお礼がてら話しをしに行く。
 複数の編集者と今後につながる話もいろいろできて、来た甲斐があった。
 午後7時半、ほぼ見つけた知り合いとは話しし終わったところで、会場を後にする。
 渋谷に向かうつもりで電車に乗る。午後9時15分開始の映画を観るだめだったが、いつもより知り合いが少ない分、酒を飲んでいたようで、映画の途中で眠ってしまいそうなので、予定を変更して、新宿へ。
 ゴールデン街のなじみの店を2軒回って、終電で帰宅。

「クライ・ベイビー」

 執筆中の青春小説の資料として映画「クライベイビー」を観る。
 ジョニー・デッブの初期の作品、という説明があるんだけど、あまり映画を観ない僕はジョニー・デップって誰?その人ユーメー?という感じ。(すみません)
 それよりも中にちょい役ででてきたパトリシア・ハーストの方が僕にとっては有名人。
 映画は、「ウエストサイドストーリー」(=ロミオとジュリエット)と「グリース」「アメリカングラフィティ」をいっしょにしたような感じで、ストーリー的にはマンガチックなコメディタッチのミュージカル。
 映画なんだからこのくらいお馬鹿でもいいんじゃないっていう意味で、いい映画だと思う。
 勉強になったのは square という単語。
 高級住宅街という意味なんだけど字幕では「山の手」と訳されていた。
 この映画の中では不良(非行少年)を意味する juvenile delinquent といういささか堅い言葉をみんながよく使う。
 まあ、皮肉なんだけど、そのなかで印象的なセリフは、主人公が祖母からオートバイをプレゼントされたときにいうセリフ。
“I am the happiest juvenile delinquent in Boltimore.”
 (おれは、ボルチモアでいちばん幸せな不良だぜ)
 映画の舞台になっているメリーランド州ボルチモアは、重工業地帯で人口の22.9%が貧困層であり、とくに18歳未満の30.6%が貧困層に属している。(ただし数字は2000年現在のものなので、映画の舞台になっている時代にはもう少し違う数値だろうと思うけれど)
 そこで、貧困層の不良と山の手との対立、というのがロミオとジュリエットに於けるモンタギュー家とキャピレット家みたいな対立するふたつのグループというのになり得るわけだ。
 そこで山の手のお嬢様が貧困層の不良男子に恋をする。
 しかし、見初める場所が公民館での予防接種(種痘かBCGだと思われる)というのがミソで、階層に別れた社会ではふたつの階層が接触する場所は実際にはあまりなく、物語的に出会いをつくらないとストーリーが成立しない。そこで「誰でもが行く場所」として「予防接種」を使っているわけだ。
 この予防接種のシーンはタイトルバックでセリフなしで提示されるけれど、そこでふたつの階層が互いに相手に対して感じている不快感というのをすべて表現し尽くしている。荒唐無稽なマンガ風な作りだけれど、このあたりをしっかりつくっているところが、ただ者ではない、という作品。

負けた選手は罵倒しよう

ブラジル代表が帰国して罵倒された。
http://www2.asahi.com/wcup2006/news/TKY200607040089.html
 これが、サッカーの代表の本来の姿なんだと思う。
 選手はプロなんだし、勝つためにやっているのだし。
 優勝チーム以外は負けて終わり、国に帰って罵倒される。
 サッカーワールドカップのあるべき姿はコレだろうと思う。
「よく頑張ったね」「感動をありがとう」なんて温かく迎えられてはいけないのだ。
 だいたいプロを相手に「よくがんばったね」なんて失礼だし、選手も負けて慰められたくないだろう。
 見ている人が自分の心の中でどう思ってもいいし、いろいろな思いもあるだろうし、その中で「ありがとう」と思うのはいい。けれど、選手に直接言葉をかけるとしたら、「ばかやろう」であるべきだと思う。
 高校野球とワールドカップは本質的に違うのに、そのあたり、スポーツだというだけでいっしょくたにする人が結構いる。 また相手に対する配慮を欠いて言葉を選ばない人が多い。
 常々思うのだけれど、「よくがんばった」と自分を誉める人は一流にはなれないと思うのだ。
 だから、一流になって欲しい人に対しては、「ばかやろう」というべきだ。たとえ心の中は「ありがとう」や「ごくろうさん」であったとしても。

推理作家協会賞贈呈式とパーティ

 新橋の第一ホテル東京にて、日本推理作家協会賞贈呈式とパーティ。
 早めに出て出先で原稿を書くつもりが、いつもとちがう格好をしようと思うと、ワイシャツがどうの、ベルトはどこにしまったっけ、と結局ぎりぎりになったので、珍しくノートパソコンを持たずに手ぶらで家を出る。
 本日、お出かけの iPod は、スガシカオと宇多田ヒカル。
 入口ですがやみつるさんと合流。
 パーティでは次々にいろいろな人を紹介してもらう。駆けだし作家にとって、パーティは営業の場なので、料理を食べているヒマはない。が、すがやさんまで料理が食べられないのは申し訳ないけど、ここはすっかりお世話になることにする。
 オンラインでは十数年の知り合いでもある鈴木輝一郎さんにも初めて会う。修業時代にいろいろ教えてもらった人でもある。
「名刺たくさんもってます? 作品のストックありますね」
「もちろん!」
 というわけで、輝一郎さんにつれられて、まずは、理事長の大沢在昌さんに挨拶。
 田中光二さんと話しをしているとすぐ横にいる北方謙三さんの葉巻が匂ってくる。
 ソフトボールでいっしょだった人たちともあらためて名刺交換。
 宮部みゆきさんを遠くで見たり、あれ? やたら女性に囲まれているのは東野圭吾さん? などと、ミーハーしたり。
 というわけで、料理は一皿、お酒も4杯ぐらいは飲みましたが、編集者、作家、合わせて二十五人ほど名刺交換しました。
 ところで、こういう文壇系パーティには必ず銀座のきれいなおねえさんたちがたくさんいて、立ち話しているところへ、カウンターからお酒を持ってきてくれたりする。
 それはもうかなりきれい。もちろん彼女たちはそれぞれに営業に来ているわけだ。協会の重鎮がたくさんお金を使っている証でもある(笑)。
 彼女たちは別の意味で人を選別する能力に長けている。いわゆる職業的直感というやつ。観察していると実は瞬間瞬間に「客になるか」つまり「成功しているか」または「成功しそうか」を判定するための視線を配っている。そこで視線の動きを見ていると、彼女たちの視線の止まり方で、彼女たちの直感がなにを悟ったかがわかる。
 そんななか、本日の収穫としてかなりうれしかったのは、僕への視線が「成功しそう」判定の視線だったということ。
 彼女たちの人を見る目=直感が正しかったことを、僕も結果で示したいものだ。(笑) だからって、特別そういうお店に行きたいってわけじゃないけれどね。
 終了後は、すがやみつるさんと、新宿ゴールデン街へ。
 でも、よゐこは電車のあるうちに帰りましたとさ。

ニッポンをたのむ

 つらい。
 ひどい試合だった。
 でも、これが俺たちの実力なんだ。
 はずかしいほど、力の差があった。
 わずかなチャンスはあったけれど、ブラジルにはそれにつけいらせない強さがあり、日本は前半の残り時間を守りきるサッカーに切り替える多様性も技術ももっていなかった。
 だからあの1点で、すべてが終わってしまった。
 徹底的に力が違った。
 日本が優れているところはただの1点も見いだせない完全な敗北だと思う。
 
 くやしい。
 僕が小学生だったら、サッカー選手になって自分の力で日本を勝たせたいと思うけど、もう間に合わないから、だれかきっと、強い日本の担い手になってくれ。
「うちに男の子がいたらねえ」
 カミさんが言った。
 結婚して23年、子供が欲しいという会話をはじめてしたよ。いままで、子供のいる人をこれほどまでにうらやましいと思ったことなかったんだけどね。
 だれか、ニッポンをたのむ。
 SAMURAI BLUE PARK を手伝っているとき、巧い子が何人かいた。
 ずっとずっとボールを蹴ってる。まだやめないのってくらい蹴ってる。そんな子がた。
 たのむぞ、ほんとだぞ、いま改めてそう叫びたいよ。

高原直泰君へ そして日本へ

 2002年6月21日、僕は君を見た。
 君は、静岡スタジアムエコパの観客席で、イングランド対ブラジルの準々決勝を見ていた。ほんとうはピッチに立っていたかっただろうに。
 あれから4年が経ち、あのとき客席から見たブラジルと、まもなく君は戦う。
 あのときに見ただろう。あのロナウドやカフーと同じグランドに立つのだ。
 奮い立て、高原直泰。八年分の思いをこめろ。
 奮い立て、日本。

アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶

 フランス系女友達に誘われてアンリ・カルティエ=ブレッソンのドキュメンタリ映画を観る。
 場所は、渋谷スペイン坂の rise X 。38席しかないミニシアターだ。
 淡々とブレッソン自身が写真を見せながら語っていく。
 ブレッソンを知りたい人にとってこの加工されない感じの映像は悪くないと思う。とにかく作りすぎていない。作り手というのは往々にして作りすぎるものなので、この視点は評価できる。
 一方で、ブレッソンや、周囲の人が語っている内容そのものは、本当にブレッソンの写真の本質に迫っているかどうか、個人的には首を傾げた。というのも、僕も(手すさびだけど)写真を撮るし、いろいろな創作にたずさわってきたけれど、そうした創作者の視点からは、この映画で語られている内容が当たり前すぎて、驚きがなかったからだ。
 もっとブレッソンを怒らせたり困らせたりして、そこからもっと奥深くのものを引っ張り出す、というやり方があってもよかったと思う。でないと、どこか「巨匠ブレッソンにお伺いを立て」ている映画のようでもある。カメラも監督もブレッソンという被写体と戦わなかった映画だ。
 ただ、冒頭に述べたように、あまりいじらずにカルティエ=ブレッソンが語るに任せる、という手法は、実は受け手としては意味があることなので、被写体と戦わなかったことが、必ずしも悪いことだとはいえない。プレーンな情報源であることもドキュメンタリー映画の役割なのだから。
 フランス語の映画は久しぶりに観たなあ。イタリア語も英語も混じっていたけれど。
 大学で5年間フランス語を勉強した(はずな)ので、少しはわかるけど少ししかわからない。ちょこっとラジオ講座を聴いただけのイタリア語とあまり変わらないのが情けない。(笑)