DAY15:9月13日
手術からちょうど2週間。
昨夜は、安倍晋三辞任の影響で(笑)7時のNHKニュースから特別編成の報道ステーションまでテレビを見たので、就寝が遅かった。
本日の目覚めは午前5時半。6時を回ったところでカプチーノタイム。本日もダバダ~。
7時前にはダージリンタイム(笑)。室温23.4度。
7時15分、採血。
9時過ぎ、抜糸!
もうじき退院だと思うと、忽然といろいろ食べたいものが頭に浮かぶ。
食べたいものとは、カレーとか牛丼とか焼き鳥とか。
それぞれ味でいうと病院食の方が上かもしれない。決して豪華なフレンチだったりはしない。こういうのは現在の食事に対する満足度とは別のものみたいだ。
病院食で生活するぞプロジェクトは、「あてがい扶持で選択できない食事」という意味で刑務所生活のシミュレーションでもあった。
しかし、カレーとか牛丼とか焼き鳥なんていうのは、海外旅行しているときに恋しくなるのと同じ。病院生活は海外旅行と共通点があるというのは面白い発見だ。(面白いけど、あまり役に立つ発見じゃないな)
午後1時、最後のリハビリ。
これで、病院内のめぼしいイベントは終了。あとは食べて寝て起きて退院である。
昨日、たぶん救急で入ってきた患者の関係者のインド人がデイルームにずっといて、ほとんどの時間、携帯で電話をしている。
「その会社に51%まで資本を入れることはできるが、**を取締役会のメンバーに入れるのはダメだ」
なんて英語で生臭い話をしている。さすがにインド人。
インド人はターバン巻いてカレーを食べているというイメージ(笑)ではなく、昨今はネクタイをした切れ者のビジネスマン、というのが「インド人らしい」イメージ。
ビジネスの世界で日本はほんとうにいろいろな国に後れを取っている。それなのに、全然、危機感がないのはどうしてなんだろう。まあ、いまのところ、そこそこ幸せだからそれでいいってことなんだろうな。
ナースやクラークが退院の書類だの会計の書類だのを入れ替わり立ち替わりもってきたりするので、否が応でも僕の周りは退院ムード一色になり、同室の人たちは「いいなあ」を連発する。
僕の場合、まったくの予定通りに経過が推移したので、精神的なストレスはほとんどなかった。けれど、似たような病気でありながら、最終的な原因を突き止める事ができずに検査を繰り返して手術の日程が決まらなかったり、糖尿病の持病が発覚して手術が延期になっている人もいる。そういう人はいわば「長い待ち時間」を病室で過ごすので、僕ほど楽しい入院生活を送ることができないわけだ。
自主トレの恩人・スノボガールSちゃんと連絡先の交換。赤外線送信なんて久々に使ってみたので、機能を呼び出すのに時間がかかること。(笑)

最後の晩餐も美味しく戴く。
DAY14:9月12日
午前6時20分。今朝もカプチーノでダバダ~。
室温23.6度。涼しいせいもあって左膝が少し痛い。実はこの膝が自分の肉体の最大の弱点であり、抱えている爆弾だと思っていたんだけど、思いがけず腰椎が先に来ました。次に手術するのは変形性膝関節症かなあ。などと、朝からつねに前向きに(?)次の入院のことを考える阿川である。
昨夕、「よくなってくると看護婦さんにかまってもらえなくて寂しいなあ」なんて話をしていたものだから、今朝は「阿川さん(じゃなくて実際は本名)、おはよう」なんて、200%増しの笑顔でナースがやってくる。(笑)
お忙しいところ、気をつかっていただいて、まことにありがとうございます。
でも、実際、そんなことが楽しいわけで。単純にQOLが上がる。
ナースというのは職人であり技術者であり、セラピストであり、エンターテイナーだ。職業としてかなり高度な知的労働だよね。
国民経済の観点からは医療費削減が課題になっていて、診療報酬などもどうやっても医療機関が儲からないような仕組みにしてしまっているのだけれど、医師や看護婦の報酬も仕事の質と量に比較して少ないものになっている。そういう社会の矛盾のようなものをひとつひとつ改善していくことができないのは、どうしてなんだろう。
世間では絶対額だけを問題にして仕事の質や量に目を向けない「医師=高所得者」というやっかみによる言説もしばしば見られるし。
イヤフォンから流れてくる、Ciara Adams の “Wild Wood” がカッコイイ。
ピアノ、ウッドベース、ボーカル。こういう楽器が少なくてひとつひとつがビビッドな音を出す音楽が好き。少し高級なイヤフォンをつないでいる効果がここに効いてくる。
午後1時からリハビリ。
元演劇関係者の僕は「リハの予定は」といわれると「リハーサル(ゲネプロともいう)の予定」のことだと思うわけだけれど、ここではリハは「リハビリテーション」なのだ。
おなじく、「生食」というのは「お刺身用の魚」のことではなく「生理食塩水」のこと。「なましょく」(湯桶読み)じゃなくて「せいしょく」。
病室にもどると、安部晋三内閣総理大臣辞任の報。たまらず記者会見の生中継のためにテレビを点ける。それにしてもまったく内容のない記者会見。見る(聞く)人が納得できる具体的な答をする気持ちがとことんない人なのだなあ。小泉内閣がなぜ人気があったのか、この人はまったく分析しなかったのだろうか。
民主主義社会における政治でいちばん大切なのは「国民が納得すること」だというのがわからないのだろうか。国民は自分が納得できさえすれば貧しくても苦しくてもいいのだ。国民のためによかれとどんな素晴らしいことをやっても、それで国民が幸福を感じることができなければ意味がないのだけれど。
入院後17日にもなると、知り合いも増えるしそれぞれに親しくなってくるので、なかなか静かに読書をしたり執筆したりするのが難しくなってくる。今後、入院中に執筆をするようなときには、個室でもない限りこのあたりのことは計算に入れておかなくてはならない。(メモメモ)
実質、あと1日で退院となると、とても名残惜しい気持ちになる。
「またここで会おうね」とはいえない刹那の関係なのだ。
夕食は、追加料金240円(基本料金260円を加えて500円)の特別食。
退院前の最後のチャンスだったので、向学のために申し込んでみた。たしかに多少楽しい食事になっているけれど、260円のコストパフォーマンスがあまりにもいいので、この500円の価値は霞んでしまう感じがする。600円出せば大戸屋の定食を食べることができるし。
それにしても病院食が美味しくない、というのは都市伝説だったのか、あるいは過去のことなのか、でなければこの病院がとくべつ美味しいのか。生まれて初めての入院初心者の僕には、そのあたり、とんと見当がつかない深い深い謎である。
逆にいえば、食事は誰にでも興味がある共通のエンターテインメントだから、美味しい食事を全面に出すことができれば、病院のセールスポイントに十分なりうると思う。
病院というのはやむを得ず来るところではあるけれど、患者にとっていろいろな制限があるからこそ、滞在期間中はできるだけ楽しく快適に過ごしたいものだから。(個人的には辛い思いを取材する目的であったけれども)
DAY13:9月11日
同時多発テロの日。
この日を境に、アメリカの迷走がひどくなって、いまに至るわけだ。
アメリカ軍の戦死者はとっくにこの日の犠牲者の数を超えているし、イラク人にいたってはおびただしい人命が失われている。
このテロについて、当時、日本が情報(インテリジェンス)の中心になっていたらしい。世界で一番アフガニンスタン情報が早く入っていて、「なにがしかの大きなテロ」がアフガニスタンがらみで起きることについて、日本が世界に情報を提供していたという。
午前5時45分、オシッコがしたくて目が覚める。いわゆる「自然が呼んでいる」というやつ(笑)
午前6時15分、本日もネスカフェ・カプチーノを淹れる。ダバダ~。
外はどんより。涼しくていい。(午前中に太陽が出ていると何しろ暑くてつらくなる)
全体的に筋肉痛の朝。今日もどんどん鍛えましょう。
予定通りならば13日抜糸、14日朝退院。実質残りの入院期間は3日間だ。
そろそろ退院社会復帰モードに入ろうと思う。(といっても、朝型で食事時間が規則的である以外には執筆モードの在宅時とそれほどちがわないのだけど)
いまのところ入院中に予定していただけの仕事は進んでいない。時間がなかったわけではないので、自分の能力が低いってことだと思う。取材成果はたっぷりあったので、ようするに入力過剰。情報がたくさん入ってくる時期には執筆はあまり進まない。これはある程度やむを得ないのだけれども。
夏休みが終わりそうなのに宿題ができていないような気持ち。
7時のNHKニュース(FM)を聴き終わったところで、とりあえず朝食前の朝練。
「階段5往復で息が切れる」と嘆いたら「ふつう階段で5階まで一気に上がることもあまりないでしょう」と同室の人にいわれる。いわれてみればそれもそうだ。(公団住宅の基準では5階建てまではエレベータのない住宅がふつうではあるけれど)
午前中、階段5往復をもう一度。
デイルームで書き物をしているとI医師がきて、「椎間板遺伝子解析研究への協力について」についての話。ようするに慶応大学での研究のサンプルのひとつとして遺伝子を血液20mlの形でカルテ情報と共に協力してくれないかという話。
医学の研究に役立つことなら、もちろん協力は惜しまない。
聞いていた Bella の Whatever It Takes が今日はなんだかゴキゲンだ。
入院以来、ずっと考えている長編。
バラバラの要素は少しずつ増えているのだけれど、全体に一本の芯が通らないので、物語として固まらない。オーディオの音量を上げて集中力が出るように今日からやり方を変えてみているのだけど。
『D列車でいこう』、
「退院までに読み切れなさそうだから譲ってください。ついてはサインしてください」なんてSちゃんにいわれては、サインつきで献本させてもらうしかないだろう。
彼女が自主トレに誘ってくれなかったら、僕の回復はもっとずっとゆっくりだったにちがいない。僕は元アスリートの高い理想の薫陶を受けたのだから、彼女は僕の恩人だ。
隣はいろいろな検査に出かけたり血圧だの血糖値だのを頻繁に測っては点滴だの何だのといろいろ。こちらがナースにかまってもらうのは朝夕の検温と血圧測定くらいで、なんだか、弟が生まれて以来ママにかまってもらえなくなったお兄ちゃん状態でちょっと寂しい。なあんてことを隣の人のところにナースが来ているときに話をしたら、「みんな思うことは同じなんだね」と向かいの人。(笑)
社会復帰の一環として、NHKテレビのニュースを見始めてみる。
【什器】
ベッドサイドの収納ワゴン(「床頭台」というらしい)だが、機能はいいとして、開閉するときにかなり大きくていやな音が出る。病室で使用される什器として、設計があまりよくないと思う。(ようするに夜中寝静まった時刻にも相部屋で開閉されるということを考えて開閉音まで設計時に意識されていない)
うるさいこと自体も問題だけれど、うるさくしないように気兼ねして開閉するのがまたQOLを下げる。
DAY12:9月10日
午前5時40分起床。
インスタントのネスカフェ・カプチーノ、けっこういける。ダバダ~。
午前6時半現在、室温24.7度だけど、雲間から太陽が顔を出して、上昇基調。
午前中に自主トレ10周をこなして、午前11時にシャワー。
午後2時リハビリ。
淡々と過ぎる1日。
DAY11:9月9日
午前6時20分、室温26.3度、『プリズンホテル』(浅田次郎)読了。
破天荒な設定をグランドホテル形式で記述する。「泣かせの浅田」の片鱗もちゃんとある。(笑)
あとがきを読んで、デビュー前の阿川に直筆で年賀状をくださっていた理由に合点がいく。僕から浅田次郎さんにお返しするものはないが、代わりにだれかに返したいと思う。
就寝前の筋肉痛もほぼ解消している。
今日もリハビリと執筆、頑張ろう。
朝食後の体重コルセットを含んで63.95kg(入院時64.65kg)
午前中、階段昇降コース5往復。午後5往復。
日曜日とあって、会社員時代(もう10年以上前だ)の友人が3人で見舞いにやってくる。その後、我が家へ移動して飲んで帰ったはず。
夕食が済んだところで、空いたベッドに急患が入ってくる。救急車で緊急入院になった前立腺ガンの人。のんびりムードの我が病室もちょっと緊張モード。日曜の夜で病棟のナースも人手がない状態でてんてこ舞い。
「眠らなくちゃ」信仰について。
ところで、入院していると、「眠れない」といって夜中にナースコールをする人がけっこういる。ナースは自分で勝手にクスリを処方することはできないから、そういわれても困るわけだ。患者は食い下がり、医師に連絡をとってなんとかしてくれといったりする。もちろんそんなことで夜中に起こされたら医師もたまったものではないので、ナースはなんとか患者をなだめようとする。
「眠れなくてもいいじゃないか、明日、仕事をするわけでもなく、ベッドにいるだけだから、昼間だっていつでも好きなときに眠れるのだし」というふうに思わない患者がけっこういるというわけだ。
たしかになにか不安を抱えたまま長い夜を過ごすのは辛いけれど、眠れないということ自体が不安要素になっている。いい悪いではなく、それもまた患者の陥りがちな心理状態のひとつであるらしいということ。
まあ、僕みたいに「お、眠くない。あれもこれもできるぞ、ラッキー!」と思うのもあまり身体にいいとは思えないけどさ。
いずれにしても「眠れない夜を楽しく過ごすための生活設計」というのは楽しい入院生活の重要な要素であるようだ。
【身近な什器のことなど】
ベッドサイドテーブル 平成10年購入。
床頭台(という名称のベッドの横にある物入れ) 平成12年購入。
3モーター電動リモートベッド 平成12年購入。
DAY10:9月8日
午前6時少し前、起床。室温24.3度。
比較的途中目覚めることなく、8時間くらい眠ったように思う。
トイレで勢いよく小用を足す音が高原のせせらぎを想起させて気持ちがよい。思わずマイナスイオンを胸一杯に吸い込んでみたくなる(嘘)
ちなみに、マイナスイオンが身体にいい、という科学的データはまったくないそうだ。
かつては「オゾンたっぷりの森に囲まれて」なんて不動産の広告があったりしたものだ。オゾンは身体に有害な酸素ラジカル(プラスイオン)を発生させる。活性酸素には発ガン性がある。
ステンレスボトルの中でわずかに温度を保っている昨日のコーヒーを飲む。まあまあイケル。
ベッドから出られるようになると病院生活は意外に快適である。
買い物にも行かず調理もせず、どの店に入るか考えることもなく、時間になれば食事が出てくる。味だって30年前の東大駒場生協食堂や25年前のNEC相模原社員食堂よりもずっと美味しい。手間暇と費用(病院食は1食260円)のバランスを考えれば、ほとんど不満はない。
掃除も洗濯もしなくていい。
雑事から解放されて、読書や原稿書きができるのだから、むしろありがたい。
自由はないけど、執筆が佳境になっていれば、もともと家に引きこもっているわけで、それに比べれば家事労働がないだけ、病院の方が便利なわけだ。
ベッドから出ることのできなかった期間は確かにつらかった。
つまり、病院生活がつらいのではなく、病気やそれにともなう不安や苦痛がつらいわけだ。外科的な手術をして快方に向かい、苦痛が取り除かれ退院後の生活が入院前よりも改善されるという明らかな希望がある上に、生活の面倒は病院が見てくれるわけだから、いまの生活がつらいはずがない。
パソコンの充電ができないために、充電済みのパソコンをデリバリーしてもらわなくてはならないので、妻に負担をかけてしまう。それさえなければ、できるだけ長く病院にいたいくらいだ。
だって、自腹でホテルに籠もって執筆に専念しても、食事の心配はしなくてはならないわけだから、いわゆる「自主カンヅメ」よりも入院生活は快適なのである。
午前7時のNHKFMのニュース。
やっと台風のニュースがなくなって政治などが報道されるようになった。
デイルームにいたら、スノーボードでプロを目指していたこともあるという患者仲間のSちゃん(30代前半:60歳のお母さんがこれまた美人)がたびたび通りかかる。リハビリで周囲をぐるぐる回っているのだということで、誘われて僕も3周だけ一緒に歩く。僕は昨日リハビリセンターで初めて階段を数段昇降したばかりなのだけれど、下の階との階段を3回上り下り。
彼女は、僕よりも手術が後だったのに、運動量も運動機能もとっくに追い越されている。若さもあるし、アスリートだからリハビリの重要性も強く認識しているのだろう。
彼女にしてもナースのHさんにしても、人に元気を伝染させるタイプの人っていいなあ。できれば僕もそういう人になりたいけど道は遠い。
午前9時、病室の窓際にある僕の位置で室温30度(廊下側では27度)になったのでデイルームに避難。原稿書き。連載エッセイを1本書き上げる。
午前11時前、地下売店へ降りて、缶コーヒー。
芥川賞全文掲載の「文藝春秋」が売り切れて代わりに「問題小説」が入荷していた。そういえば僕の短編の掲載はいつになるんだ。書籍は文庫本だけで、全体的に軽いもの。
煎餅1枚のパックを52円で売っているし、超ミニサイズのカップ麺なんかがかなりあるのが病院風。(このあたりのディテイルが小説には重要なんです)
エレベータを下りた正面のポスターには「病院で必要なものがなんでも揃う」と謳われている。じゃあPCバッテリー充電サービスなんてのはないのか。(もちろんコンセントが使えればそれがいちばん)
昼食のところまでで、抗生物質の内服終了。
改めて自主トレ第二弾。階段を含む周回コース5周。
残りの時間は、ほぼ『プリズンホテル』(浅田次郎 徳間書店)を読んで過ごす。
ずっと前に買ってあって読んでいなかったもので、帯に「超大型新人の最高傑作」と書いてある。直木賞作家にも新人時代はあった、という当たり前のことだけれど、「新人」ですでに「最高傑作」を謳ってしまっていいのか、これ以後出る本はそれ以下なのか、という心配に満ちたひとりツッコミを入れてしまう。
浅田次郎さんは僕と3つしかちがわないのだけれど、もっとずっと年上のような感じがするし、ずっと前から小説家だったようなイメージがあるので、1993年現在で「新人」というのがなんとなく不思議。
以前から日記には何度も書いているが、僕がサントリーミステリー大賞の候補になったとき、大賞に推してくれたのが浅田次郎さんだった。
徳間書店の文芸書には担当編集者の名前が入っているのだけれど、『プリズンホテル』の担当編集者Sは、その後、幻冬舎に移って田口ランディの小説デビュー作を出している。いまはまた別の出版社にいるはず。文芸の世界はとっても狭い。
偶然だけど、昨日、古くからの友人である田口ランディさんから入院生活応援の大型本が届いた。お、と驚くセレクションの本だ。ありがとう。
夜9時前、いきなり窓の外に花火が上がる。
小規模だけど、予想外のお年玉をもらったみたいな秋の花火だ。
DAY9:9月7日(金)
午前6時、平穏な目覚め。
外はまだ台風模様。散歩がてら病棟の廊下を端から端まで歩く。道行く人が傘をあきらめ、レインコートだけで走っている。なんか気持ちよさそう。(笑)
前日、妻が差し入れてくれたコーヒー(ステンレスボトルに入っているがもちろん冷めている)を飲む。違いがわかる病院の朝。ダバダー。
口直しに給湯栓にいってティーバッグのウーロン茶(105円で20パック中国製)を入れる。毒が入っているかもしれないが味はよい。
風力発電はもちろんまだ止まったまま。
朝の検温、35.8度。やっと平熱にもどった。
午前7時。向かいのクイーンズタワーのオフィスフロアは昨夜から照明の点いているところが何階かある。徹夜で仕事をしているのか、それとも単なる消し忘れか。
毎日NHKFMの朝7時のニュースを聞いているが、台風のニュースは映像がないとつまらない。他のニュースはどこかへいってしまうし。
テレビを見るのをやめてラジオのニュースだけで10日以上生活しているけれど、くだらないあら探しバッシング報道に接しないので、とても気分がいい。報道は事実関係を教えてくれればよい。テレビが怒りを煽ってくれなくても、こっちは冷静に怒る。テレビに感情をコントロールされたくない。毎日怒りを煽られたり自分たちのリーダーに失望させられたりして、自分で幸福な時間を壊されたくない。情報として伝えてくれれば、あとはこちらでいろいろ判断するさ。
午前9時過ぎ、同室だったUさん(頸椎の手術)が退院していく。
症状が出る前、健康なときは1年に365冊小説を読むのを目標にしていた、という今どき奇特な(笑)潜在的お客様なので、ならばと拙著『D列車でいこう』を前夜に差し上げたら、さっそく夜遅くまで読んでくれていたようだ。
昼には風が強いけれどすっかり雨も上がって暑い日に。
風車は回ったり(風が強すぎて)止まったり。
午後2時、リハビリ。
わずか15分ほどの指導なんだけど、帰りには身体の動きが軽くなっているからリハビリの方法論というのもたいしたものだなあ。できれば自分でちゃんと勉強してみたいと思う。
となりの男性部屋にしきり屋さんで大声の話し好きの男性がいて、廊下を経由して一日中話し声がしている。同じ部屋だったらなかなかしんどいな。
幸いこちらはルームメイトに恵まれていてありがたい。静かすぎずうるさくなく。
ドクターが来たので、まだ見ていなかった手術後のレントゲンを見せてもらう。背骨のどこの部分を削ったかよくわかった。
問題のビリルビンの値が高い件は、すでに解消して正常値にもどっているとのこと。よかった。ほんとビックリしたぜ。(よくなったらよくなったで、先生、はやく教えてくれ~)
午後4時、シャワー。
本日の予定イベントは以上。
いろいろな人がメールをくれたりして、みんながみんな「ヒマでしょう」という。
実は、日記を書いたり、ふだん読めない本を読んだり、小説のアイデアを考えたりしているうちに、すぐに夕食の時間になり、夕食が終わると瞬時に消灯になる。もっとたくさん本を読める、原稿が書ける、と楽しみにしていたのだけれど、思いの外、病院の一日は短い。
生活上の雑事がないぶんだけ時間の余裕があるはずだけど、就寝時間が早すぎるからなあ。でも、睡眠中に肉体が回復していく(「寝る子は育つ」は医学的に正しい)わけなので、やっぱり寝るべきなんだよね。
(ちゃんと寝なかったから肉体が壊れたのかもしれない)
『資本開国論』(野口悠紀雄 ダイヤモンド社)読了。
日本経済や政治について僕が感覚的に考えていることを、実に理路整然と「ほぼ」肯定してくれている。この本のおかげで、自分の感覚にデータの裏付けが取れた。
手術後7日目 DAY8:9月6日
前夜から同室内の排便問題がたびたびあった。
病院だから、そういうことは当たり前で、同室者として別に迷惑だとも思わないけれど、ご本人はきっと気にしているんだろうな。手術後、身体が不自由で身動きができないのにそういう心労を抱くことが辛いところ。
病院生活はそれぞれが自分第一にしてよいところだと思う。いわば迷惑をかけ合いながらみんなで病気を克服していく共同体だ。
午前3時、目が覚めたところで起きてしまおうかと思ったけれど、結局、次に目が覚めたのは午前6時20分、夜勤の看護婦さんKさんが採血に来たときだった。
朝の室温は23度代、この2週間ほどですっかり涼しくなった。起きている時間には上に羽織る衣類が必要になってきたな。
デイルームへ出て、メールのチェック。留守電に病気を気づかう友人のメッセージ。
今夜、台風が来るということで、横浜港が見渡せるこの病院の人はけっこうみんなわくわくしている。なんだ、台風が好きなの僕だけじゃないんだ。被害を受ける人もあるから、おもてだってはいえないけど実はみんな台風が好きなのだ。もちろん他人の不幸が蜜なのではない。自然の力を目の当たりにするところと、いろいろな非日常の緊張感が好き。
ちなみに台風時のスタッフの出勤対策として仮泊施設など病院からの特別な配慮はないそうだ。医療スタッフだから何があっても出勤しなければならないのだけれど、現場は厳しい。
午前9時前、隣人の下痢が止まらないようだ。浣腸が効きすぎている。
いろいろ匂うのはともかくとして、たびたびシモの世話になることについて、本人がかなりめげている。
そんななかで、ナースが小さな事を誉めたりして元気づけたりしながら、手際よく、シモの世話をしつつ、体を拭いたりして、まるで手術のチームワークのよう。
その最中にも他の病室からのナースコール、たびたび鳴り響き、さながら戦場、またはドラマ「ER」の様相。
今目の前の状況は、おそらくそのどれもが生命に関わるものではないと思われるものの、時々刻々の判断をしながら、凛々しく仕事をこなす、ナースのかっこよさといったら。
その手際とリズムを見ると、救急医療も手術もおむつ交換も仕事に貴賤がないのがよくわかる。これもいい取材成果だ。
午前9時前、部屋の引っ越し。
手術後、ナースステーション近くの部屋に移っていたものが、手間のかからなくなった患者は入院時の部屋へ出戻り。窓の景色が少し変わる。左遷というのか出世というのか。(笑)
回復してくると当然ナースの世話になることが減ってくるのだけれど、面白いもので、手術直後の人なんかが世話をしてもらっているのを同室で見ていると、ちょっと羨ましかったりする。


月曜日と木曜日が手術日なので、この病棟では火曜水曜は静かで、木曜は戦場になる。
ただし、すでに快方に向かっている患者ばかりの部屋に引っ越したので、午後は安穏。窓から台風で荒れてきた景色を見ながら雑談したり原稿書いたり読書したり。
午後、高校の後輩Mちゃんが見舞いにやってくる家族以外の見舞客第一号。ヒマワリの花束を戴く。お、置き場がない!
リハビリの負荷が高くなってきて、けっこういっぱいいっぱい、筋肉ヒクヒク。
風の音がいよいよ激しくなり、風力発電の風車は止められている。
そのまま台風の夜となる。
手術後6日目 DAY7:9月5日
午前5時にはしっかり目が覚めてしまったので、そのまま起きてしまう。
朝食、完食。
午前10時、待望のシャワー! 10分前に見に行ったらすでに開いていたので、支度をして5分前に入り、10時29分まで、たっぷり時間を使って1週間の垢を落とす。頭なんて3回洗ってしまいました。
遠く台風が近づいている。
午前中、かなり激しい天候の変化をした横浜港の風景も、昼前には落ち着いてくる。
師長さん(昔でいう婦長さん)から部屋の移動の話。阿川の日記の存在がばれていたこともあったりして、患者と医療現場の視点のちがいの話なんかをする。
医療関係は評判がとても大切なので、昨今はいろいろなブログのことなども気にしているようだ。インターネットの評判がいつも正当であるとは限らないけれど、「気にする」というセンスがよい病院をつくっていくのだと思う。
午後2時半、リハビリへ。
歩行器なしで歩く。まだ少し安定しない。病棟の同じフロア内は歩行器なし、との指示が出る。結構、走っているスタッフもいたりして、まだ恐いけれど。
午後4時、手術後、初めて地下3階の売店へ行ってみる。
「ずいぶん遠くまで遠征していますね」
と後ろから声をかけてきたのは明後日退院予定の患者仲間のUさんだ。Uさんとはいろいろなところで会う。ということはUさんがやたらと動き回っているということだ。
ベッドに寝ていると、たとえ傷が癒えてきても体力はどんどん落ちていくけれど、いったん立って歩くようになると、日一日といわず、時々刻々、快方へ向かっていく。この分水嶺までどうやって辿り着くかが問題なのだと知る。(内科的なむずかしい病の場合特に)
夕刻になって、また天候はめまぐるしく変わる。台風はいよいよ接近している。
手術後5日目 DAY6:9月4日
ぐっすり眠った。起きると全身筋肉痛。
朝食後の体温36.9度。まだ身体は若干戦闘モードってことか。(僕の平熱は35.6度くらい)
午後のリハビリのために体力温存。寝たり起きたりしながらいろいろな姿勢で読書など。
お湯の蛇口までいって、コーヒーを淹れてみる。1年以上の賞味期限切れ。(笑) 「白い恋人」なんて1年以上なんともないのに、二ヶ月期限を伸ばしたのがいけないみたいなこといわれて、ばっかみたい。最初から6ヶ月長くしておけばよかったってことだけど。(いけないのは細菌が検出された「バウムクーヘン」の方)
ベッドにもどって伊藤園の「お~いお茶」ティーバッグ。これがおいしい。
午前11時過ぎ、同室のX線撮影 Hitachi Sirius Star Mobile という小型の装置。
昨日から看護学校の生徒がナースひとりに2人ずつついて実習している。
本日、読み始めた本は、『再生巨流』(楡周平 新潮社)。
午後2時半からリハビリセンターへこちらから出向いてリハビリ。
ストレッチ、筋トレ、歩行練習。
昨日動きはじめたせいで筋肉疲労が残っていて、いまひとつスムーズに歩けない。
3時半、母が見舞いに来る。
マドレーヌのような美味しそうな洋菓子をもってきてくれたのだが、せっかくだけれど食べるわけにはいかない。親の愛情はありがたいのだけれど、入院もいわば仕事中なので申し訳ない。
「できるだけふだんと同じように楽しく入院生活を送ろう」がテーマではなくて「病院生活の辛さを体験取材しよう」ということなので、その一環として「病院食だけで生活してみる」ということをやっているわけなのだ。
パソコンの電源を取ることをを断られたので、二台のPCを自宅で充電してピストン輸送してもらうことにした。
昼も夜も食事は完食。とくに夕食は美味しかった。
ここまでで、入院日記がすでに原稿用紙50枚になっている。
