議会制民主主義は機能しているか

「選挙に於ける一票の格差はずいぶんあるし、政治家や官僚は一部の人の利益を守っているように見えます。日本で本当に議会制民主主義が機能していると思いますか」
 あることろでそんな風に問われました。
 教育基本法の改正に愛国心を盛り込むことについての是非を時事通信が世論調査し、その結果、五割を超える人が「愛国心」の概念を盛り込んだ教育基本法案に賛成だったということについての議論のなかのことです。


 基本的に民主主義は機能していると思います。
 パーフェクトであるかといえばそうではないでしょう。
 しかし、パーフェクトでないとして、それをパーフェクトにする責任は我々国民にあるのであって、国民から離れた対立概念としての国(あるいは政府)があるとは思いません。
 政府が気に入らないのも、全体として国民の意思の反映です。国民の間に当然利害の対立もあり、特定の制度や法律が万人にとって賛同できるものであることはあり得ないわけですが、それについては中長期的に相克しあうことで、制度的に調整機能が働くのが民主主義という仕組みだと思います。
 したがって、民主主義は原理的に全員の満足は得られない仕組みですが、時間とともに制度自体を変えていくことができるのが民主主義であり、その意味では、たとえ一票の格差がどれだけあったにしても。長期的に変えていくことは可能であるシステムにはなっていると思います。国民が本当に強く継続的にそれを望むのであれば。
 この「国民が本当に強く継続的にそれを望むのであれば」というところが問題になります。
 一票の格差こそが最重要だと思えば、国民はそれを是正しない政治家を選ばないでしょう。しかし、現実には、「一票の格差がいいとは思わないが、そこそこ満足させてくれるのであれば、現時点でそこには目をつぶる」という選択をしていると言えると思います。
 それがその時々の「争点」であり、「あいまいだけれど、基本的に国民の総意によって選ばれつくられた国のシステム」だと思います。
 たとえば、ある時期、国民は経済成長を最重要に選びました。そののち、公害の撲滅に優先度をスイッチしました。
 そのときどきにベストでなくても、時代の中でそのように長期的に全体としてのバランス感覚によって舵が切られていくのが民主主義であり、いつも最高にバランスの取れた選択をするのではないが、大きな間違いがあっても長期的には是正されていく、それが民主主義というものなのだと考えます。
 政官癒着についても、いまや国民はそれを承知していますから、国民の多くがそれを望まないのなら、それは是正されていくでしょう。いままで是正されなかったのは、結果として、経済成長や社会インフラの整備を国民自身が優先し、その過程で一部の権益が生じたりそれが不公平に配分されたりしても、心情的には容認しないにしても投票行動としては国民全体が容認してきた結果によるものです。
 この種の不公平や悪政、社会の矛盾をもっとてきぱきと是正するには、短期的には、民主主義でなく優秀で洞察力のある専制君主がいたほうが効率よく社会がよくなります。強いリーダーシップ(独裁的権力)により急速な発展を遂げた国も多数ありますし、その弊害も人類は承知しているわけです。
 しかし、歴史から人類はそれを選ぶ危険性を学んでいるので、遅くてイライラすることも多いけれど、日本国民は民主主義を選択しています。それによって、理不尽なことも短期的に生じるにせよ、長期的に多くの国民が望んでいることが実現される。
 その意味で、今の社会に矛盾がたくさんあったとしても、日本国憲法の下での議会制民主主義はきちんと機能していると思います。
 この民主主義の元で多くの国民が求める社会の実現が遅れる、または、実現が妨げられるとするとき、その最大の障害は、政府が自分たちとは関係のない対立する存在だ、と考えてしまうことだと思います。
 国民が政治に対して当事者意識をなくしてしまえば、結果として、国民の望みは叶えられず、先に当事者意識をもった一部の人の思惑だけで政治が動かされてしまう。それこそ国民の不幸です。
 だからこそ、政府vs国民という図式でなく、政府=国民だと思いつづける必要があります。
 民主主義を信じることをやめて、今のこの国は一部のものによって動かされ、自分たちの意志は反映されないのだ、と国民の多くが思ってあきらめたとき、それこそ一部の人が自分たちに都合のいい政治をしてしまうでしょう。
 政府が気に入らないのは国民である自分たちのせいだ、と思いつづけない限り、国は国民のものにならないのではないかとおもいます。
 教育基本法改正において「愛国心を強制されるのはいやだ」という言説がたくさんありました。
 明治憲法ではなく日本国憲法において、政府は国民の意思集約です。法律を決めるのは国民からその職務を委託された国会議員です。
 国会議員が定めた法律は、国民共通の意志ですから、法律で定めることは「国家による国民に対する強制」ではなく「国民自身の意志」であるはずです。
「護憲派」(??)といわれる人々が、「愛国心を強制するな」というのは憲法の理念に反する発想です。
 なぜなら、民主主義国家では、政府は国民の意思でコントロールされているはずであり、立法府は国民の意思の代弁者として法律を制定しているのですから、法律は国民が心ならずも従わなくてはならないルールではなく、自分で決めたルールなのですから。
 それを強制だといって反対するとしたら、憲法の精神、および、憲法を中心とした法体系と、明らかな矛盾があります。

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