教育基本法を巡って「愛国心」について議論されています。
この法案に反対する言説の中に、「愛国心は国に強制されるものではない」という意見がたくさんあり、そこに民主主義の基本的問題があると思われたので、少し論考してみます。
明治憲法のもとでの愛国心はたしかに「強制」であったかもしれません。
しかし、日本国憲法の下で議会制民主主義によって定められた法律は、原理的に「国家による国民への強制」ではなく「国民自身の選択」です。
教育基本法に愛国心が書き込まれたからといって、それは国家による愛国心の強制などではない。なぜなら国民自身がそうしようという自由意志によってそのように決めたことだからです。
時事通信の世論調査がもし公平な物だとすれば、そのことによって民主主義が裏打ちされていると新たに示されたのだともいえます。
法律による制定を自動的に「強制」と捉えることは、明治憲法と日本国憲法の本質的な違いを理解せず、明治憲法下の国家(あるいは政府)と現在の国の概念とを混同している、別の言い方をすれば民主主義というものを理解していない立場からの発言であるように思います。
法律は強制力を持ちます。
しかし、民主主義国家に於ける法律は、国家や政府という国民と対立するものによる国民への強制ではない。政府自体が国民の総意によって方向付けられていて、国民の意思によって法律が定められている以上、それは国民同士の自発的約束ごとであって、強制ではないはずです。
と同時に、この愛国心を強制と受け止めることこそが、それらの懸念を抱く人の思いこみとはまったく逆に、民主主義に対する危険をはらんでいます。
法律を国家による国民への強制と捉えるということは、国家を自分たちが作っているという意識がないということです。
国家は自分の意志と関係なく存在し、自分たちとは対立する存在だ。この国に問題があるのは、自分のせいではなく、政治家や官僚や一部の人間たちがよくないからで、自分たちのせいではない。
そのように考えている。
しかし、少なくとも日本国憲法のもとで、この考え方は誤りです。国家は国民がつくっているのであり、それが良くても悪くても、すべての責任は国民自身にあるはずです。
この国に悪いとところはたくさんあり、しかし、それは自分たち国民の責任であり、長く継続的な努力をつづけて、不満があれば自分の手によってそれを変えていかなくてはならない。
自分の大切な郷土、家族、自然、町、文化、人々、それらは国民である自分たちのものであり、それを大切に思うから、もっとよくしたいと思うから、それぞれの立場で国を構成する一員として、つまり「当事者として主体的に」努力をつづけることが求められるわけです。
それが愛国心であり、民主主義だと思います。
対立する傍観者が国をよくすることはない。当事者こそが問題を解決できる。
愛国心と民主主義はまったく対立するどころか、むしろ、愛国心を否定することは民主主義の否定につながる。
そのことを改めて指摘しておきたいと思います。
民主主義についてはhttp://www.agawataiju.com/diary/2006/05/post_54.htmlでも、論考しています。
愛国心より公徳心
でも今は・・
教育基本法の改正やらなんやらで最近「愛国心」教育を叫ぶ声をあちこちで聞く。しかしことさら教育現場で強調せねばならぬことだろうか…
TBありがとうございました。
しかし個人的にはそういう心を他人から「評価」されるのはありがたくないですね~。
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民主主義(4)
今日は、「第13章 新憲法に現われた民主主義」からです。初めて読んでくださる方は、こちらをご参照ください。
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愛国心
今国会で注目を集めているのが、共謀罪の新設法案と教育基本法改正案の行方だ。どこぞのマスコミは何点セットがどうだとか、まるでディスカウントストアかファミリ…
郷土を愛せよ、という前に
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それを国民に強制するのではなく、その前に、日本国が日本国民に尊敬され愛される国になるべきだ、とブログで主張してきた。…
獅子神@ちょい不良オヤジさん、
たしかに心を「評価」をされるのはありがたくないですね。
法律の文面からは愛国心そのものが評価対象にはならないようでありますが、運用をしっかり監視する必要はあるかもしれません。
臓器移植を受けた神達彩花ちゃんが死亡
アメリカで多臓器移植を受けた神達彩花ちゃんが、感染症のため亡くなった。
もちろん亡くなってしまったことは気の毒だし、親御さんの助けたいという思いも痛いほ…
「愛国心」を否定はしません。むしろ国民として欠かせない事だと思います。大切な事です。問題なのはそれを強制させるということ。なぜ教育基本法という教育の憲法で明記する必要があるのか?阿川さんは「この愛国心を強制と受け止めることこそが、民主主義に対する危険をはらんでいます」と述べていらっしゃいますが、これを強制でないとしたら何なのか?法律での制定は全部強制力を持ちます。それが法律というもの。人間の心理まで法律で定めるようになったら、それこそファシズムか宗教でしょう。
みっちゃんさん、コメントありがとうございます。
本文に書きましたが、法律を作るのが国民自身なのですから、強制ではないと思います。
みんなでこうしましょうと相談して決めたことは強制とはいえないでしょう。自分たちできめたことなんですから。
民主主義における法律というのはそういうものではないですか?
逆に法律を強制と捉える考え方は国会や政府の自分のものだと思っていないというところからでているように思います。それは民主主義の精神に反していますよね。
あくまで、国会も政府も国民のシモベであって、国民の上に来るものではありませんから。
そもそも下のものから強制されようがないともいえます。
コメントありがとうございます。正直、阿川さんの主張には納得がいきませんが、こうやって違った意見を交わせるというのは非常に有意義だなと思います。これぞ民主主義かと。これからもよろしくお願いいたします。
愛国心って何?
(公明党さんは「愛国心」という言葉が嫌いのようですが) もしも私が「愛国心」というものを定義できるなら、 ということで勝手に定義してみました。 愛国心…