Diary

黄金町芸術学校

 午後4時から、黄金町芸術学校小説コースの授業。
 終了後、エッセイの仕事。
 午後11時過ぎに事務所を出て、「かつや」で期間限定のカツカレー(竹)500円を食べて帰宅。

長編打合せ

 午前11時半、横浜そごうで待ち合わせ。
 某社編集者とランチミーティング。
 一昨年からやっているのだけど、一旦中断していて、年明けから再起動の予定の長編について。
 家庭サービスのため、帰宅して、妻とコストコへ買い出し。
 主に食料品。
 家で夕食。
 三重から届いていたカマスの干物、など。

万葉倶楽部

 編集者の意見により、短編を少しいじって再送付。
 
 とことん疲れているので、近所の温泉施設「万葉倶楽部」へ出向いて、温泉につかる。
 お湯につかっていると、見る見る疲れが取れていく感じ。
 4時間ほどリラックスする。

短編脱稿

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 朝、短編50枚脱稿。
 午後、編集者からメールが来てOKとのこと。
 火曜の夜なので、夕食はきらく亭。
 少し次の仕事に手を付けるがなんだか疲れているのでそこそこでやめる。
 というわけで、久々に野毛で飲んで帰ることにする。
 馴染みの店が満員だったので、立ち飲みで時間を潰し、11時に再度出向くが、やはり満員。
 諦めてレストラン「イグレック」に行くと、ちょうどお客さんが帰って誰もいなくなったところ。
 オードブルとワインで、マスターと話していて、気づいたら午前2時を過ぎていた。
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原発事故を経験して二年たった長崎原爆の日に思うこと

 我々日本人は核兵器による被爆という人類唯一の経験をした。
 さらに、地震と津波をきっかけに引き起こされた原子力発電所の事故を経験した。
 原爆による広島長崎での被曝は、多くの人に、長期にわたって健康へ大きな影響をもたらした。
 その影響は日米共同の研究機関によって現在に至るまで調査研究が行われている。
 (放射線影響研究所 最近の年間予算約30億円 など)
 この研究は、「放射線によってこんなに健康に影響が出る」というデータと同時に「このくらいの被曝では影響が出なかった」というデータも、現在までの68年間という長い期間と膨大なサンプル数をもとにわかっている。
 その調査解析は、被爆時年齢区分、爆心地からの距離他による被曝量の見積、などを含む。
 戦争の不幸な結果により、我々は、被曝の、危険なゾーン、グレイゾーン、そこからさらに遥か下の安全ゾーンについて、十分なデータをもって科学的統計的に知ることになった。
 我々は、被曝量や被爆時年齢ごとに「60年後までの期間に人体にどのような影響があるか」について、(理論的にではなく)実証データをもとに相当わかっているのである。
(何故か、低線量、子ども、長期、について「わかっていない」とう誤解が広がっているけれど)
 その知見を活かした上で、次の問題は福島の原発事故によって、それぞれの人の被曝量が、グレイゾーンにあるのか、それよりずっと少ない安全ゾーンにあるかを正しく見積ることだ。
 空間線量、除染のデータ、食品の汚染量、などをを含む、現在までの調査では、幸いほとんどの人が安全ゾーンであることもわかってきた。
 その人たちがしっかりした知識で安心して暮らせるようにすることが重要だ。
 危険領域の被曝量、グレーゾーンの被曝量について、継続的に健康診断を続けて早期の適切な措置を取ることが重要であるのと同時に、安全なのに不安に脅えてQOLの低い暮らしをする人々を減らさなくてはならない。
 我々は核兵器による被爆という経験をした結果、放射能の危険性の程度について、かなり網羅的な調査によるデータを得る機会を持つことになった。
 放射能の危険を知るとともに安全範囲についての知見もきちんと活用して原発事故の被害を適切に受け止めたい。
 それが原爆の体験を今に活かす道だと思う。
【念のため追記】
 ある値以下の被曝による危険が少ないことは、なんら東電や政府の責任が小さいことを意味しない。安全な人を危険だと水増ししなくても、事故は重大であり、事故はまだ続いていて、その責任も重大である。

横浜

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 午前5時過ぎ、目が覚めると外はもう横浜港が見えている。
 ベイブリッジをくぐって、大黒ふ頭が見える。
 午前5時58分、大桟橋に着岸。
 桟橋には、日章旗、イタリア国旗、そしてUW旗。
 その奥に自宅マンションが見える。
 午前6時過ぎ、 ビュッフェレストランへ。
 船はもう到着しているのに降りないでレストランで朝食を摂るというのが客船の面白いところ。
 ベネチアでは毎日食べていたブリオッシュ・コン・クレーマ(カスタードクリーム入りクロワッサン)があった。
 手早く食事を済ませて部屋にもどる。
 下船集合は6階に8時20分だが、午前7時には部屋を開けなければならない。
(今日の午後には、次の客を乗せてまた出航していくので、すべての部屋のしつらえが必要なのだ)
 手荷物をもって6階のバーへ。
 船内カードでは清算が済んでいるので現金精算のはずなのでUSドルで払おうとすると、船内カードを出せという。適当に書いたところに適当にサインしてエスプレッソコーヒー2杯。たぶんバーテンダーのおごり。
 こういうところがイタリアって素敵。
 部屋を空けるときにキーカードを置いて出てこなければならなかったのだけど、忘れて持って出てしまったので、フロントに戻しに行く。
 イタリア人の女性だったので部屋番号をイタリア語で言ったら、お喋りが始まった。
 ベネチアから1時間くらいのところの出身だって。
 日本に来たいのだけど来られないんだって。(横浜に入港してもクルーはほとんど降りない)
 午前8時過ぎ、下船手続きが始まり、午前九時前には自宅の到着。
 ああ、楽しかった。
 ゴールデンウィークにまとめて休みを取ったのは何年ぶりだろう。
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長崎から船に乗って鳥羽に着いた

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 午前5時50分、起床。
 午前6時半、朝食。レストラン・シンフォニアのバフェット。
 味もサービスも快適。
 午前7時、Costa Victoria は鳥羽港の沖にアンカーを降ろす。
 午前7時20分、下船の第一グループとしてテンダー(足船)に乗り移り、鳥羽港の桟橋へ。
 バスで山を越えて伊勢へ。
 20年に一度の式年遷宮の年の伊勢神宮内宮へ。
 遷宮の完了は今年10月だけど、真新しい新しい建物ができているのを隠された幕のところどころから観る。
 終了後、おかげ横丁へ。
 鮑の蒸し串(700円)とビール(300円)、みたらし団子(130円)、伊勢醤油煎餅(130円)、などを食べ歩き、〆は小西湖という店で「松阪牛骨横丁そば」という名のラーメン(700円)。
 どれも美味しゅうございました。
 12時半、バスに集合して賭場へ戻る。
 午後1時、鳥羽港に到着。
 近鉄鳥羽駅前の一番街で真珠店などをみる。
 ミキモトでは使わないグレードだけど、本物である真珠の装飾品などのビジネスを見る。
 御徒町がダイヤモンド街なら鳥羽一番街は真珠街。
 
 船室に戻った後はスパへ出向いて、30分ほどゆっくりする。
 午後6時、錨を上げて出港。
 御木本幸吉が人を見送るのに赤いハンカチをつかったという故事にちなんで赤いハンカチを振りながら、見送りに出てきた遊覧船に、こちらも赤いハンカチで応えながら出港。
(乗船時に入口で全員に赤いハンカチを渡されていた)
 残り160海里を横浜へ向かう。
 横浜から鳥羽へはヨットで行ったことがあるけど、今回はその逆の行程をクルーズ客船で。
 出航後、バフェットで軽く食べて荷物のパッキング。
 大きな荷物は午前1時までに廊下に出して預けなくてはならない。
 その後、ピッツェリアでピザと麺の夕食。
 今日のピザに生ハムがあるのを知って、キッチンに交渉して生ハムだけを皿に盛ってもらうことに成功。改めて赤ワインを頼んで Costa Victoria 最後の晩餐。
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仮装の夜

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 今夜のドレスコードは「仮装」。
 昼、マスク制作のイベントが行われていて、遅い時間に通りかかったらまだやっていたので、急遽参加。白い「お面」に、絵の具で色を塗っていく作業。
(実は仮装の用意は事前にしてきたので、作らなくてもよかったのだけど)
 技術はない上に、筆がひどく使いにくい。弘法だって筆を選んだのに、いわんやシロウトをや。
 道具が悪い上に技術もない。
 イメージはあるのに、手をかけていくとどんどん駄目になっていく。
 絵の描ける人がうらやましい。
 義務教育の図画工作で、せめて「かけ算の九九」のように絵を描く上での基本技術を身につけさせて欲しかった。
 けっこう時間を使ってまあなんとかマスクを完成させる。
 夜遅くから、仮装パレードがある。
 それに先だって、夕食のレストランにも仮装して出かけることにする。
 大人の学園祭なのだから楽しまなくては損だし、どうせなら人々にも楽しんでもらった方がいい。
 相席のテーブルで、同年配風の夫婦、それから、40代の頃に奥さんを亡くした一人旅をしているという年金世代の男性。初めて会う人同士だけど、こちらが仮装をしていったことによって、会話のきっかけができたから、以後、楽しい夕食となった。
 午後10時過ぎから仮装パレード開始。
 行き着く先はシアターで、そこでサンバのリズムで仮装した人たちが踊る。
 すごい熱気だ。
 11時過ぎ、体力も尽きてきたので辞去して、ピッツェリアへ。
 ピザだけでなく、すべてのレストランの中でここが一番イタリア風のものがある。
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終日航海

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 長崎から次の寄港地鳥羽までは520海里の終日航海。
 気温も上がり、風も弱くて絶好のクルーズ日和。
 朝起きてまずジョギング、約4Km。
 ジョギングトラックになっている救命ボートのさがったエリアでは保守要員がボートを降ろすクレーンにグリスを入れて回っている。
 シャワーを浴びて、朝食は後甲板のオムレツステーションへ。
 気候がいいので気持ちよい。
 肝心のオムレツは火が通り過ぎ。
(食品衛生上の理由で半熟のオムレツは作らないということらしい)
 部屋にもどって書き物。
 12時過ぎ、レストラン・ファンタジアでフルコース。
 ううむ。メインの魚が醤油味だ。
 あのね、日本食も別に用意しているのはいいとして、一方でちゃんとしたイタリア料理を食べさせてくれ。
 オリーブオイルすらほとんど使っていない。
 日本中にイタリアンレストランがどんどん増えているというのに、「日本人はオリーブオイルは苦手」っていったいいつの時代の神話だ。
 船内でいろいろトラブルがあったからだと思う。
 長崎から大量にHISの社員が乗り込んできたようで、そこいら中にHISのジャンパー姿の人が目立つ。改善に努力しているのは分かるけど、フルコースを出すレストランに青いジャンパーを着て監視員のように立っているのは、ひどく感じが悪いのでやめて欲しい。
 部屋にもどって書き物。
 船室はスターボード(右舷)なので、航海中、釜山からこっち、窓の外は海ばかり。携帯電話の電波もほとんど届かない。
 前回の終日航海日は天気が悪かったので、みな、ここぞとばかりプールサイドに出ている。
 午後2時過ぎ、それまで18ノットほどで航行していた Costa Victoria は、速度を15ノット以下にまで落としていた。
 天候の見通しがよいのだろう。入港時刻に合わせて時間調整をしているようだ。
 行程はは520海里を18ノットでいくと29時間で着いてしまうが、プランの上では37時間ある。

長崎

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 久しぶりに携帯電話の電波が受信できるようになってきた。
 
 五島列島の島並も美しい。
 港の奥へ入っていくと大小の造船所のドックが無数にある。
 天候も良好で緑の陸地を見ながら、定刻午前9時30分、長崎港に入港。
 係船が終了すると、ゴミ集めのトラックが来る。岸壁の水栓からホースで給水を始める。
 客船は寄港地での補給もたいへんだ。
(船で2000人の乗客が真水のシャワーが使えるというのは凄いことなのだ)
 下船は午前11時、入国手続きを終え、ターミナルを出るとすぐに「旧香港上海銀行」というのがあった。予想外にいい展示だった。入場料100円。機械がいろいろ壊れていて直すお金がないみたい。
 当別展示の久保田馨の頓珍漢人形がまた素敵。
 アーティストってすごいなあ。
 そこから大浦天主堂も徒歩で坂を上がってすぐ。
 ここへ来るのは9年ぶり二度目だが、以前より建物の傷みが進んできている。
 長崎は世界遺産への登録を働きかけているらしいけれど、それ以前にきちんと歴史的建造物を保存していかないと。
 天主堂から下りる坂の途中で飲んだザボンジュースとビワジュースがとても美味しかった。(各300円)
 次は長崎ちゃんぽんか皿うどん。
 中華街へ新しい道が整備されていて、天主堂下から800m。
 そこで事件発生!
「江山楼」で皿うどんを食べていると奥歯の詰め物が外れてしまう。
 旅はまだ続く、船の上には船医はいるが歯科医はいない。
 幸い2ブロックほどの至近距離に歯科があり、午後2時からの診療時間が始まったばかりだった。
 飛び込みですぐに診てもらうことができ、親切な先生と女性スタッフのおかげですぐに問題解決。
 トラブルの日かと思ったら、今日はむしろラッキーだ。
 船にもどる途中に “EIGHT FLAG”(何故か単数形)という店を見つけて美味しい紅茶とワッフルを食べる。ほんとのアンチックのインテリアも素敵で、これもラッキー。
 午後6時、出航。
 岸壁では地元の高校生のブラスバンドが演奏してくれている。ありがとう。
 夜はシアターでマイケルジャクソンのそっくりさんのショーを二度観る。
 ショーを観ている間にレストランは終わってしまったので、ピッツェリア。
 ちゃんと窯で焼く Vera Pizza で、美味しい。アジア風のヌードルも美味しい。焼き野菜なども美味しい。
 この船の全食事処でここが一番イタリアっぽい。
 中国人のウェイターにナイフを複数形 knives で言ったらチンプンカンプンで、単数型 knife でないと通じなかった。日本の中学生以下だぜ。
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