いつの間にか眠っていた。気がつくと午前零時。
最後の記憶は、ホテルの部屋のケーブルテレビの番組表を見ていたはず。
チャンネルがたくさんあるので、リモコンを操作するうちにそのまま眠ってしまったようだ。
眠りに就いた時刻は、推定午後9時過ぎだろうか。
2時間ほど、パソコンで作業をして、午前2時過ぎ、もう一度寝る。
午前7時、自然に目が覚める。
依頼されていた劇版「横浜黄金町パフィー通り」のパフレット用の原稿をメールで送付。
(原稿自体は前日の同時刻にできあがっていた)
テニス全米オープンで錦織の試合が始まっているようだったので、テレビのチャンネルを探してみると、ドンピシャでやっていた。
まさかの初戦敗退。
帰国後、2回戦以降を家で見るのをを楽しみにしていたのだけど、1回戦をカナダにいるうちに見ることができてよかった、というのかなんというのか。
正午、チェックアウト。
空港行きのシャトルに乗って20分ほどで空港へ。
まだ、カウンターでの荷物の受け付けは始まっていない。
フードコートで、チャーシュー入りワンタンメン ( Wonton & BBQ Pork Soup with Egg Noodle) 8.09ドル+税金。
荷物を預けて、保安検査場へ。
例によって、パソコンを持っていると、安全検査で時間がかかる。商売道具なのでしょうがない。
ターミナル近くのレストランで、出発を待ちながら1時間半ほど仕事。
カナダ滞在も最終日。
朝早くホテルを出て、バンクーバー美術館の展示を見る。
12時、「ふれいざー」の宮坂さんと会ってランチ。
18年間エッセイを連載していて、会うのは初めてだ。
カナダへ移住してきたときの武勇伝(?)を聞いたり、バンクーバーの地域事情を教えてもらったり。
土壇場で宮坂さんとなかなか連絡が取れなかったのは、昨日の強風で40万個停電していて、宮坂さんの家も電気が来ていないとのこと。
やはり信号機がほとんど動いていないらしい。
別れた後は、いったんリッチモンドへ戻り、Mさんの車でバーナビーへ。
立派な日系へイテージセンターをリサーチ。
映画にもなった「バンクーバー朝日軍」のユニフォームが展示してあった。
ここにも「ふれいざー」がある。
夜はタイ料理。
スターターはここでもカラマーリ。それぞれのレストランでみんなちがう。
Steveston へ。
スティーブストンは、和歌山の漁師が移民としてやってきた町。
元缶詰工場が博物館になっていて、設備がそのまま残っている。
とっくに使われていないのに、中へ入ったとたん、生臭い匂いがする。
かつては町中に魚の匂いが立ちこめていたという。
いま、日本人はほとんど残っていない。
フィッシュ&チップスを食べて、フィッシャーマンズワーフを歩く。
桟橋に着けた漁船の上で、鮭、海老、雲丹、などを売っている。
ものすごい強風だ。
交差展で信号機が点いていないところが多い。停電しているもよう。
日本だったら大混乱になるところだが、もともとこちらでは信号のない交差点のルールがしっかいしていて、みな慣れているので、わりとスムーズ。」
夕食は、インド人街(Main & 49th)でインド料理のバフェット。
このところヘビーな食生活だったので、スパイスが体に染みこむ感じ。
フロアと厨房はなんとか電気が来ているが、通信回線が死んでいるので、クレジットカード決済ができない、ということで現金での支払い。
妻と電車でダウンタウンへ。
いくつかスムーズに行かないことが重なってしまい、午前11時の約束に20分ほど遅刻して、バンクーバー美術館へ。
バンクーバー在住で、黄金町バザール2014のキュレーターだった原万希子さんに会う。
美術館二階のレストランで食事をしながら、1時間半ほど、カナダやバンクーバーの置かれているいろいろな状況について、話を聞く。
原さんと別れた後は、妻とダウンタウンの探検。
ロブソン通りで、少し買い物をしたり。
KONBINIYA という日本の食材専門店があり、そこに僕がエッセイを連載している「ふれいざー」を発見。
スカイトレインでリッチモンドへ戻り、今度はリッチモンドを案内。
スーパーマーケットで、日本では売っていない、アラブの食材を見つけて、買い込む。
夕食はふたりで、シェラトンの横にある Harold’s Grill & Bar.
ここでもスターターにカラマーリを試す。
今日は、ひとりグループから離脱。
小説家としては、観光地だけでなく、この町の普通の暮らし方、町の空気などを知る必要があるので、そっちの取材モード。
まずはリッチモンドのふつうの町の観察。
ホテルから鉄道駅へ。徒歩10分あまり。
主筋時間帯の駅では無料の新聞を配っている。
ひっきりなしにバスが着いて、人々が鉄道の改札に吸い込まれていく。
ホテルから駅までの道には、我々が止まっているラマダホテルの他、シェラトン、マリオットなどなど、いくつかのホテルがある。
線路沿いの区画はそれぞれずっと商業モールになっていて、ほとんどが英語の他に中国語の看板が出ている。もちろんそれは飲食店だけでなく、マッサージの店、法律事務所、旅行社、ようするにすべての店や事務所が。日本食のレストランですら「日式」と中国語表示。
大きな中国系スパーに入ってみる。
ふつうに巨大な品揃え。値段は東京とあまり変わらないが、品揃えが豊富な文だけ、同じものを買っても豊かな気持ちになる。
観察しながら一駅歩いて、Lansdowne からスカイトレインに乗る。
リッチモンドからだとゾーンを跨ぐので、2ゾーン90分乗り放題の4ドル。回数券だと、時刻刻印機でスタート時間を刻印すると90分間乗り放題になる。
一見したところ立派な自動改札機のようなものが並んでいるが、動作していなくて、チケットをかざすでもなく、出るのも入るのも、ただ自由に通過するだけ。
チケットは要するに検札があったときに「料金を払って乗っているよ」と証明する領収書だ。
ヨーロッパでもそうだけど、多くの国で、鉄道の改札は実質フリーパスだ。
お金を払わなくても乗れるが、検札で無賃乗車が見つかると大きな罰金が科される。
一人たりとも無賃乗車を許さない高価な自動改札機を設置するよりも、たまにただ乗りをする人間が居ても、その方が安上がりだから、結局、お金を払って乗る人にとっても、安い運賃で電車に乗ることができるシステム。
僕はこのヨーロッパ式の方が合理的だと思う。
カナダ線グランビル駅で、一旦外へ出て、エキスポ線に乗り換えて、スタジアム・チャイナタウン駅で降りる。
駅からしばらく歩いて、大きな門をくぐって中華街に入るあたりからは、街に落書きが多い。中国人も出て行っていて、空きテナントが多い地区。
縦に、キャロール、ケベック、メインの3つの通りの挟まれたあたりがチャイナタウンだが、南から北へイーストヘイスティング通りまでぎりぎりいいとして、そこからイーストコルドバ、パウェル通りあたりは、荒れていて、ヤク中でふらついている人間をたくさん見かける。視線が定まらないまま何かひとりごとを言っていたり、道路に座り込んでいる人間も多数。
街路樹にぶつかっているのに、そのまま歩こうとして、自分の力で木に跳ね飛ばされて転んで、またふらふらと立ち上がる、というような人たちが視野の中に何人もいる。
人間のそんな姿を見るのはとてもショッキングだ。
とてもカメラは構えられない。
ホームレスやヤク中、アル中の多くは先住民だそうだ。
詳しく聞いたが詳細は省くけれど、先住民を蹂躙した歴史的なことが積み重なっていて、少なからぬ先住民が最底辺に落ちこぼれている。
バンクーバーはものすごく治安のいい都市で、きれいな街だが、例外的にこのあたりは、極端に荒廃している。
イーストコルドバ通りを西へ行くと、お洒落な街、ガスタウンに続いている。
日本人の若い女性も歩いている。原宿のような所だ。人々の眼差しは優しく、治安もいい。
だが、そこで、人混みにまぎれてヤクの取引をする現場を見た。
中心部へ戻り、ショッピング街のロブソン通り、劇場外のグランビル通りをリサーチして、集合場所のハイアットリージェンシーで、クラス会組と合流。
食事はガスタウンの「オールド・スパゲッティ・ファクトリー」。
またしてもスターターはカラマーリ。
午前7時半スタート。
BCフェリーでバンクーバー・アイランドのビクトリアへ向かう。
ビクトリアは、ブリティッシュ・コロンビアの州都。
まずは、ブッチャート・ガーデン。
ものすごくきれいに、量も種類も豊富な花が咲き誇っている。
人生でこれほどたくさんの花を見たことはない。
そして、州都ビクトリアの中心部へ。
威容を誇るエンペラス・ホテルを冷やかし、州議会へ行ってガイドツアー。
夕食は、帰りのフェリーの中でバフェット。
正確にいうとホテルの場所はバンクーバーではなくリッチモンドにある。
バンクーバー市内から南へ電車で25分ほどの、グレーター・バンクーバーに属している。空港のそばでもある。
リッチモンドの人口の6割は中国人だということで、町を歩くと白人には滅多に会わないし、店の看板は中国語と英語の両方か、中国語だけ。カナダのもう一つの公用語であるフランス語の影は極めて薄い。
英語だけの店があったと思ったら郵便局だった。(笑)
町の作り方はアメリカ風で広々としている。広々した香港、という感じだ。
Mさんは、リッチモンドに住んで、バンクーバー市内の矯正歯科に勤めている。
さて、本日の最初は、ブリティッシュ・コロンビア大学。
人類学博物館の近くに車を駐めて、アジア関連の施設を外から見て回る。
アジアセンター、70年大阪万博の三洋電機のパビリオンを移設したもの。隣接地に新渡戸稲造記念庭園もある。(入らなかったけど、塀越しに庭師の人と話をした)
次は、オークリッジ駅近くのショッピングモール「オークリッジセンター」のなかのメディカルモールの矯正歯科へ。
ここはMさんの職場。日本の歯科はほとんど器具を外注しているけれど、ここではリテイナーなどを所内でつくっていて、その部屋を見学。
次は、クィーン・エリザベス・パーク。
グランビル・アイランドのパブリック・マーケットを見て、近くの桟橋からシーバスでイェールタウンへ。
イェールタウンのヨットハーバーは豪華なクルーザーがたくさんあり、近隣には高級マンションが建ち並んでいる。
その一角のスーパーマーケットをリサーチ。
お金持ちになったらここに住めば快適だ。(笑)
夕食は、コンベンションセンター近くの Cuctus Club Cafe という都会的なレストラン。ここでのカラマーリをかかさない。
飛行機は予定よりも少し早くバンクーバー空港に到着。
荷物をピックアップして、外へ出ると、いきなりトーテムポールが2本、立っている。
東京駅でいうと「銀の鈴」みたいなものか。
そこにバンクーバー在住の妻のクラスメイトが迎えに来てくれているはずなのだが……。
問題は数十年ぶりでなので、お互いがわかるかどうか。
しばらく待ったが見つからないので、空港のwifiを利用して、スカイプから彼女の携帯に電話をすると、すぐ近くに居ることが判明。
やはり、なかなかわからずに、お互いを探しあっていた。(笑)
なんとかフルメンバー(といっても、急な不参加などで3組)が合流。
めでたしめでたし。
メンバーは、地元のMさん、大阪から合流のYさん夫婦、そして、横浜から合流のうちの夫婦。
Mさんの自宅で、少しくつろぎ、それからホテルにチェックイン。
バンクーバーでの最初の夕食は、ゴルフクラブのレストラン。
プライムリブが美味しかった。ワインも値段がリーズナブル。
この日、スターターに注文した「カラマーリ」が、このツアーのテーマとなる。
帰り道、話の種に「カナダにしかない珍しいもの」として、ボーリング場に案内してもらう。
そこで見たのは、カナダにしかない「5ピン・ボーリング」
ピンがスカスカのV字型に5本だけならんでいて、それに向かって、片手で握ることができるような小さいボールを投げる。
トップのピンを倒すと5点、両隣りが3点、両端が1点。
1フレームが3投、450点満点のゲームなのだそうだ。
その時刻、残念ながら、プレーをしていた人は全員ふつうのボーリングで、5ピンをやっていた人は居なかった。
タクシーを呼んで、YCATまで。
リムジンバスで、羽田国際ターミナルへ。
全日空116便でバンクーバーへ向かうのだ。
夕方の便なので、パッキング
出発ゲートで、関空から来て同じ便に乗る友人らと合流。
今回の旅行の主な目的は、妻の大学の北米クラス会に参加すること。
妻の大学のクラスは帰国子女枠の秋入学組。
つまり、海外生活の経験のある人だけのクラスなので、今でも、海外で生活している人が多い。
それで、日本でのクラス会に参加できない北米組のために開かれたもの。
僕もたまたまバンクーバーの雑誌で18年間エッセイを連載していながら、バンクーバーに行ったこともないので、同伴で参加することにした。
(連載開始以来、雑誌の編集者とはメールでやりとりをしているだけで、会ったことがないどころか、電話で声を聞いたことすらない)
というわけで、初めてのカナダ旅行へ出発!
珍しく土曜日にテニスコートが取れたのだが、時間が午後1時から3時。
前日は涼しかったのに、よりによってカンカン照り、しかも二人だけ。
ふだんは飲料水を1リットルもっていって、少し余るのだけど、今日は全部飲みきり、終了後には自動販売機で買ってそれもあっという間に飲み切る。
体感的には、この夏、一番暑い思いをした。
シングルスの試合をするのは20年ぶりくらいかな?
暑さでぼーっとして、スコアのカウントができない。(笑)