旧事務所のガラスのシールを剥がし、床や階段を拭き掃除。
足など、まだ痛いが、期限なのでがんばる。
完全撤収だ。
事務局に鍵を返して終了。
桜の季節で世間はとても華やいでいる。
大岡川には桜見物の船がひっきりなしに遡上してくる。
ロックウェルズへ寄って、美味しい刺身の盛り合わせと泡盛、そして日本酒。
深夜、コラムのゲラ10本をFAXで戻す。
家でないと(電話回線がなくて)FAX送れないので。
原稿フィーダー付のスキャナー(兼FAX)も家にしかないので、結局、FAXが楽というわけ。
コラムはゲラも現物をレターパックで送ってもらっている。
月に30本あると、ファイルだと処理済みと処理前のタスク管理が面倒。現物だと未処理分は常に封筒に入れて持ち歩くことでタスク管理ができる。
毎朝、「今日は**と**と**をしてください」と命令してくれる秘書が欲しい。(事務的なことは苦手なのに、会社員の時は出世が早かったので、割りと早くから秘書がいて、楽だった。いまは、社長兼小づかいさんだからなんでも自分でやらないと。ふう。)
黄金町地区のアーティストの一斉オープンスタジオ。
午後一時半過ぎ、まちあるきツアーのご一行様。
その他、知人の訪問、二組。
明日、日曜日も。
新事務所へあらかたものを移す。
1部屋だけは仕事もできるようにした。
明日から、黄金町地区のオープンスタジオなので、新事務所を公開する。
1階は、著作の展示スペース。
新事務所でIKEAの机2つを組み立て。
3往復荷物運び。
1階の展示室に少し本を並べてみた。
あとはエッセイを書く。
ロックウェルズの500円定食の日だということを忘れて、伊勢佐木町の「てんや」へ行ってしまった。
毎月18日は「てんやの日」だそうで、390円のサンキュー天丼というのが食べられたので、それはそれでよかったかもしれない。
チョイモビで出勤。
わりとふつうに歩くことができる。いい感じの回復力だ。
現事務所と新事務所を何回か往復して3階分の階段を何度も上り下りしても特に痛みはない。
ただし、しばらく椅子に座ってじっとしていると、立ち上がる時に筋肉が固まっている感じ。
朝までかかってコラムの原稿10本を仕上げる。
終わったのは3時半頃だったが、事務所でゆっくりしていたら午前6時を過ぎてしまった。
そろそろ通勤の人が動き始めている町を、歩いて帰宅。
歩くのが大変なので、出勤は取りやめて、近所のドトールで仕事など。
幸いなことに、関節などの故障は極めて軽微。
午前6時半起床。いよいよ3回目のフルマラソン。
7時に食事、ご飯2杯。
よかった。どうやら雨は降らないようだ。
窓からスタートラインに並ぶランナーが見えている。
スタートの列が自宅のすぐそばなので、荷物預けもせずに、自宅で着替えて、直接、スタートライへ向かう。
スタートは8時30分だが、ラインに並ぶタイムリミットは8時。
スタートブロックで待っている時間が寒い。僕はわりと厚着で出てきている。暑くなったら脱いで背中のバッグに入れて背負って走るつもり。なので、背中のバッグはほとんど空だ。脱げるように、ゼッケンはビブに付けて上から着ている。後ろのゼッケンはバッグの下に付けている。
タイムリミットは6時間半だが、スタートまでに何分かかるかわからない。6時間では走れるはずだけど、スタートまでにかかる時間によって余裕がなくなる。途中に関門がたくさんあって、最初に大きく遅れるわけにもいかない。
金曜日にマッサージを受けたので、体調はよい。
8時半、いよいよスタート。
大会アンバサダーの剛力彩芽さんのいるスタートラインを切ったのは、およそ20分後。
つまり、6時間10分で走ればタイムリミットにかからずにゴールできる。(ただし、途中にも関門はある)
みなろみらい大橋のスタートから、元の自宅のあるポートサイド地区へ向かい、箱根駅伝の2区にあたる国道16号を少しだけ走って、すぐに横浜中央卸売市場へ。旧我が家をぐるっと回る感じ。
そこからもう一つの橋でみなとみらいに向かうと、正面に現在の自宅が(ほぼ)見える。
パシフィコの前当たりに妻がいるかな、と思うけど、沿道の人が多すぎてわからない。ランナーも多いから、妻の方から見つけるのも難しいだろう。
そのまま山下公園前を通って、本牧方面へ、ペースはキロ7分を目安に走る。
ふだん5kmで出て来る腰痛が出てこない。マッサージの効果か。
キロ7分ペースが維持できている。16km過ぎ、右膝が痛み始める。
左膝と右足首が痛くなるのが普通なのだけど、新しい症状だな。
どんどんひどくなるか、やがて痛くなくなるか。
折り返し地点まで膝の痛みが薄くなるが、また出て来るという状態。
後半のために少し歩いて休もうかと何度も思うが、キロ7分をキープするのが苦痛ではないので、1度、ストレッチのために止まった以外はそのまま走ってしまうことにする。
横浜マラソンは「ラッキー給食」という地元の食べ物が給水所にあると宣伝されていたのだけど、僕らが立ち寄る時間には、最後までどの給水所にもそういったものはない。在庫がなくなってしまっているみたいだ。
「わたしたちみたいの遅いランナーこそ、食べ物を楽しみにしているのにね」
と、話ながら二人で並んで走っている女性ランナーがいた。そうだ。そのとおりだ。
せめて、時間差をつけて、1時間後2時間後に給食を始める場所があればいいのにね。
産業道路を通行止めにして、コースにしているので、図らずもガソリンスタンドの価格調査ができる。(笑)
トイレはたくさんあるが、どこも20人以上ならんでいる。そう、トイレの行列調査も網羅的にしながら走る。マラソンではトイレの列に並ぶか並ばないかはとても大事なことなのだ。
トイレのことを考えるのがいやで、もうフルマラソンを走るのはやめようと思ったほど。今回は自宅で直前にトイレを済ませて参加できるので、あらためて走ろうと思った。
折り返しが近づいたところで、左足の裏が腫れてきているのがわかった。豆ができそうな感じ。
しばらく我慢して走ったが、意を決して止まって靴の紐を締め直す。緩くて靴の中で脚が動くとマメになる。締め直したら大丈夫そうになった。
右足の親指の関節も弱点なのだけど、痛みは出ていない。
右膝は、2度、痛くなり治りまた痛くなりと繰り返したあと、痛まなくなった。
折り返しまでキロ7分ペースを守ることができた。これがいちばん自然で楽なペースで、これより遅くしても得に楽にはならないので、後半までこのペースが続かないことは承知で走った。
このペースだと、呼吸器循環器はまったく苦しくない。たぶん脈拍150以下のはず。
(終盤、足がつってからも、走っている時間帯は7分を少しだけ超えるペースで、歩く時間と走る時間の割合が変わるだけ)
最初の「痙攣の予兆」は折り返し前に1回あった。
折り返し、ハーフマラソンの距離で自己最高記録が出たはず。前の記録は覚えていないので正確にはどのくらい速いかこの時点ではわからない。
折り返し後まもなく、首都高速道に入る。
高低差のある区間だ。
だが、問題は傾斜。自動車が高速で走りやすいようにバンクがついている。そこを走ると、つねに片方の筋肉にバランスの悪い負荷がかかるし、ふだん走るのと違うように間接が曲がったまま地面を蹴ることになる。
防音壁があるので、景色もたいして見えない。沿道の応援もない。
大会本部は「ふだん走ることのできない高速道路を走れます」と、宣伝文句にしているけど、冗談じゃない、走りにくくてしょうがない。何とか脚を壊さないように走るのに気を遣う。そんなコースが10km以上続く。こういうコース設定はやめてもらいたい。
傾斜のきつい区間ではできるだけ走るのをやめて歩く。真っ直ぐでアップダウンがあるのは傾斜よりずっと楽なのでできるだけ走る。
いずれにしても25kmから先は、毎度のこととして、脚の痙攣との戦いなので、少し走ってふくらはぎや腿の後ろがぴくっとしたら走るのをやめて歩きながら回復を待つ、という状況。
内臓にも負荷がかかっていて、水を飲むと気持ち悪くなる。
とはいえ給水は重要なので、少なめ少なめを心がけて、少しずつ摂る。
アクエリアスより天然水が元気が出るが、吸収はわるいかもしれないな、などと考えながら、給水所に寄ったり寄らなかったり。
というわけで、なんとか高速道路を走りきって一般道へ降りてほっとする。
その後は、海釣りタワーへの長くて退屈な折り返しコース。こういう場所では給水所や応援パフォーマンスが心の支えだ。
横浜Fマリノスの応援パフォーマンスは元気が出る。さすがだ。
だんだんと、「痙攣の予兆」の頻度が高くなってくる。本当に攣ってしまうと歩くのも困難になるけど、ピピッときて一瞬にして力を緩めるのが上手になっているので、攣りそうになるだけで、実際に攣りはしない。
そんなことを1キロの間に数回繰り返しながら、走って歩いて、歩いて走って、距離を刻んでいく。
周りのランナーたちも似たりよったりなので、走ると10人20人と追い越し、歩き始めると今度はたくさんのランナーに抜かれていく。延々とそれを繰り返すわけだ。
同じ人を追い越したり追い越されたり。
立ち止まってストレッチをする代わりに、踵を地面に付けたまま、大股で歩いて、明日の後ろを延ばす。
セクシーなスタイルで走っている女性。「盲ろう」というビブを付けて走っている男性と伴走の女性。
馴染んだ服装の人と一緒になったり離れたり。
お互いにそう思いながら、でも、だれとも口をきかない。でも、ああ、またこの人と一緒になった、と思っている。絶対に思っている。
どこの1kmも、できればキロ8分台、最悪でもキロ9分を保つように、GPSウォッチを見ながら、自分を管理していく。
実は、僕にとって、こういうところがマラソンのいちばん楽しいところかもしれない。
なので、GPSウォッチは必需品なのだ。
漫然と走ってもゴールには着くかもしれないが、不安が大きくなるし、自分と十分に対話ができなくて楽しくない。楽しいから走る。楽しくなければ走る意味がない。
退屈な15kmほどを、時計の数字をたよりになんとか過ごし、山師や公園までもどってくる。
行きはまだ観光客には早い時間で、あまり応援の人出もなかったが、走っているうちにもう昼時も過ぎて、おおぜいの人が沿道で応援してくれている。
応援の視線の中で、歩くのはなんとなく恥ずかしいけど、痙攣を起こす前に必ず走るのをやめなければならないので、応援のプレッシャーを跳ね返して走るのをやめる、という不思議で逆の行動もとらなくてはならない。
とはいえ、応援はありがたい。そして、ボランティアで大会を支えてくれている人たち。
赤いビブのドクターランナーにもたくさん会った。
自転車(Baybike)でAEDを背負って移動している救護の人たち。
完走時間が書かれたペースメーカーの人を見かけたのはスタート前だけだったな。
NTT東日本とかFANCLとかAMADAとかの企業の応援の人たちも、けっこううれしい。
無愛想に路傍に立って、エアーサロンパスを使わせてくれた人。
シルクセンターの前で見つけた版元の営業さん。(笑)
知っている人、知らない人、たくさんの人がそれぞれの思い出、横浜マラソン2015に関わっている。
赤レンガからワールドポーターズへ向かって最後の坂を下って上る。
あと1km。
グロスで6時間を切ることができる。途中、そういう計算をずっとしてた。それよりも大幅に縮めようとするとリスクが高まる。そういうのがいまの自分の体だ。
あと195mの看板。
ラストスパートをする。たちまち、「痙攣の予兆」が来た。
少しだけ歩く、10人くらいに抜かれている。
だましだまし、走り出す。
そういうのが巧くなっている。いま、完全に自分の体を知り尽くしている。
フィニッシュラインの時計が見えている。
5時間58分から59分に変わる。
5時間59分12秒、フィニッシュラインを越えた。
(腕時計を止め忘れて、時計はしばらく動いていたので、自分の時計のゴールタイムはわからない)
(スタートラインを切ってからフィニッシュまでの42.195kmのネットタイムは、5時間41分32秒。昨年の板橋シティマラソンよりも10分以上、いいタイムだった)
午前中、パシフィコでマラソンのエントリー受付手続き。
展示場でイベントをやっていて、ステージで、瀬古さんと谷川真理さんがトークをしているのをちょっと聴く。
いったん事務所へ出て、少し仕事。
野毛の行きつけの店で、たっぷり90分マッサージをしてもらって、筋肉の疲れを全部揉み出す。
3年前から使っているGPSウォッチのバッテリーが弱っている。
4時間くらいで切れてしまうので、僕の遅いマラソンでは使えない。
なしで済まそうと思ったけど、ペースが時々刻々分からないと走りにくいし、そもそも、数字を見ながら自分の体と対話をするのが、僕にとってマラソンを走ることの最大の楽しみだと思い至る。
というわけで、マッサージのあと、横浜駅へ出て、ヨドバシカメラでGPSウォッチを購入。
機種は、Epson WristableGPS SF-710S 。
あとは久々に湯船に湯を張って入浴。たぶん今年初めてだ。
新事務所のトイレ掃除。
水で流しても臭いが消えないので、洗剤をまいて床を擦って水を流すこと数回。