月別: 2012年6月

度付きサングラス

 加齢と共に飛蚊症が進んでいるのを感じる。
 目は、仕事の上でも重要なので、ちゃんとケアしないと。
 ヨットに乗ると横や下からの反射光も目に入ってくるしね。
 というわけで、まずはちゃんとしたサングラスを買おうと決心。
 近所にできたスポーツサングラス屋はオークレイなど高級ブランドばかりなのと、偏光レンズでインナーフレームの取扱がない。
 出勤前に横浜駅周辺を見てまわろうと、Baybike でベイクォーターまで。
 とりあえず3階の眼鏡屋をのぞいたら、いきなりリーズナブルな値段で望んでいるものがあり、納期も1週間だというので、そこで作ってしまいました。
 ユニクロの700円サングラスから卒業です。(笑)
 あ、ずっと前に作った度付きサングラスもあるのだけど、カーブのついたスポーツサングラスではないので、横から光が入ってレンズの内側での反射光が目に入るのだ。
 

パソコン復旧

 妻もイタリアから一時帰国してきたのでYCATへ迎えに出る。
 結局、パソコンの復旧に昨日まで5日を要した。
 原因は二ヶ月分の windows update の自動更新による再起動と、自動バックアップが同時に起こり、うんともすんとも動かなくなり、シャットダウンもできないので、電源を落としたら、案の定、システムドライブとバックアップが書き込まれていた外付けDドライブが不整合を起こしてしまった、という感じ。
 肝心のバックアップファイルが真っ先に壊れているので、かなり復旧に苦労した。
【教訓】
 windows update もバックアップも、Microsoft が推奨するとおりに自動でやらせてはいけない。
 オートバイの月極駐車場料金を払い、バッテリーを外して家に持ち帰った。
 アマゾンから届いていた充電器で充電。
 またこの先、二ヶ月乗らないから。
 あいかわらず食材もないので、近所へ刺身を食べに出る。
 それにしても、新しくオープンしたセントラルタワーの飲食店1階の店は庶民的でコストパフォーマンスがいいけど、2階はあいかわらず勘違いの高級店たち。
 絶対にうまくいかないだろうなあ。
 みなとみらいは高級店が成り立つ町じゃない。
 クイーンズ・スクエアもランドマーク・プラザもテナントの入れ替わりが激しい。
 デートスポットではあるので、一生に一度、経済的に背伸びをして金に糸目を付けない人もいる結婚産業だけは成り立つけど、大人向けの高級店は成り立ちませんよ。
 みなとみらいに「働きに来ている人」はふつうの会社員。
「住んでいる人」は、企業のリタイヤ組か共働き家族が中心。
(ようするにサラリーマン中心で、それに知的専門職の人たちが加わる感じ)
 タワーマンションがあるからといて、そこにバブリーな人が働いたり住んだりしているわけじゃないので、お金の使い方は堅実です。
 マンションの理事会に参加していたからよくわかるけど、多くは「知的レベルが高く良識があって、その結果、会社員としてはそれなりに成功した人たち」なので、たとえお金に余裕があっても1万円のコース料理を頻繁に食べたりはしない。
 マンションの人たちが食事に行くのは「大戸屋」や「阿里城」です。
 そういうリーズナブルな店が増えればそれぞれに流行ると思うけど、高級ぶっている店はまったく需要がないです。
 そのあたり、観光地としてのみなとみらいとタワーマンションのイメージで、実需を見誤って参入してくる事業者が後を絶たないのだけど、そういうお店はどのお店も閑古鳥です。

イタリア生活で身体が変わった?

 イタリアに二ヶ月滞在して日本に戻ってきた。
 4日経って、自分の体の変化に気づいた。
【体重が2kg減った】
 西洋の食事といえば、「肉と油」のイメージだけど、実際には動物性脂肪といえばバターくらいだった。
 ほとんど肉は食べない。
 タンパク質といえば、チーズとか卵とか魚だ。
 そして、安くて種類も豊富な野菜をたくさん食べていた。
 脂肪分はオリーブオイル。
 夫婦二人で二ヶ月の間に、700mlほど消費した。
 500mlの大きなビンがなくなってしまったのにびっくりした。
 であるのに体重は減った。
【お腹が空かない】
 日本で日常生活を始めて、お腹がすいてご飯を食べる、という感覚がなくなった。
 腹が減らないので、気づくとずいぶん時間がたっている。
 今日も、気がつくと午後11時だ。
 それでも腹は減っていなかった。
 時計を見て「食べるべきだ」と考えて食べる。
 不思議だ。
【日本の食べ物がおいしくない】
 外国生活を送ると、日本の食べ物が恋しくなる。そう思っていた。
 帰国して、普段食べていたものを次々に食べている。
 カレー、お茶漬け、蕎麦、餃子、ラーメン。
 何の感動もない。
 日本食を食べたら、美味しくてうれしくて感動するものだと思いこんでいたけど、以前に食べていたときほど美味しく感じない。

打合せ

 パソコンのトラブルに関わっている間に午前2時になり、まだ夕食を食べてなかったので、吉野家でうな丼を食べて帰ってきたらサッカー EURO 2012 のイタリア対イングランドの試合が始まり、それがよりによって延長線でも決着が付かずにPK戦になってしまったので、寝たのが午前6時。
 朝昼兼用に今日はイタリアで食べていたような、ハムとチーズとレタスとトマトのサンドイッチにしたら、とても美味しかった。
 すっかり、味覚がイタリアになってしまっている。
 そういえば、日本へ帰ってきて5日目になるけど、味噌汁とご飯みたいなのを食べていないや。さけているわけではないけど、特に食べたい気持ちもない。
 夕方、K事務所の編集さん来訪。
 ちょっとした行き違いで明日だと思いこんでいたので、一瞬あわてたけど、結果オーライ。
 改稿の方針について討議。

帰国

 家に着いたら、荷物を開いて、シャワーを浴びる。
 冷蔵庫になにもないので、期限が迫ったインスタントラーメンなどを食べてみる。
 近所へ出てみると、みなとみらいグランドセントラルタワーというのが僕がイタリアへ出てまもなくオープンしたらしく、飲食店や物販の店が入っていた。
 事務所のようすが心配なので、黄金町へ出向く。
 3月末で再開発のために引き渡された日ノ出町の竜宮美術旅館を始めとする一角はすでに更地にでもなっているかと思いきや、ほとんどそのまま残っていた。
 二ヶ月ぶりの仕事場は、締め切ってあったにもかかわらず、黴びるでもなく何もかも無事だった。めでたしめでたし。
 家に帰っても食べる物がないので、「聚香園」で夕食をとり、「華」へ立ち寄って帰宅。
 時差ボケでなんとなくぼんやりした一日だった。

航空機の技術の進歩

 帰国便はスイス航空。
 ベネチアからチューリッヒまでエアバスA320。
 チューリッヒから東京まではスイス航空のエアバスA330ー200。
 僕が頻繁にアメリカを往復していた1980年代から90年代初めには、機材はボーイング747ー400あたりが全盛だった。
 いまでは、その頃と比べて、内装の装備は格段に進化していて、エコノミークラスでも席の前それぞれに液晶ディスプレイがあり、ビデオオンデマンドがあったり音楽のチャンネルも豊富にあるのが当たり前になっているようだ。
 一方、窓の外にある主翼を見ても大きな変化がある。
 航空機の外装の工作精度が1980年代の物と比べて格段に上がっている。
 かつて、窓の外から翼を見ると、リベットは出っぱっていたし、主翼はジュラルミンの板を貼り合わせた痕跡がはっきりとわかる物だった。精度も悪く翼の表面は波打っていたし、フラップはきれいに揃わずに微妙に暴れていた。
 ところが、A320もA330も、翼がとても滑らかで精密につくられている。
 翼の形は、多分、設計された形に極めて近い。
 形を見るだけで揚力が計算値に近く、空気抵抗が小さくなっていることがわかる。
 ヨットの帆(飛行機の翼を水平でなく海面に垂直に立てたのと理論的には同じ働きをする)でいうと、ツギハギの布で作ったセールと、カーボン繊維やラミネート素材を駆使して一体成形でカーブをつくった縫い目のないセールほどの違いがある。
(腕前以前に経済上の問題で、我が艇とトップレーサーではセールを見上げただけで推進力に雲泥の差があるのが一目瞭然だ)
 空気の壁を切り裂いて高速で飛ぶ航空機は、ほんのわずかなリベットの頭ひとつの出っ張りの空気抵抗が馬鹿にならないし、揚力を産むべき翼の工作精度が悪いと、揚力が十分に発生しないで逆に抵抗が増える。
 この20年の航空技術の進歩が、飛行機の翼の形に表れている。
 航空機のことは詳しくないけれど、A330も翼の前の部分と後方のフラップなどの可動部分の他は、カーボンファイバーでできているのではないかと思うような、ほとんど継ぎ目の目立たないきれいな翼の形をしている。
 しかも、気流の変化で機体が揺れるときの翼のしなりも小さい。つまり固そうに見える。
 三菱レイヨンとか東レとか、相当大きなカーボンファイバーの構造物を作れるのではなかったっけ?
 チューリッヒから東京(成田)までは、スイス航空のコードシェアのエーデルワイス航空。
 初めて乗ったけど、サービスも必要十分で食事も美味しかった。
 運よく空いていて、隣の席が空いているので、エコノミークラスの窮屈さもない。
 なんとなんと! プロセッコがあったので喜んで頼んだ。
 いま、機内でこれを書いているのだけど、一昨日はキーボードを打っても痛んだ肩が、わりと収まっている。
 というわけで、帰国しました。

事件発生!

(写真はあとで改めて)
 ベネチア発チューリッヒ行きのスイス航空は14:40発。
 問題はベネチアと本土を結ぶリベルタ橋がトラムの建設で工事中だということ。
 今月から始まって18ヶ月間かかるという。
(イタリア人はだれも18ヶ月で予定通り完成するとは思っていないみたいだけど)
 空港までのバスは乗れば30分かからないけど、工事の影響が読めない。
 Alli Laguna という会社の水上バスで空港に行けば影響は避けられるが、そもそも時間がかかる上に値段が二十数ユーロ。バスなら5ユーロ。
 というわけで、10時半過ぎに家を出る。
 まるで遠い遠い成田空港に行くみたい。
 バス停のある Piazzale Rome は徒歩で15分ほどだが、荷物があるので、San Stae から水上バスに乗る。水上バスは観光客なら7ユーロだが、住民向けのカードに回数券をチャージして使えば1回あたり1.1ユーロで乗れる。
 バスは思いの外順調。
 おかげで、早く着きすぎて、まだチェックインカウンターも開いていない。
 空いている椅子を探して時間つぶし。
 チェックインまもなく列に並び、荷物を預けたところで食事。
 Panino Romanha とビールで9ユーロ。
 どうやら空港は、標準的な飲み物が、X.10ユーロ、食べ物がXI。90ユーロに統一していて、一緒に頼むと端数が出ないようになっている。
 なるほどね。
 セキュリティゲートの外にはほとんんど何もないので、ゲートをくぐる。
 いつものようにコンピュータはバッグから出して、別にトレイに載せる。電子辞書と携帯電話、あとは金属探知機を通れないユーロの小銭。
 そこで事件は起こった。
 トレイから小銭と電子辞書とコンピュータを出してカバンにしまおうとしたその瞬間……。
 カバンがない。
 似たようなリュックサックが残っている。
 しばらく待ってみるが自分の荷物が出て来る様子はなく、残ったカバンを取っていく人もいない。
 これは大ピンチ!
 パスポートも搭乗券もバッグの中だ。
 14時40分までにこの問題が解決しないと、僕はベネチアから動けなくなる。
 間違えてもっていった人間が気がつかないまま、飛行機に乗って世界のどこかへ行ってしまえば、どんなに早くても問題解決にに数日かかるだろう。
 もどってこなければ、パスポートの再発行のために領事館か大使館のあるところまで行かなくてはならない。
 それは、ローマか、ミラノか。
 海外にいるときには、現金10万円を盗まれるよりもパスポートをなくすことの方がダメージが遥かに大きいのだ。
 それがまさかセキュリティ・ゲートで起きるとは。
 クレジットカードやキャッシュカードを無効にして、また再発行するためのうんざりする手続きの山が頭をよぎる。
 カメラももどってこないだろうなあ。幸い写真はすべてパソコンにバックアップしてある。
「自分のバッグがない。ここに似たバッグが残っているので、誰かが間違えていいったと思うのだが」
「それはあなたのではないってことか?」
「そう。僕のじゃない」
「なるほど」
「このカバンの中に何か持ち主の手がかりになる物があれば、その持ち主を放送で呼び出してみてもらえないかな」
「そうしよう」
 係員がカバンの中を探し始める。
「間違ってもっていった人が飛んでしまうと困るんだ。僕はこれから日本へ帰らなくてはならないから」
「大丈夫みたいだ。パスポートが入っていた。パスポートがないと飛行機に乗れないから」
 まあ、一安心。
 係員はどこかへ電話をして、パスポートを見ながら名前を読み上げている。
 これで解決すればいいが、見つからなかったときの「イタリア当局」の絶望的な対応の遅さを思って、呆然とする。
(まあ、小説家というのはこういうのもネタになると思って、どこかで楽しんでいるのだけど、買ったチケットは使えなくなるから、10万円単位のお金が無駄になることは覚悟する必要がある)
 待つこと5分くらいだっただろうか。
 小太りのライトブルーのポロシャツの男が係員にともなわれてやって来た。僕のカバンを肩にかけている。
「似てるからね」
 それからはお互いに自分の鞄の中身を確かめる。
(向こうがこっちを疑うのは筋違いだが、当然必要なことだ)
 パスポート、クレジットカード、搭乗券。オーケイ。
 おもえば僕の後ろにいたドイツ人、すごくせっかちな感じで、なんども列から横へはみ出して、前をうかがっていた。
 出発時刻が迫っていたのかもしれない。その後、彼が自分のフライトに乗れたかどうかはわからない。
 もし荷物を預けていれば、荷物を積んで持ち主が乗らないフライトは、(荷物が爆発物である可能性があるため)荷物を降ろすまで絶対に飛ばないから、飛行機自体の出発が遅れたかもしれない。
 係官に礼を言ってその場を後にする。
 早めに出たことが災いしたのか幸いだったのかわからない事件。
 と、ほっとしたのも束の間だった。
 アパートに残っている妻に出発前に電話しようと思ったところが、今度は電話機がない。
 金属探知機を通過する前に、パソコン、電子辞書、小銭、それらと一緒にポケットにあった携帯電話もトレイに入れたはずだ。
 小銭は出したのだけど、途中でカバンがないのに気づいて、携帯電話のことを忘れていた。
 動揺して注意散漫になった。さっきのは間違えてもっていった男のミスだけど、今度は僕自身の失敗だ。
 というわけで、こんどは僕がセキュリティチェックの場所に後戻り。
 すると、さっき面倒を見てくれた係官と目が合って「電話だろ?」。
「そうそう」ってわけで、無事に電話も手元にもどった。
 飛行機や空港のセキュリティを守るセキュリティチェックのエリアが、僕にとってはいちばん
セキュリティが低い場所だったというわけだ。
 教訓。
 手荷物検査機のベルトコンベアに入れるときは、カバンを先に入れてコンピュータは後に入れるべし。
 じゃあ、コンピュータが似ていたらどうする?という問題はあるが、僕のノートパソコンは、Windowsマシンであるパナソニックのレッツノートに、アップルのリンゴのマークのシールが貼ってあるので、そうそう似たものはない。
(そういえば、昔、ホンダのバイクのタンクにヤマハのシールを貼っていたら、ホンダの修理工場でヤマハのバイクだと思われたことがあった)
 サムソナイトのスーツケースも、昔々、成田で間違えて持って帰られたことがあり、それ以来、ベタベタとシールを貼ったりして、他に似たスーツケースがないようにしている。
 思えばその教訓が活きていないことになるけど、手荷物検査は盲点だったなあ。

スカイプで会議

 朝起きると、肩が痛くてあまり動かすことができない。
 1年前にケガをして傷めたのとはちがう、関節というより筋肉の痛み、という感じ。
 が、しかし、症状としてはケガをした直後よりも深刻。
 これはいままでとは関係なく始まった、いわゆる五十肩ではないか。
 原因はわからないが、とにかく、明日、帰国するにあたって、荷物を持たなくてはいけないのに最悪のタイミングだ。
 はてさて、日本は台風で大騒ぎになっているらしい。
 イタリア時間午後0時30分、日本時間午後7時30分、東京では多くの会社が早期帰宅を呼びかけて社員を帰しているという情報が伝わってきていた。
 こちらベネチアはカンカン照りの夏の日差し。
 サンジャコモ広場の Al Prosecco のテラス席でパソコンを開いて、東京の出版社の編集さんとスカイプで電話会議。
 議題は、先ほど提出した長編の第1稿について。
 およそ30分ほど電話で話し合う。
 通信に使ったデータ量はおよそ40MB。YouTube の動画だと2分くらいのデータ量に相当する。
 次回打合せは26日に横浜で。
 その後は、大学の方でT教授とランチをしていた妻と Piazzale Roma で待ち合わせをして、バスでメストレへ買い物に。
 明日は空港へ行くので、リベルタ橋の工事のバスへの影響を事前調査を兼ねる。
 路線番号4Lのバスで20分ほどでスーパーマーケットPAMの前の停留所に着く。
 工事の影響は僅少。だけど、明日も荘だとは限らないのがイタリア。
 ベネチアにはない豊かな品揃えを楽しみつつ、留守中のことを頼んだ人へのお土産などを買う。
 もどってきた Pazzale Roma のバールでトラメッツィーノとプロセッコがこれまたターミナルとは思えぬ品質で美味。
 用事を済ませて、早々に帰宅し、午後8時前、改めて外出。
 ベネチア滞在1期最後の日なので、バーカロでチケットしようという趣向。
 歩いて20分だけど、暑いので、S.Stae から Academia までVaporetto で待ち時間入れて30分で、Gia Schiave へ。
 ここは、ワインも売っているバール。
 つまみ(チケット)が1ユーロと安い。
 二人でプロセッコ2杯とスプリッツ2杯、それにチケット4品で12ユーロ。
 ちょっと遠回りに散歩をして帰宅。
 あとは自宅で夕食を摂った後、帰国のための荷造り。
 必要な物はベネチアのアパートと自宅にそれぞれあるため、今回の帰宅で持って帰るべき物は、ベネチアで必要ないと判明したものと、こちらで買って帰るものだけ。
 したがって、実は荷物があまりない。
 肩の周りの筋肉をマッサージしてもらって少しよくなった。

エスケープ

 まもなく一時帰国なので、その準備を始めている。
 日本滞在は一ヶ月。新刊のキャンペーンが主な目的だ。
 沖縄が舞台の小説なので、執筆に協力をしてもらった人たちにお礼を兼ねて沖縄に行くことも検討。沖縄での販売促進キャンペーンも。
 黄金町のイベントも2回つづけてお休みしているので、参加しなくてはならない。
 ヨットにも乗りたい。
 編集者との打合せもある。
 イタリア滞在中の会計処理をするとか、銀行の残高を確認して次のイタリア滞在期間のために資金を移動しておくとか。
 そんな主だったことに、その他の細かなことを evernote にリストアップ。
 日本にいるあいだに、眼鏡をつくるとか、歯医者に行くとか、髪を切りに行くとか、しばらく放ったらかしでまたその後も放ったらかしになる車やオートバイのバッテリーの心配とか、治らない肩のために整形外科に行くとか、毎年8月にある矯正歯科の年次チェックを済ませておくとか。
 そうした雑事の間に、長編の改稿。
 そして、書店周りとか、サイン本とか色紙の作り込みとか。
 イタリアにいるときは、基本的に執筆と生活だけで、その他のことは、してもしなくてもいいことばかりだけど、日本に帰るとしなければならないことがたくさん待ちかまえている。
 よく「海外にいると大変で、日本に帰ったらゆっくりできる」というように言われるのだけど、それは逆なのだ。
 シリコンバレーと東京を行き来していた、人生で一番忙しかった時も、何時間も誰にもわずらわされない飛行機の中とか、時差で日本が眠ってしまっている時間とか、そんな時間が、日頃の忙しさから解き放たれた貴重な時間だった。
 いま、イタリアで、そういうエスケープの時間をまとめて何ヶ月という単位でとっているわけだ。
 夜、8時半から、テレビで EURO 2012 イタリア代表のサッカーの試合を見る。

丹波哲郎と浜美枝がイタリア語を話していた

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 3G wifi ルーターを装備したのをいいことに、自宅で夫婦していろいろと調べものを始めてしまう。
 あっというまに24時間を待たずしてデータ量は500MBを超える。
 月当たり10GBでそれを越えると 32kbps に通信速度が落ちる契約なので、このままだとスカイプ会議をやらなくても20日しかもたない。
 TIM からいろいろ SMS が飛んでくるのと、契約がどうなっているか確認しようと TIM のサイトを調べまわっていると、大量にイタリア語の文章を読む羽目になって四苦八苦。
 中学生以下の学力で、契約書みたいなものを読むのだから大変です。
 あっというまに午後4時過ぎになって、あわててメストレへ出かける。
 自分で調べたルートとは違う、人から聞いたバス路線でメストレのチェントロを目指すが、「*番のバス乗ればチェントロに着くわよ」というレベルの情報では、そもそもチェントロを見たこともないわけで、降りる停留所名を聞いてこないから降りられず、どうやら通り過ぎてしまったらしいと思ったときにはすでに1kmほど離れた場所だった。
 女性同士の会話はファジーで役に立たないなあ。
 僕の調べたとおりに行けばピッタリの場所につけたのだけど。
 午後5時とはいえ、高緯度地方の強烈な日差しの中を日焼け止めを塗るのを忘れて iPad に地図を表示させてチェントロらしき場所を目指す。
 突然、美しいアーケードを見つけた。
 人の少ない都会という感じ。
 しばらく歩いて、広場に出たところで、テラスで昼食(午後5時だ)。
 スパゲッティ・カルボナーラ。
 カルボナーラというのはクリームとベーコンと卵のスパゲッティだけど、カルボナーラとは「カーボン」つまり「炭」のことで、白い料理の最後に上からかけた黒胡椒が炭みたいだからカルボナーラと呼ぶのだけど、このカルボナーラにはカーボンが見えない。
 味は悪くないのだけどねえ。
 というわけで、本場イタリアがいつも正しいわけじゃないという話。
 本場が正しくないと言えば、スパゲティといえば「アルデンテ」が美味しいと、いまや日本人の誰もが知っているけど、観光地ベネチアではわざわざ「アルデンテで」と言わないとアルデンテのスパゲティは食べられない。
 アメリカ人が「芯がある」と文句を言ったりするから。
 いつぞやは、テラス席でアメリカ人のオバサンが出てきたスパゲッティを食べる前に、皿の上のすべてを長さ3センチほどに切り刻んでいた。
 ベネチアというのはそういうところで、アメリカ人というのはそういう人たち。
 ベネチアに日本人観光客はほとんどいないかわりに、中国人観光客はそれはもうすごい人数。
 日本人を見かけない日はふつうにあるけど、中国人は毎日100-300人くらいは軽く見かける。
 中国人の観光客はおよそ3つのタイプ。
 1)男性が多い団体ツアー
    あまり豊かではなく、服装もダサく声が大きい。
    大家族の親戚を挙げての旅行もある。
    かつての日本の「農協さん」のツアーに近い
 2)若いカップル
    夫婦だと思うけど奥さんはたいてい美人
    都市部の金持ち階級らしく女性の方は服装もお洒落
 3)若い女性のグループ
    大学生くらい二十歳前後の女性の2-5人のグループ。
    服装はけっこうお洒落。
    サングラスを頭の上に載せる子が多い。
    娘たちだけでヨーロッパまで旅行に出す親がたくさんいる。
    おそらく上海あたりの金持ちのお嬢さんたち。
 どのタイプでも中国人男性のファッションはダサい。
 髪型が坊主頭が伸びた感じの短髪で整髪料を使っていない。
 人民解放軍から退役したまま、という感じ。
 ただいまのところ、言語以外で中国人を区別する最大の見分け方。
 日本の凋落と中国の経済力を同時に感じるベネチアです。
 中国人全体はまだ貧しいけれど、人口が多いので「一部の金持ち」が一億人くらいはいる。(なにしろ少数民族で100万人という国だから)
 数年前に自家用車を買う財力のある中国人は日本の人口を超えている。
 遅いランチの後、少し歩くと、まもなく目的地のひとつであるショッピングモール Le Barche を発見。
 まっさきに地下のスーパー PAM に入って、イタリアでしか売っていない一般食材を大量購入(日本へのお土産だったり)
 その後、各階のフロアの半分ほどを占めるデパート COIN の5階(イタリアでは英国と同じく地上階は1階ではなく0階なので日本式の言い方では6階)の家庭用品売り場でボウルを購入。
 これでラーメンをたのしく食べられる。
 最上階の本屋で観光地図でないふつうの地図を買う。
(観光地図にはメストレが載っていない)
 隣接するカフェでスプリッツを飲みながら休憩。
 どこの国も本屋はいいなあ。ほっとする。
 夜、テレビで浜美枝と丹波哲郎がイタリア語をしゃべっていた。
 むかしむかしの「007」の吹き替え。
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