足の痛みがかなり頻発するので、とにかく整形外科へ。
レントゲンで確認。わずかだが、一箇所、背骨の間隔が狭くなっている。
1週間分、薬を出してもらう。
この医者、直す気がないというか、治療の方向付けがないのだ。リハビリに通ってくれば自動的に診療報酬が入るという構図。とはいえ、リハビリの人たちは優秀だし、待ち時間が少なくて便利なので、こちらで考えながら「リハビリショップ」だと思ってそれなりに利用すればいいと思っている。
唯一の問題は、家で座っていれば痛くないが、リハビリに行くには足が痛くなるのをガマンして行かなくてはならないという相反する事項。
午前10時30分、愛艇
秒速6m前後の風の吹いたヨット日和。
順調にベイブリッジを目指し、港内にはいるためにセールを降ろして橋をく
ぐる。
その直前でホクレア号の伴走艇カマヘレとすれ違う。
この時間にカマヘレとすれちがうということは、カマヘレが出てきた方向にホクレア号がいるということだ。
朝、鳥が飛ぶのを見たら飛んできた方向に島がある。夕方、鳥を見たら飛んで行く方向に島がある。
ホクレア号の用いた古代航法と同じ理屈。
(もちろん、それ以前に、僕はホクレアがそこにいることを知っていたわけだけれども)

大桟橋にさしかかると客船「にっぽん丸」がちょうど出航。
ぷかり桟橋到着は12時少し過ぎ。
ホクレアからは昨日まで取りつけてあったブルゴーニュ色のセールが外されていた。近くへ寄ると、すでにいろいろな安全備品や生活用品などが取り外されていて、ずいぶんとスッキリしている。一言で言うと、生活感がなくなっているというか。
クルーたちは、名残惜しそうになんとなくまわりにいる感じ。作業はごくごくゆっくりと行われている感じ。
同じことを考えるヨットがいるもので、ホクレアの反対側にはすでにヨットが2杯繋留してあり、ホクレア側にも
ちょうど左舷にいたホクレアの女性クルーに「今日は、キモはいないの?」と聞くと、「彼ならさっきまで居たけど」と。彼は明日帰るはずなので、もう会えないかな。
名刺を交換してメールアドレスもわかっているので、やりとりは続くと思う。
予定通りなら9月か10月にまた横浜に来るかもしれないと。


あとは、新山下へ入って、台船にもやって昼食。本日のテーマは、「ナポリタン」
美味しく食べて午後5時に帰港。6時間半、船に乗っていたのでけっこう疲れた。
Stella Maris はラテン語で「海の星」だから、ハワイ語にすると Hokukai または Hoku O Ke Kai 。

ホクレア号の見学会は今日が最後。
オフデューティだが、終了の時間目がけて、またホクレア号を見に行く。
強烈な日差し。




東京都美術館で「板院展」。
1952年に棟方志功が提唱してつくられた日本板画院の定期展で、今年で57回目。ようするに版画界の二科展みたいなやつだ。
新居の居間に妻が買った版画の作家(実は彼女が入院中に知り合った病院友だち)が今年も出展しているということで案内をもらったので出かけた。
ひえー、上野公園、梅雨だというのにやけに暑いじゃないか。
だいたい、ふだん見る画というのは現物ではないにしても一流のものばかり。となると、いかに伝統ある展覧会といっても毎年600点も選ばれるとなると、ほとんどのものには心動かされない。
けれど、最高賞の棟方志功賞作品は、ひと目、その部屋で群を抜く輝きを放っていて(ちなみに黒一色刷り)、近づいてみたら棟方志功賞というあんばい。
全然ちがいます。
魂を注いだ芸術と趣味の差が歴然。
二時過ぎに都美術館をあとにして、いったん駅前に戻って立ち食い蕎麦。冷やしタヌキそば400円。やっと朝食だ。うまい。
ついでだし、招待券もあったので、あらためて東京国立博物館へ戻って、レオナルドダビンチの「受胎告知」を見る。(入場20分待ちだけど許せる混雑度)
同じダビンチ展の第二会場へ行く前に、東洋館へ。ガンダーラの仏像が出色。レプリカでいいから、いい家に住むようなことがあったら欲しいと思った。
夕方、整形外科でリハビリ。

ホクレアの桟橋で、写真の説明をするキモ。
1975年のホクレア号建造の前から彼はプロジェクトに関わって写真を撮っている。
そして、写真を通じて、ハワイ人の文化と誇りを語る。
彼のそばで彼の言葉を通訳したり、ただ聞いていたりすると、毎回、新鮮な発見があり、なんだか自分の中にある種の「悟り」みたいなものが芽生えてくる。
彼だけでなく、ハワイ人はとても気高い。
よく晴れて世の中が光に満ちあふれている。
バイクでゆったりと走るのが気持ちいい。
夕方、整形外科にリハビリにいったら診療時間が過ぎていて断られた。そっか6時半までだったのね。いつも早い時間に行くから意識していなかった。
ホクレア号のクルーと話したことをなんども頭の中で繰り返している。
ひさしぶりに整形外科へリハビリに。
腰は治ったことになっていて、肩のリハビリだけのメニューになっていた。
肩も直ってはいないけど、ちかごろは腰の方が深刻なんだけどなあ。
理学療法士の人に話すと、マッサージは肩と腰の両方はできないが、腰の牽引ならできる、ということで、医師と相談してもらって腰の牽引を追加。
そのせいか、帰りはほとんど痛くなかった。
牽引で効くということは、昔流行った「ぶらさがり健康器」があればいいってことか。

本日はホクレア号で見学会の通訳。
寝坊して集合時間よりも10分あとに起きて、我が目を疑ったたけど、19分後には現場にいた。
フットサルより走ったぜ。
ホクレア号のまわりに集まっているハワイ人たちは個性豊かでありながら、それぞれに自分の自然観をもっていて、多くは共通しているものの、またそれぞれの自然への見方もあって、話をすること自体がとても楽しいし、こちらも、気持ちよくなる。
彼らはさんざん長い間船に乗って、辛い思いもしてきたはずなのに、桟橋に繋った船に居るのが好きで、用がなくても船を離れようとしない。行く先々の港について、その場で、ただ船に座って日が暮れていくのを待っている時間が例えようもなく好きな僕は、彼らの感じていることがとてもよくわかる。
帰宅後、メールをチェックしたら、先週送った短編について編集者のレスポンスが来ていた。ありがたい。


■NHK BS-2 「週刊ブックレビュー」で『D列車でいこう』が紹介されます
放送日時 6月24日(日) 午前8:00-8:54
【再放送】 翌・月曜日 午前0:00~0:54 (同日深夜)
予告は こちら でご覧になれます。
バイクでヨットハーバーへ行く途中から雨が降り始め、着く頃には豪雨。ついには雷まで鳴り出す始末。
18年間濡らしたことのなかった(地下室にずっとあったから当たり前だけど)バイクが濡れちまったい。
マストへの落雷がコワイし、船を出すコンディションではない。
雨が上がるまでクラブハウスでだらだら雑談。
午後1時過ぎ、雨が上がったので、他の連中は出て行ったが、僕は午後3時には船から上がらなくてはならなかったので、そのまま帰宅。(ようするにバイクで帰るための雨宿り)
帰宅後、遅めの昼食を摂り、着替えて「ナビオス横浜」へ。
午後5:30から、Hokule’a号到着歓迎レセプション。ホスト側の通訳のボランティア。ようするにクルーたちと話すことでもてなしたり、他の参加者の話を通訳して取り次ぐ仕事。
話をするのが仕事なので、グラスをもって立ってはいるものの、料理を食べるヒマはない。
午後9時、帰宅後、夕食。
夕方、多摩方面にて僕の著書のサイン会という名目のホームパーティ。
(実は20年くらいのつきあいの古い女友達の彼氏のお披露目?)
事前にお土産を入手する時間がなかったので家の冷蔵庫にあったオーストラリアのシャルドネをカバンに詰め、吉祥寺ロンロンでちょうどキャンペーンをやっていたチーズを試食してひとかたまり買って持参。
名目通り、ありがたいことに全員『D列車でいこう』を買ってくれていて、酔っぱらう前に全員の分にサイン。ふだんは持ち歩けないけれど、今日はサインをするとわかっていたので、Kさんに戴いた落款も持参して、サインの末尾に押捺。
夜11時前までワイン一人あたり1本と他にビールと焼酎などを飲んで辞去。
終電だったけど、ひと駅寝すごしてしまって、20分ほど歩いて帰宅。
脊柱管狭窄症か、座骨神経痛か、と思われる足の痺れがきて、途中、2度、座り込む。座り込むと一瞬で痛みがなくなるのは、まさにこの病名の症状に書いてあるとおり。最近、この症状があるのだけれど、しゃがむと瞬時に直るので、だましだまし生活しているけど、今週中に医者にかかろうと思う。
