事務的なことがあって集中できないので、池波志乃さんのエッセイ集「食物のある風景」(徳間書店)を読んでいた。
打合せの時に編集者からこの本の話を聞いていて、あとから送ってもらったものだ。
ところがなんでこの本を送ってくれたか、という理由を忘れてしまっていて、それで、たまたまなんとなく書棚から手にとって今日になって読んだわけだ。
志乃さんが育った下町の食文化の話ではじまっている上品なエッセイを静かに読んでいるうちに、志乃さんがいま半分は沖縄に住んでいるということがわかってきて、「ああそうだ、沖縄が舞台の小説を書いている」とTさんに話をしたので池波志乃さんの話になったのだと思い出してきた。
で、途中、志乃さんが女優をやめていまは社長になっているという話が出てきて、なんとそれは沖縄のミュージシャンを売り出すためだということで、それでもって、そのミュージシャンとはB-Tripperだということがわかった。
そのバンドのボーカル&ギタリストが武川勝太というのだけど、僕は彼がコザでやっていたバーに行ったことがあったし、前回、コザにいったときにも2回、彼の演奏を聴いたのだった。
バーをやめたのは本土で音楽の仕事をするようになったからだと聞いていて、なんと、それが池波志乃さんの仕業だったということなのか。
コザのミュージシャンの世界はとっても横のつながりが強くて、狭い世界といえば狭い世界ではあるのだけど、それにしても、徳間書店を経由して、こういう風につながるとは思ってもいなかった。
で、その沖縄が舞台の僕の小説だけど、また版元都合で延びて来年4月以降の発売になってしまった。 これに取りかかるつもりで、他の仕事の営業していなかったので、年内に少なくとももう1冊出したいという予定が急にピンチになってしまった。
ついテレビでグループサウンズの番組をそこそこ見てしまった。そこでGSを聞こうと思わずに、なぜか、ベンチャーズにいってしまう、本日のBGM。
グループサウンズは「女の子がきゃあきゃあいってるし、はやっているからやってみた」という中学生のくせに受け狙いでやったバンドだったのだけれど、その前、生まれて初めてバンドで練習したのは、小学校の6年のとき、1966年、ベンチャーズだった。
クラスの仲間がいきなりエレキを買ってもらった。
そこで、いきなりクラスメイトでバンド、となったわけで。
最初のうち、僕はエレキが買えないので、スチール弦のクラシックギターのサウンドホールにぺらんぺらんの安物クリスタルマイクを突っ込み、アンプに通して、ブリッジに近いところで弾くことで、エレキみたいな音を出していた。
このバンドで川口のゴーゴー喫茶のバンドコンテストにGSの曲で出たのが人生ギターをもって最初のステージだった。(中学一年生)
このときのドキドキの大人の世界初体験の物語はそのうち。
学校の文化祭のステージに立ったのは、それよりあと。グループサウンズをやるようになって、文化祭に出ようとしていたら、学校で「エレキは禁止」されてしまい、急遽、別メンバーでフォーク3人組「ザ・トーイチ」というバンドを作った。
エレキが禁止になったのは、どうやら女の子のバックダンサーが5人くらいいたのがいけなかったらしい。学校でも派手目の女の子が一斉にそろって、カラダくねくねしてたので、先生は看過できなかったんでしょう。
次の年(中学3年)には、エレキも解禁になって(でも、バックダンサーは禁止)、GSバンドでも出演しました。そのとき、うちのバンドのリードギターは、寺内タケシの「運命」も弾いてたな。(笑)
中学では、学校中でギターを弾くのは10人くらいだったけど、高校に入ったら、クラスの男子の半分くらいギター弾けましたね。 中学でスターだったのが、ふつうの男の子になっちゃった感じ。(笑)
定額制音楽配信サービス Napster がなかなかゴキゲンなので、つい物欲に駆られて対応プレイヤーの iriver T10 を買ってしまった。
512MBで十分なんだけどずっと品切れ。
1GBも品切れだったのが、急に直販サイトに出てきたので、衝動買い。きっと、品薄じゃなかったら買っていなかっただろうな。これぞ衝動買い。
最近、数千円から1万円くらいのプチ物欲が湧いている感じ。
使っている iPod Suffle よりもかなり音楽的な音がする。単三電池で53時間というのもうれしい。FMラジオもなかなか感度がよろしい。いい製品だと思う。
しかし、あまり外出しないので、よく考えるとこんなの必要ないジャン。(笑)
子どもの頃、家にコロンビアの電蓄があって、SPレコードがいくつかあった。
ベートーベン 交響曲第6番「田園」 ブルーノ・ワルター ウィーンフィル
ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 演奏家は記憶にない
これらは5枚組でそれぞれ一曲だった。 一曲聴き終わるのに何度もかけ替えるの。
その他に、モーツアルトの40番、41番なんかがあった。
レコードが回りながらアームが揺れるのが面白くて、盤面を見ながらよく聞いていた。
あるとき、この田園を聞きたくなって、探したらCDで発売されていた。なんと1936年の録音だ。
CDなのにスクラッチノイズがあるし、もちろんモノラルだし音は悪い。
仕事のBGMにワルターの田園を久しぶりにかけてみた。
最初「音が悪いなあ」とまず思うのだけれど、ずっと聞いているとそんなことは関係なくなっていつのまにか引き込まれているのだ。
ときどき不思議な懐かしさを感じる。どの田園ともちがう、幼少の記憶の奥にある田園だとしみじみ思う。意識しないでものすごく細部が魂の中に刻まれているのだと思う。
やがて、小学校4年で大阪の豊中に引っ越して、そこで初めてLPレコードのクラシックを買ってもらう。
カラヤン・ベルリンフィルの「運命・未完成」。
これも同じモノラルの電蓄で散々聴いた。なにしろ、他にほとんどレコードがなかったから、毎日家に帰ると裏表をそれぞれ二回ぐらい聴いていた時期がある。
たぶん、あらゆるレコードやCDのなかで、いちばん繰り返し聞いた曲だと思う。その前もあとも、これほど聴いた曲はない。
まだ家にあるけれど、擦り切れていて、音がシャアシャアいうし、針の重いモノラル電蓄で何度も聞いたせいで、ステレオ録音のはずなのに、音はほとんどモノラルになってしまっている。
仕事の予習で一日中”TOTO”聴きまくり。
iPod Shuffle の中もほとんど TOTO にしました。
最新アルバムは iTunes Music Store で買いました。
80年代のアーチストは、空白地帯なので、意外に新鮮です。
僕の70年代後半から80年代前半は長時間通勤と長時間残業で音楽聴いてる時間がなかったのです。乗り物に乗っている時間は眠る時間だったから、通勤路の車窓の景色すら覚えていないくらい。
布団で寝る時間と食費を削って音楽機材と音作りに費やしました。わずかな時間はそのなけなしの金で買った4chのマルチトラックレコーダーで、音楽を聴くよりもつくっていました。いま残っている曲は全然ないけど。
給料日前には、金がなくて鶏のレバーとモヤシと社員食堂の定食で生きていた。シンセサイザーやレコーダーに安月給をつぎ込むからシワヨセは食費に来るんです。エンゲル係数が低かった。(笑)
エンジニアの仕事は好きだったけど、仕事だけしている人生なんてまっぴらだと思って、平日はそうやって暮らし、たまの休日は体力の限界まで城ヶ島のディンギーハーバーに通いました。
仕事だけでも過労死しそうだったのにね。