昨日、エッセイを送り終え、とりあえず目の前の原稿は落ち着いたので、やっとこさ確定申告の準備。
昨年は、小説以外の仕事をほとんどしなかったので、大学卒業以来もっとも少ない収入(経費を除いた所得ではなく売上ベースで)。
というわけで、売上の入力は実に超簡単。
経費も、ちょこちょこっとめぼしいのを入れたらあっというまに非課税になってしまったけど、売れてきたときのためにちゃんと累積赤字を計上しておかなくてはならないので、もうしばらくコツコツ経理のオジサンをやります。
100円ショップで買ったクリアフォルダ105円を入力すれば、将来、税金が10円少なくなるのだ、と、ほとんど内職仕事ですな。(笑)
でも、ほんと10円を粗末にできる身分ではないので、お金は大事にしたいと思います。
ちなみに「総経理」というと中国語で社長のことだったような。
週末にかけて読み直し、修正をかけていた第三作。
朝、出版社に送りました。
さらには雑誌のエッセイの原稿を書き上げて送付。
これで、当面の原稿はクリアしたので、つぎは確定申告。
昨日、久しぶりにマラソンを始めから最後まで見ました。
高橋尚子さん、立派なアスリートであることはたしかだけれど、実際は2005年以来めぼしい成績を残していない。であるのにみんながどうしてそんなに期待するのかよくわからないのだけど、やっぱりダメでしたね。
彼女はプロなので、自分でダメだと思っていても、大丈夫な振りをして期待を引っ張るのが仕事です。そういう意味では、立派な仕事をしたと思います。
走り出してすぐにやっぱり北京はだめだと思っただろうけど、彼女の場合、走っていさえすれば映像には出るので、勝ち負けとは別にスポンサーの為にも走り続けるべきなので。
(実際、本人も完走したかったのだとは思いますけれども)
「マラソンのプロ」というのは、走って賞金をもらうというよりも、広告塔としての役割であるところが、野球やゴルフやテニスとずいぶんちがうところです。
昨年の負傷+手術というのは、別に彼女が特別不運なのではなくて、アスリートというのは、そうやって怪我と戦いながら生きていくのがふつうのことなので、なんかそれを賛美するような風潮はいやです。
マラソンを6時間かけて走る市民ランナーも、仕事が忙しいお父さんも、みんなそれぞれのレベルで「故障」と戦いながら同じようにがんばっている。高橋尚子さんのように光の当たる人だけががんばっているわけじゃない。 彼女と同じくらいがんばっている人は、ものすごくたくさんいる。
少なくとも何かに夢をもっている人は、ふつう、そういうふうに時分のためにがんばっている。高橋尚子が特別だとは僕は思いません。
彼女の場合、1998年から2002年まで、すばらしい成績を残していたということは、逆に肉体をぎりぎりまで酷使してきたわけなので、不運なのではなく当然の帰結として、故障することになって、それ以降は2005年に優勝はしたけれど、そこを最後にもうトップランカーとしては走れていませんでした。
すでに十分な成績を残したアスリートであることを評価するのは当然として、だからといって、結果がすべての世界でその後まで美化するのは、僕は好きじゃないです。アスリートを努力で評価するなら、彼女以上の人なんていくらだっている。
一方、スポーツタレントとしてみれば、実力がなくなってからも二年以上、(2002年から勘定すれば5年以上)これだけ商品価値を保っていたのは、プロとしてすばらしと思います。
アマチュアフットボールプレイヤーの僕は、右足首捻挫からゲーム復帰まで1年半かかりました。
腰の手術から6ヶ月経って、昨日は、仲間がゲームをしているところまで行って、フットサルコートの外で、一人で、走ったり、ドリブルの練習をしたり、ストレッチをしたりして別メニュー(笑)で調整していました。
全体に筋力がないので、機敏に動けないのと、足の筋力がまるで続かない。
ゴールに向かって何本かシュートを撃ってみたけど、全力では蹴れないし、体をひねって90度の方向に蹴るのはきつい。
アマチュアの特権なので、ゆっくりやろうと思います。
「あきらめなければ夢は叶う」
僕にとってはあまりにも当たり前のことで、ずっとそう思って生きてきているので、彼女を見ると、なんだかそういう説教臭さに反発してしまいます。
でも、彼女の言葉で実際に元気づけられる人がたくさんいるのは事実らしく、つまりそれは、「みんないろいろなことをあきらめて生きているんだな」ということであり、小説家としては、その「ままならぬ人生の切なさ」は大切に捉えたいと思います。
と同時に、あきらめてしまっている人の多くが、高橋尚子ほどの努力をしないであきらめている。
憧れていないで、自分が高橋尚子になれよ。
彼女の言葉や生き方に感動していないで、自分で努力して夢に向かって進めばいいのに、「Qちゃんから元気をもらった」なんていいながら、少しも努力をしない人がたくさんいるんだよね。
脱稿した歌舞伎町の小説は、野心(夢)を待つことで大きなものにつぶされる女性の物語です。
まだ読み直し中ではあるけれど、長編が一段落した。
全篇をプリントアウトしたときの厚みもなかなか達成感に一役買っていたりする。
暖かいので、自転車でポタリング。
まず、昔住んでいたポートサイド地区から、話題の(笑)コットンマム(2/29閉店)へ。
跡地にはテナントとして「プラザ栄光生鮮館」は入ると聞いていた。いってみると、3月15日オープンの大きな貼り紙があった。
外から覗いてみると、棚はそのままコットンマムのものを使うようだ。乾物もすでに一部並んでいたので、もしかしたらコットンマムの在庫をそのまま買い取ったのかもしれない。
コットンマムは中途半端な高級志向で経営破綻したけれど、生鮮館はむしろ逆方向なので、ビジネス的にはなんとかうまくいく可能性はあると思う。コットンマムは外から客を呼ぶ以前に、近所のコットンハーバー住人ですら利用率が低かったと思われる。
その後は、みなとみらいへもどり、臨港パークあたりをぐるぐると移動し、話題の(笑)プラザ栄光生鮮館みなとみらい店へ。
ここは、売り場がごちゃごちゃと狭くて買いにくい。この店のことをみな口々に「ひどい」とか「買いにくい」といっているし、僕もそう思う。
対するコットンマムは、「きれいでいいお店」という人が多い。
けれど、生鮮館は週末の夕方など身動きが取れないほど客がいるのに、コットンマムはガラガラだった。きれいですてきなことはよいことだけれど、みんな「まずは生活ありき」なので、結局、安くて山積みレイアウトの方がニーズに合っているというわけだ。
消費者相手の、しかも、日常の食料品を買う場所は、最低限のワンストップショッピングができた上で、付加価値として、「きれいで買いやすい」「買い物が楽しい」が望まれる。優先度が逆ではだめなのだ。
僕も、プラザ栄光で買い物するのは好きじゃない。コットンマムでの買い物は楽しかった。でも、どちらかひとつを選べといわれれば、必需品が安くそろうプラザ栄光がある方がありがたいのだ。
前に書いたことの繰り返しだけれど、コットンハーバーは地下鉄が張り巡らされた23区で働いている人たちではなく、京浜東北線や根岸線、あるいは横浜線沿線で働いている、製造業を始めとした勤労者世帯が多く、共働きかローンを返しながら子育てをしている、ごくごくふつうの人たちだ。
丸の内や六本木で働いている人たちではないし、給料の高い金融関係の人たち中心でもない。
というわけで、300円の社員食堂で昼夜2食を食べて残業に明け暮れて暮らしていた製造業出身の僕は、プラザ栄光生鮮館で「イワシのシソ巻きフライ」(100円)とか、タマゴ10個会員価格138円とか、豆腐68円とか、そういうものを買って帰宅。
夕食は、妻と野毛のフレンチレストラン「イグレック」で。
午後1時40分、(了)と打ちました。
490枚。
始めたのは11月4日だから、まるまる4ヶ月かかっちゃった。
まず、床屋に電話して予約。
片道歩いて早足で二十分。三ヶ月ぶりに行った美容室はスタッフが入れ替わってほとんど別の店。
でも、新しい担当の美容師さんはなかなかしっかりした感じのいい人でよかった。
そのあと、隣のお店でマッサージしてもらうと思っていたら、こちらはつぶれてしまったらしく空き店舗。
僕が小説を書いている間に、ずいぶん世の中が変わってる。
帰宅してお風呂に浸かったらどっと疲れが出て、飲みに出かける元気もなく、夕食後はそのままバタンキュー。
mixi のご乱心は、おそらく、世の中の流れであるSNSのAPIの公開の本流に乗るために必要な措置として狙ったものだろうと思っています。
クローズでああることで会員が増えたmixiは1000万人の規模になって会社として成長するにはクローズであることが足かせになっている。だから、外との接続性を確保したい。
コンテンツをちらりと外の人に見せたいわけですね。
しかし、これを打破してしまうのは自己否定であって、mixi の本質である非公開や限定公開とはもともと相容れないものです。
会社というのにはも寿命があってしかるべきで、いつまでも続くのがいいわけではないのだけれど、瞬間々々は明日どうしようであり、株主にどうこたえるのかという答も出さなければならない。
正解はたぶん、次の事業を別会社で興して、そちらに投資し、本業が衰退する前に、そちらが興隆したところで、古いビジネスはだれかにシナジーでより価値の出る相手に売り飛ばして現金化して、新しいビジネスにスイッチする、ということだと思います。
会社を売る、買収される、のは、成功の一種でよいことなのだけれど、日本ではそういう感覚はあんまりないので、従業員もえらい反発したりする。経営者まで反発したりして。
事業に寿命はあるのだから、会社がそれで衰退するのを流れに棹をさしても止められるものではなく、会社は古いものをじょうずに捨てながら新しい柱をどうにかしてつくらなくてはならない。
それをするのが経営者ですが、実態は「予想以上の市場の変化があったため」などと業績の悪化を、自分のせいではなく「世の中が悪いのよ」みたいにいうことが多いのですね。
たとえば、ソフトバンクはそうやって、いろいろ新しいことを取り入れている。個人的に好きではないけれど、孫正義さんは、経営者としては松下幸之助級の歴史に残るような経営者だと思います。
ほんの一例ですが、旧国策企業の NTT Docomo や KDDI を相手に、Softbank の携帯電話は十ヶ月連続純増数 No.1 ですからね。
日立東芝NECなどの古いエスタブリッシュメントは、自分のなかで多角化するのだけれど、これは効率が悪いし、競争力が弱い。
mixi のまま、会社を伸ばすのではなく、まったく別なことを始めるしかないんだよ、笠原さん。
と、まあ、そういうことなんじゃないかと思います。
mixi が会員とのあいだの契約である利用規程を改定しようとしているのが3月3日付けで告知されたのですが、4月1日からこんなことになるという、とんでもない内容を提示しています。
第18条 日記等の情報の使用許諾等
1)本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。
2)ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。
つまり、これは
1)友人限定、あるいは、会員限定であることを前提に書いたものも含め、日記やコミュニティに書いた文章を、mixi が自由に外部に公表できる。
2)その際に、改変することもある。
3)発表しても対価は払わない。
4)発表の際、著者の氏名の表示もしないかもしれない。
5)発表の際、改変されたものに著者の氏名表示が為されるかもしれない。
ということです。
しかも、過去に書いたものにもこの規定は適用されるという。
私としては、著作を生業とするものとして、この条件は到底、許諾できないので、過去に書いたものも含め、大幅に削除するしかないですし、今後、書き込むものもこの条件を考えた書き込みにならざるを得ません。
そうでなくても、友人限定の日記を外に公開されたらたまったもんじゃない。
自分のプライバシーだけでなく、日記の登場人物のプライバシーも侵害されます。
それに怒った会員も多く、あっというまに数千人規模の反対運動が起きて、mixi もあわてて火消しにまわっていますが、新しく条文を提示しないと、この騒ぎはとうてい収まりそうにありません。
外部のメディアにもこのことは報じられています。
ただ、そこでの内容は「日記が勝手に出版されてしまう」というような観点で書かれたものが多く、それ自体は間違っていないにしても、本質的なことではありません。
出版するに値するものはそれほど多くはないので、影響の及ぶ範囲は限定的です。(阿川のような著作を生業としているものにとっては重大なことですが)
重要なことは、「限られた人にしか見せないつもりで書かれたもの」を、mixi が改変する権利をもったまま自由に公表する権利をもつような条文になっている。しかも、この規定が適用されるより前に書かれたものにまで、それが適用される。
mixi には、DVで夫から逃げてきている人のコミュニティもあれば、性的マイノリティの人たちのコミュニティもあります。非公開であるからこそ、安心して悩みを語り合ったり、情報交換をしたりできていたものが、突然、mixi 運営側に、自由に公表する権利がわたってしまうわけで、これは「勝手に出版」うんぬんではなく、ひとりひとりのプライバシーの問題です。
そんこともあって、退会する人が続々と出ていますし、閉鎖になったコミュニティもあります。
mixi は、投資格付けが下がって株価が下がったところに、追い打ちをかけるように失態を演じています。

午前中までに、通し読みを終え、最終的に書き換える部分などをはっきりさせた。
ここまでくると脱稿も近い。
昨日、ジョギングで膝が痛んだので、筋力をつけて体重を落とすまで走るのは無理と判断。
というわけで、本日は、自転車で山下公園までポタリング。全行程8kmくらいかな。
しばらくこんな感じで、体を作っていかないと。
資料DVDが山ほど届く。
後ろにたくさん仕事が控えている。がんばろう。
午前4時過ぎに起床。
夕方、退院以来二度目のジョギングを敢行するも、3kmを走りきれず、膝が痛くなってきた。
体力ねえなあ。なさけない。
帰宅後、あわててコンドロイチン、グルコサミンのサプリを摂取。
ちょうど煮干しで味噌汁のダシをとったので、ダシをとったあとの煮干しも全部食べた。
いや、これが美味しくて後を引いて途中でやめられずにあっというまに完食。体が求めているんだろうか。
夕食後はバタンキュー。
昨日、二輪駐車場の月極料金を払いにいったついでに、図書館までバイクに乗って出た。(第五作の資料を五冊借りに行った)
明るいところで見た GB-250 Clubman は、ひどく埃だらけだったので、本日、マンションの洗車スペースで洗った。暖かい春の日差しの下で、バイクを洗うというのは、なかなか幸せなひとときだ。こういうのを「忙中閑あり」というのだな。
自分がバイクを離れていくとき、振り返って、それが首を傾げて金属部分を輝かせているのを見るのが好き。
夕方5時半、シンガポール勤務だった弟がカナダへ転勤になり、トランジットで日本を通過中に、我が家に立ち寄り。 たぶん、昨年は一度も会っていなかった。
母親も呼んで、ちょっとした家族の集まり。
兄の方は人生踏み外して(笑)小説家なんかやっているけど、弟はちゃんと(?)企業戦士をやっていて、出世頭の道を。
一方で例に違わず犠牲も大きく、家族は、息子と妻はシンガポール、娘は日本、本人はカナダと、バラバラ。 長らくの単身赴任の末に妻と息子をシンガポールに呼び寄せたとたんに転勤になった、息子はシンガポールの学校に入学したばかりなので、妻と息子はシンガポールに残すのだそうで。
やれやれ、ですなあ。人生、ままならない。
第3作、終盤でなかなか仕上がらないうちに、5作目や4作目の打合せが入り、その他のイベントもあって、テンション下がって滞っている。
こういうものは、遅れると、ますます遅れが拡大するんだよね。
もう3月、ほんとにほんとに、ねじを巻かなくては。
