いまの日本で、だれにでも裸を見せることは推奨されていない。適宜、肌を隠すことが求められている。電車の中で化粧をする人に新聞投書欄で非難が寄せられるのも、たぶん「見せてはいけないもの」を露出させているという考え方が背景にあるからだろう。
互いの裸を見ることは「特権的関係」にあるものだけが許される。誰にでも裸を見せるのは「おかしなひと」のやることだ、とみなされている。
化粧をしない素顔は裸と同じようでもあり、違うようでもある。
人の知らない「あなただけに見せる顔」や「自分だけに見せる顔」には「関係」が存在する。だれにでも見せているわけではない、ということが関係を産み出すわけだ。
関係を確認する喜び、とりわけ男女にはそんなのがあるように思う。恋愛というのは関係を確認し続けることのようでもある。
素顔はそのぎりぎりの境目だ。
素顔の奥にも「あなたにしか見せない素顔」ももちろんある。けれど、だれにでも素顔を見せている、という言葉がちょっと面白くない。
化粧をしないで素顔ですごす女性を恋人にもつと、ヌードダンサーを恋人にもったような複雑感情が生まれるように思う。
少なくとも「裸を見る」という特権的行為が一般にも公開されていると、関係を確かめるために「裸以上」が必要になる。
なるほど。そうか。恋愛というのは互いだけが知っている秘密の共有なのだな。
どんなに境目の位置をずらしても、つねに「その先」はあるから、実はどっちでもいいような気もするんだけどね。逆にいえば、人はその先その先と追い求めることに疲れることもあり、たとえば、さっっさと裸になって開き直ったところから安らぎが産まれるということもある。
さあ、これ以上先はないわよ、つきつめないで、いいかげんくつろぎなさい。
裸や素肌に、そんなメッセージがあるのかもしれない。人間っておもしろい。
とまあ、最近、化粧について続けていくつかネット上の書き込みを読んで感じたことを書いてみました。
化粧をする女と化粧をしない女のどちらがいいか、という永遠のテーマ(笑)がある。
基本的に僕は努力と創造をリスペクトする。だから化粧をする人が好きだ。
いうまでもなく二十一世紀、洋服は寒さを凌ぐ手段であるだけでなく、自分を表現する手段だ。同じように化粧は欠点を隠すものではなく、自分を表現する手段だと思う。化粧は新しい創造だと思う。
あらゆる機会に自分を表現したい。そのスタンスがいいのだ。
今日は素顔の自分を表現したい、と思えば、素顔に見える化粧をすることで、ほんとうの素顔よりも素顔らしい素顔ができるはず。
化粧とはアートだから。
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見かけに関して素顔のほうがきれいに見えるとしたら、それは化粧の技術が下手なだけ。
上手な化粧なら、ちゃんと「きれいなスッピン」に見せることもできます。
見かけではなく、肌の健康上の問題や、人間の心の問題はまた別だけど。
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電車の中で化粧をする女を非難する人がいる。たしなみに欠けるということなのだろう。
ちゃんと家で化粧して出てくる人生の方がゆとりがあることはたしかだ。
しかし、人生、のっぴきならない。
睡眠時間三時間なら、五分でも余計に眠る方が化粧をするよりも妥当な時間配分だろう。
では、五分余計に眠った結果、化粧をしないで家を出てきたとしよう。
彼女は、身だしなみとして、化粧をするべきだと思っている。会社に着いたらすぐ仕事だ。だったら、電車の中で化粧をするか、一日中化粧をしないか、どちらかしかない。
自分のあるべき姿にできるだけ近づこうとして、人は最善の努力をするべきだ。家で化粧ができなかったら、電車の中でするのは次善の策である。
どこがいけないっていうんだ。
人の努力を否定して足を引っ張ることはないじゃないか。
自分の倫理観や価値観に合致しない人がいるからといって、その人の生き方をとやかくいうもんじゃない。(ていう意見も僕の価値観でとやかくいっているんだけどさ)


いつものように公園へ出たら人が多い。そうか土曜日なんだ。
みなとみらいの “Blenz Coffee”は、逆に少し空いている。
平日は、僕のようにパソコンを持ってきている人とか、ノートを開いて勉強している人が多くて、最近けっこう流行っているのだ。
疲れたところで、大戸屋で「ロースとんかつ定食」(660円+税)。ここは安くてきれいで美味しい。いい店だなあ。
夕方家にいると、珍しく電車で仕事に出ていた妻が駅に戻ってきたので車でピックアップ。
そのまま横浜Fマリノスの練習場「マリノスタウン」にあるレストラン IVI へ。
ながいあいだ夫婦ともにめちゃめちゃいそがしくて、家でも食事というより栄養だけは考えてある「エサ」を摂っている感じだったし、今日に至ってはそれをつくる気力すら惜しいので、手を抜いてお金で解決するためにやってきたのだ。
3500円のコースがけっこうよくて大正解。今日は食事に恵まれている。
実は、夏の花火の時、オープン間もないマリノスタウンのサッカー場の夜間照明が眩しくてマンションからの花火見物に差し障りがあるので、「消していただけませんでしょうか」と、このレストランに電話をかけて丁重にお願いしたことがあった。そしたらすぐに消してくれたのだ。
食事後に店長が席にやってきたので、その話をしたら、電話に出たのがまさにその店長でよく覚えていたので、改めて花火の日のお礼を言った。
向こうは向こうで、近所に住んでいる人からレストランがどのように見えているかというのを知りたがっていて、経営の話とか、見せ方とか、そんな話をしたりして。
帰宅後は、ふたりとも仕事。
写真は、昼間、散歩の時に撮影した「マリノスタウン」。
子どもの頃、家にコロンビアの電蓄があって、SPレコードがいくつかあった。
ベートーベン 交響曲第6番「田園」 ブルーノ・ワルター ウィーンフィル
ベートーベン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 演奏家は記憶にない
これらは5枚組でそれぞれ一曲だった。 一曲聴き終わるのに何度もかけ替えるの。
その他に、モーツアルトの40番、41番なんかがあった。
レコードが回りながらアームが揺れるのが面白くて、盤面を見ながらよく聞いていた。
あるとき、この田園を聞きたくなって、探したらCDで発売されていた。なんと1936年の録音だ。
CDなのにスクラッチノイズがあるし、もちろんモノラルだし音は悪い。
仕事のBGMにワルターの田園を久しぶりにかけてみた。
最初「音が悪いなあ」とまず思うのだけれど、ずっと聞いているとそんなことは関係なくなっていつのまにか引き込まれているのだ。
ときどき不思議な懐かしさを感じる。どの田園ともちがう、幼少の記憶の奥にある田園だとしみじみ思う。意識しないでものすごく細部が魂の中に刻まれているのだと思う。
やがて、小学校4年で大阪の豊中に引っ越して、そこで初めてLPレコードのクラシックを買ってもらう。
カラヤン・ベルリンフィルの「運命・未完成」。
これも同じモノラルの電蓄で散々聴いた。なにしろ、他にほとんどレコードがなかったから、毎日家に帰ると裏表をそれぞれ二回ぐらい聴いていた時期がある。
たぶん、あらゆるレコードやCDのなかで、いちばん繰り返し聞いた曲だと思う。その前もあとも、これほど聴いた曲はない。
まだ家にあるけれど、擦り切れていて、音がシャアシャアいうし、針の重いモノラル電蓄で何度も聞いたせいで、ステレオ録音のはずなのに、音はほとんどモノラルになってしまっている。
ほとんど小説かいてばかりの日常なので、曜日とか日にちとかを意識しないのですが、本日は20日の金曜日。
ということは先週は13日の金曜日だったんですね。
なにもなかったな。キリスト教徒じゃないし。
そういえば、結婚式は仏滅でした。仏教徒じゃないし、式自体はキリスト教式だったし。
無宗教は便利だな。
西洋史研究・比較文明論で有名な木村尚三郎先生が亡くなった。
(以下、敬称略)
大学の教養科目で西洋史を習った。
大教室だから別に交流はなかったのだけれど、なんとなく魅力のある人だった。なんの研究をしているのかときいたら、「ベッドの歴史だ」という答だったので、へえ、と思っていた。
こっちが大人にならないと偉い人の偉さというのがわからない。
単位を取るだけの理科の学生の教養科目に文科系の偉い先生がたくさんいたというのは、ずっと後になって知ったのだが、19かそこらのころにはそんなことはつゆ知らず。いま思うととても贅沢な教養科目がたくさんあった。
放送大学を見ると懐かしい顔がたくさんいたりして、ちょっとうれしくなったり。
無駄に上質のものを消費する、実用の部分よりも可能性が圧倒的に大きい、それを贅沢というとすれば、ほんとうに贅沢な学生生活だった。
知らぬうちにこういう贅沢ができたことが東大のほんとうの素晴らしさだった。いまになってそう思う。
そういえば、芳賀徹には予備校で英語、大学でフランス語を習った。
フランス語は蓮実重彦にも習った。
僕がフランス語ができないのは先生のせいではない。(笑)
こういう贅沢を同窓の友人曰く「体操の塚原にラジオ体操を習うようなものだ」と。
言い得て妙。
彼は英語を小田島雄志に習っている。
そういや、夢の遊眠社の前身の「東大劇研」の顧問は渡辺守章だった。
編集者が横浜まで来てくれて、午後2時からおそらく3作目になる書き下ろしのためのミーティング。
相互に状況確認したあと、基本的にいまとりかかっている書き下ろしが終わったら着手する方向で。
電池が保たなくなってきた携帯 W21S。
1月に24ヶ月になるのでそこでその時点の一番安いのに機種変更しようと思っていたら、ひょんなことから4ヶ月使用のW41Sがタダで手に入ったので、2100円手数料を払って機種変更。
(今年の1月発売なのにすでに最新型からはほど遠いけど、僕の持ち物よりは3世代もあとのもの)
PCサイトビュアが欲しいと思っていたので、ありがたい。
FMラジオが意外につかえる。
Felicaがあるので、edy に申し込んでみた。Suica もつかえるけど、やがて年会費1000円とるというのでこれは躊躇。
音楽も聴けるので、au Music Port というのをノートPCに入れたのだが、iTunes に比べてめちゃめちゃ使いにくいし、エンコードも遅いし、mp3 は聴けないしで、なんだかなあ、なんだけど、つかえるとついむりやり使ってみようというオタク精神が働いてしまって256MBの メモリスティックDuo を2800円も出して買ってしまった。
都合、2100円の機種変更が5000円になってしまった。ばっかみたい。(笑)
みなとみらいの Blenz Coffee まで歩いて、執筆とか携帯のセットアップとか。
電池が切れたのでスーパーに立ち寄って帰宅。
夕食後は、また執筆。
三ツ沢上町の体育館で太極拳の二回目。
初回よりもだいぶ慣れたけれど、それでも全身が使われていることによる肉体的疲労はかなり。
反面、心の疲れはとれる。とはいえ、心がリラックスすると小説は書けなくなる。
必死で少しでも書く。
まだ10日かそこらはかかりそうなので、この時点でいっぱいいっぱいにするとつぶれてしまう。
夕方、小型の電気肩たたき機みたいなやつで足の筋肉を中心にくまなくマッサージ。
前回もそうだが、これがすごく効果的で、まったく筋肉痛が残らない。

午前6時半起床。
午後、ごくごく近所のカフェへ。
経営者があんまり気に入らなかったので避けていたんだけど、初めて来てみました。
意外にいい。椅子とテーブルが執筆向き。 かかっている曲も好みに合ってる。
コーヒー525円がちと高い。おかわりできないし。
近すぎて散歩にならないけど、雨の降った日ならいいかな。
まずは新発見でした。
翌午前3時、就寝。前日の後れは取り戻したが、本日分、若干積み残し。
