先日、初めてあったプロデューサーに自分の略歴について語った折、久しぶりにシリコンバレーのことを思い出した。
そんなこんなで、どうも僕の周囲にシリコンバレーの風が吹いているようで、彼の地でコンサルティングファームを起業した、『覇権の標的』の篠原翔子と『D列車でいこう』の深田由希、という僕の小説の女性主人公(どちらもMBA)を足して二で割ったような女性を偶然発見したかと思うと、今日は、ヨットの帰りに、久々にFEN(810KHz)なんか聴いたら、車の中で聴く英語のラジオ放送から、すっかり、シリコンバレーにいたときの気分になった。
慣れ親しんでいながら微妙に孤独なあの町で、いつも張りつめた気分で、最高速がなかなかでないプロジェクトにイライラしながら、アメリカと日本を50回も60回も行き来していたころの気持ち。
いま思うと、それは当時感じていたほどには決して楽しくはなかったけれど、ものすごく「仕事をしている」という充実感には満ちていたように思う。
仕事が忙しくて、成田空港で飛行機の出発を待つ時間しか床屋へ行く時間がとれなかった頃。
一度もベッドで眠ることはなく、飛行機で寝ていた、東京-サンフランシスコ-ニューヨーク-東京のゼロ泊3日の出張。
航空会社のマイルがどんどん溜まるのに、出張以外にもう飛行機での海外旅行になんてこれ以上行きたくないので、使いようがなかった。英語で寝言を言ったこともあるらしい、あのころ。
日本にいても、いまなら想像もできない馬鹿でかい携帯電話をいつも鞄に入れ、贅沢のためでなく、電話をする時間を作るためだけのために電車でなくタクシーで移動していたし、日曜日の朝には、ヨットから国際電話をかけていた。
いま思うと、ほんと、バカみたいに忙しかった。
いまだって、そういう働き方をしている人は世の中にたくさんいるんだろうな。
ラジオはあのときのある日のように、ハロウィンの話題を繰り返していた。
