AGAWA Taiju

黄金町バザール2020 オープン

現代アートの国際展示会、黄金町バザール2020(第一部)がオープンしました。

阿川大樹の黄金町バザール2020 インスタレーション作品について、

タイトル
 阿川大樹《楽しい町が あった ある》2020 映像インスタレーション
  (英語タイトル)
   《a delightful town, there used to be, there come up》

このインスタレーションは、以下の、ひとつのビデオ作品と、2つのフェイクによって構成されている。

ビデオ作品(A)
 《留まる 通り過ぎる》2020, ビデオ 3分50秒
   《to remain, or to pass by》
フェイク作品群(B)
(大岡川側)
  マリア《ただ、待っている》2005年 ビデオ 長さ可変
(京急高架側)
  サトル《お客さん、こっちから逃げてください》2005年 ミクストメディア

 2009年からレジデンスアーティストとして黄金町に滞在している阿川大樹は、2014年、黄金町の2005年からの町の変貌を題材に小説『横浜黄金町パフィー通り』(徳間書店)を書いた。
 そのラストシーンは、川をパレードする芸術作品群から黄金町に上陸して、高架下にたどりついた人々が、地図を配りながら町の歌を唄うママさんコーラスの合唱団に迎えられるところで終わっている。

 阿川は、この小説のラストシーンを現実の世界に起こすことを狙って、合唱曲「地図をつくろう 黄金町の歌」を作詞/作曲した。この曲は、黄金町バザール2014のオープニングレセプションで町の混声合唱団「コールなでしこ」によって初演された。以来、毎年、黄金町バザールのオープニングレセプションで唄われている。

「地図をつくろう」は町の歌であるはずだが、年に一度しか町で唄われていない。
 コロナでレセプションが中止されると、その機会も失われることになった。

 いつでもこの歌を聴くことができることで、人々はこの歌を覚える機会を得、合唱団以外の人も唄うことができるようになるはずだ。
 その意図の元に、2009年から2020年への町の変化を織り込んだ映像(=ミュージックビデオ)を制作。そこにはだれでもが歌えるように新たに編曲した管弦楽によるカラオケが使われている。歌はコロナ禍で合唱を収録できないため、阿川自身が唄い、デジタル技術によって女性ボーカルに変換したものとのユニゾンの形で収録されている。
 「バザール」終了後、このビデオはいわゆる「カラオケビデオ」として歌詞を映像内に加えた形でもリリースされる。その結果、人々は、いつでも管弦楽をバックに「地図をつくろう」を唄うことができるようになる。

 3分50秒の作品(A)と、壁に固定されたスマートホンからのぞき見られるフェイク(B)によって、2005年から2020年への変貌を空間全体に表現している。
 フェイクがどのようなものかは、ぜひ、展示会場へ行って確かめて欲しい。

ビデオ、ファーストカット完成

午前6時過ぎ、前夜から作業していたビデオのファーストカットができた。
積極的理由で最初のプランを変更したり、取り返しのつかないドジを踏んでいてとても残念なことがあったり、まるで人生のように山あり谷あり。(笑)

本日終電が終わったら、音を録り直して、あとは微調整。
現場のインストールも並行して進める。
(インスタレーション作品なので)
ああ、先が見えてきた。

社会人失格

前日寝るまではちゃんと覚えていたのに、目覚めたらもう作品のことしか頭になくて、僕のために日程を動かしてくれた午後6時半からの会議をすっぽかしてしまった。

創作モードのときはまったく社会性がない。
親戚の法事をすっぽかしたり、前科はたくさんある。

大いに反省しているけれど、またやらないように予防することはできない。
創作モードの時は作品のことしか考えられなくなるので、電話で約束しても、切った途端に、電話があったことすら忘れている。
約束してもメモを取る前に忘れるし、メモを見て思い出しても次の瞬間には忘れる。
創作をしないようにするしか対策はない。

今回も予定表には入っていたし、前日には僕の方が資料を用意して送っている。
しかし、当日、目を醒ましたときにはもう作品の内容と、最後の追い込みのためどうやって体力回復をするかということしか頭にないので、予定表を見ることすら思いつかない。

創作モードの時には周囲の人に誠実に対応できない。
家庭でもそうなので、家族にも失礼で、人間関係を壊してしまう。
外に仕事場を持った理由の一つはそれ。

会議が終わって1時間後に、黄金町へ出勤。
翌朝までビデオ編集作業の続き。

スポーツクラブ退会

まもなく、腰の手術をして退院後もコルセット生活が続く。
その間、月々の会費がもったいないので、スポーツクラブを退会することにした。
多少、保険でカバーされるとしても入院自体が物入りだしね。

歌の録音

雨も止み、電車も通らなくなったので、零時を回ってから歌入れ。
エアコン止め忘れたテイクがよかったので、そのまま使うことにした。(てへぺろ)

自分が唄ったものを1オクターブ上げて、フォルマントを調整すると女性の声になる。
その声と自分の声とを重ねると,男女二人がユニゾンで唄っているように聞こえる。
当然、ぴったりとふたりの息が合っている。(笑)

入院準備

午前11時半に病院へ行って、ほとんどが待ち時間で、午後4時に帰宅。
医師からMRIとCTの結果を聞き、その他のスケジュールの確認。
手術後にするコルセットの型取り。入院予約。薬剤師との面談。病棟へ申し送る事項について看護師と面談。PCR検査の説明。などなど、あれやこれや。
これで腰の手術について、ほぼ形が定まった。

寝て起きて食欲がなく、朝食を摂らなかったのが大失敗で、食事を摂らないまま朝食が午後5時。(泣)
元気を付けたいので、カツ丼セット、920円。
この店はそばはうまいがカツ丼は積極的に不味いのがわかっているのだけど、今日は味よりエネルギー優先。

その足で黄金町に出勤。
午後9時過ぎまでは、黄金町のまちづくりに関する原稿書き。
翌午前3時前まで作品制作。

久々の運動

車で黄金町へ出て、打合せ一件。
駐車場代400円。

その足で駒沢公園まで出かけて久々のテニス。
時間が無いので自分が幹事でないテニスは休もうと思っていたが、極端に運動不足なので健康を重視して参加することにした。
幸い雨にも降られず。
終了時刻午後6時半だと暗くてボールが見えない。
駐車場代1000円。

話変わって、いろいろお金がかかるし、腰の手術をすると、コルセット装着などで運動はできなくなりそう。
というわけで、なかなか通えないので、スポーツクラブを退会しようかとあれこれ考える。

横浜へ

午前11時、借りていたマンションをチェックアウト。
ふたたび原村の友人の実家へ立ち寄る。
大きなカボチャを合計7つももらってしまった。どうしよう。
親にあげるといっても、硬いので怪我をされても困るなあ。

いったん黄金町へ出る。
21日間32度に設定して動かしていたエアコンは無事動いていた。
(気温が上がりすぎると楽器が傷むので保護のため)

自宅に食材がないので、外食することにして、野毛のレストラン「イグレック」にカボチャを2つ持参して、もらってもらう。

作品制作

午前6時まで黄金町バザールの作品制作。
寝て起きると、当然、昼。
自由農園で買っておいたパンを食べる。
妻と蓼科高原最後の散歩(笑)
リゾート内に人があまりいない。

散歩から戻って、そーめん。
封の開いたそうめん、大葉、ミョウガ、にんべんのダシ、などちょうど使い切る。<−ここ大事
昨日そば屋「登美」でもらった揚げ玉が威力を発揮。大満足。

ロープウエイは今日も雨だった(かな)

午後はたいてい雲が出て雨になるので、午前中の晴れているあいだに北八ヶ岳ロープウェイに乗ってみようと思ったが、朝食を終えた時点ですでに山の方は雲がかかっている。

ならば、そば屋を開拓しよう。
というわけで、まず「バラクラ」のイングリッシュガーデン(入場料800円)を見る。
以前に、カナダ・ビクトリアの完璧に手入れされたガーデンを見てしまったので、かなーり見劣りがするが、800円が不当だとは思わないというレベル。手入れ大変だしね。
自由農園で少しだけ野菜や土産物などを買ってラインチタイムを待ち、開店間際の「登美」へ。

幸いに並ばずに入ることができた。
8月最後の週末が終わると、リゾートは人影もまばらだ。
初めての店で試すのは天せいろと決まっている。
つゆが神田藪蕎麦風の濃くてコクがあるタイプ。

蕎麦は、最初に行った「みつ蔵」が一番、天ぷらは「長寿更科」、つゆは「登美」とそれぞれ。
どれか一つなら、「みつ蔵」かなあ。だし巻き玉子が質、量ともに絶品だし。でも、一番並ぶ。

今日も、午後3時を過ぎるとは忠実な時計のようにものすごい勢いの雨が降る。

夜は、リゾート内の北インド料理「ナマステ」へ。
(大阪弁ではないけど)「大阪のオバチャン」風のマダムが面白いというか親切というかウザイというか、料理についていろいろ説明してくれて、これを食べたらこっちは頼んじゃダメとか。(笑)
味はとても美味しい。ただし、お値段も立派で、お酒を飲まずに二人で1万円弱。

作品制作の作業を翌朝6時まで。