午後3時過ぎ、ヨットハーバーへ。
ほんとはオートバイで行くつもりだったけど、寒いので車。
バッテリーを2つ降ろして、充電を頼む。
春の支度だ。
ちかごろ、出艇回数と充電回数が同じくらい。(笑)
あとは、クラブハウスでコーヒーを飲みながら他の船のオーナーたちと、だらだらお喋り。
食料品の買い出しをして帰宅。
夕食は、同じマンションに住む一人暮らしの友人を呼んで鍋をつつく。
オフィスでなくてもできる仕事のフェーズなので、散歩がてら仕事の道具をもって家を出る。
ついでにGPSロガーもポケットに。
で、6kmほど歩いて、気がついたら黄金町のスタジオのすぐ近くに来ていた。
「あんた、どんだけ仕事場が好きなのさ」と自分のなかの「あんた」に聞いてみる。
「あんた」はただにやにや笑ってた。
午後3時から、みなとみらいスポーツパークでフットサル。
2002年、日韓ワールドカップのボランティアで作った球蹴り仲間だち。
この3月で9周年。
(大会は6月だったが、ボランティアはずっと先に始まっていた。くわしくは拙著「ワールドカップは終わらない」を参照)
学生だったやつも僕みたいに最初からオッサンだったやつもいるけど、みんな9年分年取って、結婚したり、してなかったり、転勤したり、子供ができたり。
年代とか仕事とか一切関係なくて、ものすごくフラットに一緒に遊べる仲間がいることがとても心地よい。
僕はこのチームで、生まれて初めてチームスポーツのユニフォームというのを手にした。背番号54番。(対外試合のときしか着ないのでほとんどもっているだけだけど)
GPSロガーをポケットに入れて走ってみた。
7分のゲームを4試合。試合中の移動距離は3.2km強。
一試合平均800m。サッカーの90分に換算すると、10kmをちょっと越える。
終了後は、中華料理で9周年記念の宴会。
ジョギング&ストレッチの為に公園へ出る。
束の間の土曜日の風景。
子供とサッカーのボールを蹴り合う父親。ブランコに付き沿う母親。
平和な風景に、地震のことも原発のことも、少しだけ忘れる。
小一時間、身体を動かす。
明日は、フットサルなのだ。
で、家にもどってきたところで、同業の山口芳宏さんから電話。
「横浜駅にいるんだけど、飲みません?」というお誘い。
ちょっと迷ったけど、楽しいことしてお金を使わないとね。
というわけで、シャワーを浴びる時間をもらって、桜木町で合流。
野毛の「新上海」で食べてのみ、次は「華」。
一人暮らしの山口さんは二ヶ月ぶりに店員以外の人と会話した、ということで、しゃべるしゃべる。
あっというまに午前0時を過ぎました。

どうにも気持ちがどんよりとしている。
創作的なことが全然できない。
(それでもなんとか連載のエッセイを書いて送ったけど)
鬱だ。
地震の、主としてテレビの、影響にまちがいない。
小説家という職業柄か、そもそもの自分の性格そのものなのか、あるシチュエーションに置かれた人の心の中を想像して詳細に自分の頭の中に構築してみる習慣ができている。
被災地域の凄惨な映像を見ては、頻繁にそれを繰り返すものだから、精神が壊れ始めている。
朝からいよいよ、原子力発電所が大変なことになっている。
地震と津波の災害は、時間とともに改善していくわけだが、こちらは起こりうる可能性として、もしかしたら破局に向かっているかもしれない。
工場労働者だったこともあるし、大きなプラントをいくつか見学したこともある。
沸騰水型と加圧水型の区別がつく程度の、原子力発電についてのそこそこの知識もある。
テレビを見ていると、どうしても事故が起きている現場のようす、被曝しながら作業員がやっていること、などが頭に浮かんでしまう。
わりと心の健康には自信のあるほうだけど、いまはかなり不味い状態だ。
原発がまずいことになる可能性があるので、勇気がいるといえばいるのだけれど、しばらくの間、テレビを見るのをやめることにした。
というわけで、その手段の一つとして歩いて10分ほどの銭湯「万葉倶楽部」に行ってみることにした。
温泉に浸かってゆっくりしながら、リクライニングの椅子で読書をする。
とまあそういうイメージだったのだけど、実際は節電中で室内が暗く、読書はちょっとむり。
視野の隅でテレビを見ている人がいるので、時折そっちをチラ見しておけば非常事態になればわかるだろう。
椅子に身体を埋めるうちに、うとうと。
目が覚めると日が暮れていた。
「ああ、休んだ」という実感がある。
朝から胸に引っかかっていたのは、政府や東電の原発に関する情報発信のしかたが昨夜あたりから変わっていること。
何かを隠している感じがしないでもない。
別ルートからいろいろな情報も耳に入る。
一応、避難の準備をしておいた方がいいと判断して、当座の衣類など避難所生活を想定した荷物の準備をしておくことにした。
一方、反原発側である原子力資料室と東京都がそれぞれに測定している放射能レベルの数値を比較してみたところ、ほぼ一致していた。
それによって、少なくとも現在の時点で、すでに大量の放射能が出ているという事実はなさそうだと判断した。(放射能レベルについて国や東電が嘘をついていないと判断できる、ということ)
とりあえずすぐに逃げることにはならなそうだ。
スタジオに出ないことにする。
買い占め品不足が報道されているので、定点観測をかねてスーパーを回ることにした。
よりによってトイレットペーパーの在庫がほとんどなくなったので補充が必要。
他は通常の食料品の購入だ。
最初は TESCO。
トイレットペーパーは4つで297円というふだん我が家で使っているものの3倍の値段のものが少しだけあった。
とりあえずこれだけ補充すれば基本的には困らない。
ママ友さんグループが、大きな鞄を肩から提げて買い漁っている。売り場から携帯電話で「こっちに**あったわよ。買っておく?」などと話してる。
この人たちは昔の1973年のトイレットペーパーパニックの時代を知らないのだ。
家庭の主婦として「自分の必要なものを決して切らさない」ことについて、何の疑問もなくまっしぐらに「がんばっている」つもりなのだ。
それがどれほど反社会的な犯罪的行為であるかなど、まるで意識の中にない。
人類が歴史に学ぶことがどれほど難しいのかを思い知る。
トイレットペーパーの他は牛乳と解凍もののサンマを買って帰宅。
このご時世にトイレットペーパーを持って外を歩いていると、「自己中的で頭の悪いヒト」と思われそうで、とても恥ずかしかった。
改めて出直す二軒目はプラザ栄光生鮮館。
こちらも売り場のあちこちに空間ができている。
少し前から切らしている中華スープの顆粒、それに豆腐、大根、揚げ物。
ついでに、隣のセキチューで、アタックとミューズをひとつずつ。
いつも巨大な壁一面を占めているトイレットペーペーがまったくない。
どうやら地震が起きるとみんなよっぽどウンチが沢山出るようになるらしいのだ。
生理用品も少なくなっている。
地震で周期が狂ってしまうのかな。
身体のメンテナンスの為に野毛へマッサージを受けに。
50分、上半身を中心にほぐしてもらう。
50代も半ばを過ぎると、お金を使って他人に頼まないと疲れが取りきれない。
終了後、本日三軒目の観測点である「ちぇるる」の地下にある「あおば」。 どこもそうだったけれど、野菜や魚はまずまず在庫があるし、フルーツ類も豊富に揃っている。
米、パスタ、インスタントラーメンなどがない。
インスタントラーメンはともかく、停電になってインフラが途絶えたときに米なんかは食えないのになあ。生米を食べるつもりなのか。
スパゲッティだって、茹でるのに沢山水と燃料を必要とする。
どういう基準でまとめ買いしているのかまったく理解不能。
節電のために照明が暗くなっている商店で空っぽの棚に囲まれると、殺伐とした気持ちになるのは確かで、たしかに不安感が募ってくる。
意識して自制しないと余計なものを買いたくなるのは確かだ。
こういう気持ちになるのは初めてだったので、よい取材になった。
午後2時過ぎ、地震。
かなり強い。体験したことのない揺れ。そして長い。
途中で強くなるのか弱くなるのか判断に迷う。
スタジオは京浜急行の高架下である。崩れたらひとたまりもない。
机の下に潜ろうと思ったが IKEA の安物の机にそれほど強度があるとは思えないので、コンクリートの柱(鉄道高架の柱そのものが部屋の中に露出している)に身を寄せる。
これで崩れても人間一人分の空間が残るのではないかと。
(そこから助け出してもらえるかどうかはまた別の話だが。)
窓の外では電柱がしなっている。
揺れが収まってすぐに twitter につなぐ。
通常、テレビより twitter の方が情報が早い。
(そもそもスタジオではテレビはないしワンセグも映らない)
震度5強。
外へ出ると大岡川の水がたっぷんたっぷんと揺れている。
満潮は夜9時。
津波警報が出ている。
東北で震度7の報告。
最初M7.9、やがて、8.4、最終的にM8.8に修正される。
(その後、さらにM9に修正)
明らかに大変なことが起きているが、なかなか情報は入ってこない。
家は高層マンションなので、大きな揺れになる可能性がある。
(制震構造なので通常はむしろあまり揺れないのだけど)
電話は通じない。
虫の知らせで自転車で出勤していたので、すぐさま帰宅する。
みなとみらいにはビルから地上へ避難してきた会社員風の人たちで溢れている。
マンションのエレベータはもちろん動いていない。
1階のロビーに人が沢山いる。
一般居住用のマンションのエレベータの復旧順位は低い。待っていれば動くというものではない。
こちらはさっさと非常階段を登る。
自宅に着くと、まったく被害はなかった。
テレビを見ると、東北のどこかの町に津波が押し寄せているようすが、ヘリコプターからの映像で生中継されている。
陸の上を漁船が流れている。見る間に車が飲み込まれていく。
道路の上を走る車の行く先にも津波が迫っていく。
人が死ぬ瞬間を、しかも、次々と死ぬ瞬間を、生で見た。
前日は休んでしまった接骨院に行く都合もあり、パソコンを点けっぱなしにしてきたこともあり、もういちど黄金町の仕事場に向かう。
夕方、だが、すでに帰宅を始めている人が多い。
町が異様な雰囲気だ。
黄金町に戻った後、一息ついて、整骨院へ。
整骨院の人も交通がなくて帰宅できないので診療所に泊まるという。
午後9時過ぎ、スタジオを出て帰宅。
主な道路は大渋滞。
桜木町の駅ではタクシー乗り場に長蛇の列。
待っていればタクシーが来るというわけではない。そもそも道路が麻痺している。
大方の人は自宅まで20-30km程度だと思うけど、タクシーに2時間待つくらいなら歩いてしまえばいいのに、と思う。
都内から横浜まで、タクシー代がもったいないので歩いて帰って来たことは何度もあるが、けっこう楽しいよ。
たぶん、電車で移動する距離は歩けないと頭の中で決めつけているんじゃないだろうか。
ゲラをチェックしなければならないのだけど、テレビを見ているとまるで仕事が手に着かない。

午前中、新刊のゲラが届くのを自宅で待機。
ゲラを持って散歩がてら山下町の横浜中税務署まで、確定申告の書類を持参。
ランチは、中華街入り口前のカフェ・ラ・ボエーム。
料理を待っている間にゲラをめくっていたところに編集者から電話。
新刊のタイトルについて。
「30分だけ時間ください」
少し話してから考える時間をもらう。
オードブル3品、サラダ、ドリンクバーがついて、カルボナーラが980円。
パスタは量もしっかりあって大満足。
西洋料理にしてはオードブルが塩分高めかな。
サーバーがオードブルとサラダを先にもってくるのを忘れて、パスタが来てから慌ててもってきたのはあまり気にならなかった。
空間的にゆったりしていたからだと思う。
食事の後は、タイトルについて決心をするため山下公園へ。
いい天気だなあ。
ベンチに座って編集者に電話してタイトルを決める。
そこからたっぷり歩いて、黄金町のスタジオへ出勤。
ゲラ読みの合間に整骨院。
だらだらやっていたら午後11時を過ぎてしまった。
野毛三陽にて、餃子とビール。
いままで興味がなかったので、顔なんて見なかったけど、知らぬ間に替わっていた中国人のアルバイトの女の子がずいぶん美しいではないか。
色白で、若い頃のあべ静江さんみたい。



目覚めるとものすごい勢いで雪が降っている。
確定申告の書類を税務署へもっていこうと思っていた予定はさっさとキャンセル。
午後、雪も止んだのでスタジオへ出る。
主な目的は、整骨院へ行くこと。(笑)
肩の調子は少しずつよくなっている感じ。
右手は一進一退かな。仕事をしないと楽だけど。
夕方、母親から電話で居間の電気がつかなくなったと。
ようすを聞くところでは器具が壊れているようす。
家に余っている器具を妻に確認してもらい、車で拾ってもらって母の家へ。
思った通り、器具が断線していた模様。
スーパー文化堂へ立ち寄って食料品を買い自宅で夕食。
(写真は本文とは関係ありません)

