月別: 2013年1月

戦場と日常

 引き続き、自分の肉体と話をしながら淡々と体調管理の日。
 横浜美術館で「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」を見た。
 キャパの有名な「崩れ落ちる兵士」が掲載されている「ライフ」の見開きの反対は、整髪料バイタリスの広告で「テニスをしても髪型が崩れない」と。
 崩れる兵士、崩れない髪。
 日常と見開きで同居する戦場。

肉の日

 肉を食うぞ!
 と、200gのサーロインステーキを食べた。
 そういえば、29日だからニクの日だった。
 ガ、ガ、ガォー ! < 獣

推理作家協会新年会

 午前10時歯医者。
 歯石取りの為の麻酔がいつも効きすぎるので変えてもらったらいい感じ。
 ずいぶん前に自転車で事務所へ出たのだけど、帰宅時に疲弊していて危険なので、徒歩やバスや電車で帰っていて、ずっと事務所に置きっ放しだった。
 仕事が佳境で体調が狂っているのをもどさなくてはならない。
 本日はウォーキングの日とする。
 家からヨットハーバーまで片道6Kmを歩く。
 ヨットハーバーへ行くのは今年初めてだ。
 自艇のウィンチカバーを交換して、黄金町の事務所まで歩くとちょうど10kmのコース。
 事務所では何もせず、そのまま事務所から自転車を持ち帰る。
 午後6時、飯田橋のホテル・メトロポリタン・エドモントで推理作家協会の新年会。
 長編の原稿を送ってあるので、胸を張って編集さんにも会える。(笑)
 次と次の次の次の編集さんとゆるーく立ち話。
 次の次の編集さんは風邪引きでお休み。
 いつもだったら終了後は新宿ゴールデン街に寄って帰るところなのだけど、馴染みの店が閉店してしまったことでもあり、疲れていることもあり、まっすぐ帰宅。

抜け殻の一日

 午後3時半、起床。
 たっぷり8時間眠った。
 疲れているという自覚症状はない
 ところが、自発的に何かをしようという意志がない。
 ずっと水分を取っていないのに喉の渇きはなく、水を飲もうという気持ちも起きない。
 腹が減っているはずなのに空腹感はなく、もちろん、何かを食べようという気持ちも起きない。
 これはおかしな状態で、身体の信号が正常に出ていない。
 この状態で走るのは危険なので、予定していたランニングは取りやめ。
 とりあえず風呂を入れてみよう。
 湯が溜まるまでに、家中に、掃除機をかける。
 身体の感覚は麻痺しているけど、少しやる気が出ている。
(部屋に掃除機をかけるのは大晦日以来なので4週間ぶり)
 唯一、積極的にやりたいことは「本を読みたい」ということ。
 小説を書いている間は読めないので、読みたい気持ちが溜まっていた。
 次の小説のテーマに関連した小説を読み始めるが、目が痛くてまったく続かない。
 夜6時になって、特に空腹でもないけど、作る気にはなれないまでも店で食べるなら食べようかという気になってきた。
 ちかくのモスカフェでタコライス(680円)
 不味くはないけど、これはタコライスじゃないと思う。
 午後8時半、妻が外出帰ってきたので、居酒屋で夕食。
 再議に夕食と妻と一緒に食べたのは、いつだっただろう。
 思い出せない。
 食事中に、気になるところを思いついたので、帰宅して原稿を確認。
 結局、そこは直さず、編集者にメールで原稿を送付。
 ボールは投げた。
 これより、次の小説に切り替える。
 午前0時を回って眠くなった。
 すごい、普通の時間じゃないか。
 というわけで、チャンスとばかり就寝。

最後の最後の追い込み

 修正部分の直し、2日目。
 本日も帰宅が明るくなってからだったので、午後3時に起きると、ぐったりとしている。
 全身こわばっているし、目も痛い。
 暗くなるまで、気力が湧いてこない。
 行きつけのマッサージ店に電話。
 行きがけに、ドラッグストアによって、ドリンク、ビタミンC,そして、目を蒸気であたためるアイパッドを購入、
 50分かけてマッサージ。
 終了後、ブッチャーズ・グリルで150グラムステーキ。
 サラダバーで野菜もたっぷり。
 午後9時過ぎから仕事に入る。
 気力ももどって、集中力あり。
 肉を食べたからか、お腹も減らない。
 翌27日、午前3時、ついに脱稿。
 長者町の24時間営業の居酒屋へ。
 ホッピーと焼き鳥4本。
 桜木町の「なか卯」で親子丼。490円。
 なか卯の親子丼は、安いのに旨い、ファストフードなのに旨い、というレベルではなく、ふつうに美味しい。
 何日かぶりに、午前6時以前に帰宅した。
 ふう。お疲れ様でした。>自分

最後の追い込み

 昼、ランニングに出るが、体調はよくない。
 ペースを落とし、ウォーキングも入れて8Km。
 しかも、いつもと違う場所が筋肉痛に。
 出勤後、Kindle Paperwhite にハイライトをかけた修正部分のリストを見ながら、原稿の最終直しを開始。
 翌午前4時、まだ自分で感じる体と心は元気なのだけど、目が見えなくなってきて続けられない。
 残り6時間くらいで完成すると思われるが、そのまま6時間は到底保たないので、本日これまで。
 
 数日前に乗ってきた自転車があるけど、毎日、仕事を終えた時点では疲労困憊で、注意力さんまんな状態なので、危険回避のために乗るのをやめたまま、ずっと置きっ放し。
 午前5時10分の始発電車に乗る元気はない。
 午前6時18分の始発のバスまで待ち、停留場に行ったところで気がついた。
 開けて今日は土曜日だ。
 つまり、バスはないのだった。
 というわけで、徒歩での帰宅となる。とほほ。

通し読み2日目

 長編の推敲二日目。
 退職金削減による教員の早期自己都合退職が問題になっている。
早くやめないと損する制度を作ったのだから、そういう結果になるのは当たり前で、それを教員個人のボランティアに頼って、「損をしても学期末まで辞めないでくれ」と個人の問題に押しつけるのは社会のシステムとしてまずい。
 生徒たちが困る、というなら、年度末まで非正規雇用して担任を続けてもらえばいいだけだよね。何が問題なのかわからん。
 アルジェリアのテロで死亡した日本人の実名発表問題。
 こと、報道に限定するなら、亡くなった個人個人は事件の本質とは無関係。
 つきあいのある人には伝わるし、つきあいもない人が知る必要のある個人情報ではない。
 結局、報道がやることといったら、犠牲者の関係者のところへ行って、遺族の悲しむ様子や、故人の人となりを報道して、事件をいかにも悲しげに作り上げることばかり。
 家族の死を悲しむのは当たり前で、それを報道しても何の問題提起にもならない。
 亡くなった方が立派だったかどうかも事件の本質には関係ない。
 たとえ立派でないダメ人間だったとしても、事件に巻き込まれて死んではいけないのだ。人間の尊厳や命の重みはみな等しく個人に備わっている。
 長編の通し読み、完了。
 直すところはあるけど、よい小説になったと思う。

ゴールデン街 Bar Aprilfool

 今朝の時点で長編をいったん結んだので、今日からは推敲。
 手を入れるべき所は残っているけど、まずは、全体を見渡してから。
 というわけで、Kindle Paperwhite に原稿を入れて持ち出す。
 秀丸で書いているテキストファイルを一太郎に読み込み、縦書きの epub を作って Sony Reader PRS-650 に入れたのだけど、全文フラットなデータでは Sony Reader が表示できない。
 epub ファイルを Kindle Previewer で変換したものを Sendo to Kindle で Kindle に送り込むと、そこでは問題なく表示できた。
 と、ここでも日本の技術の劣化を体験する。
 もっとがんばって欲しいぞ、日本企業。
 行き先は、10年通った新宿ゴールデン街のバー「エイプリルフール」。
 店主のあすかが京都に嫁いでいくために26日で閉店。
 午後11時頃に行って一旦退席して、近所のカフェで仕事して、午前三時半に再訪。
 ご機嫌に酔っ払っている店主。
 午前5時を回って、次に会うときは京都だね、とハグして帰ってきた。
 午前6時過ぎ、帰宅。
 ゴールデン街で朝まで飲んでも、ここ最近、黄金町の事務所から戻る時間よりも早いご帰宅。
【閑話休題】
 プリントアウトしたものではなくて Kindle で推敲すると、電車で立ったままでもできるので、とっても便利。
 いちいち付箋を貼ったりしなくても、すぐ次の変更場所に飛べるし。
 本一冊分を印刷して持ち歩くのはひどく嵩張ることでもるし。
 電子書籍は読む人だけじゃなくて、書く人にも便利なのだ。

物語を結ぶ

 翌午前4時、長編第二稿を結んだ。
 これから通し読みでの推敲に入る。
 予定を編集者にメールして、今晩の仕事終了。
 自転車置いてあるけど、疲労困憊で危険だな。

桜宮高校のこと

 桜宮高校の体育科の入試中止について、「受験生が困る」「進路が狭められる」「橋下市長の横暴だ」という意見を聞くことが多い。
 確かに桜宮高校への入学を志望していた生徒にとっては一大事だ。
 けれど、入試をするには「入るに足る学校である」ことが最低条件だ。
「入らない方がいい学校」のなら、志望者を受け入れてはいけない。
「受験生がかわいそう」論はその点が抜け落ちているように思う。
 部活顧問の暴力と、部活で冷遇されることで、アスリートとしての進路に大きな影響があること、それを苦にして自殺をした主将がいた。
 顔が腫れ上がるほど30-40発殴るという暴力が「強くなるために必要な体罰」であるはずはない。
 であるのに、この高校では黙認されてきた。
 校長も教師も保護者も、全員、そうした事実を知りながら黙認してきた。
 バスケ部が強く、顧問が18年のあいだ対外試合での実績があるということにより、犯罪が黙認されてきたのだ。
 一人の暴力教師がいた、ということではなく、暴力を誰も止めない学校だった。
 部活が強くなるなら、暴力教師が生徒を殴ってもよい、と皆が考えていた。
 あるいは、そうした実績がある故に、おかしいと思ってもそれを正せない人たちの集まりだった。
 教育とは「何が正しいか」を教える場だ。
 同時に、「間違っているときはそれを正す」ことを学ぶ場だ。
 対立するものの中から、適切な優先度を判断する能力を学ぶ場だ。
 それは、スポーツで活躍することよりも遥かに重要な、人生の原則だと僕は思う。
 しかし、この学校では、その大原則が教えられることなく、おかしなことが行われているのを知りながら、ずっとそれを集団で許してきた。
 一人の暴力教師の犯罪ではなく、その犯罪を黙認することをよしとする学校だった。
 入試を実施し、新入生が入ってくるまでに、この学校があるべき姿に変わることができるとは思えない。
「先生は悪くない」「とにかく入学したい生徒の希望を叶えるべきだ」
 そういう声がいまだに公然と聞かれる場所は、教育の場所としてふさわしくない。
 本人が「希望している」からといて、教育の場としてふさわしくない学校に新たな生徒を受け入れるべきだろうか。
 受験生の意志を尊重するためには、受験生が正確な情報から冷静に判断できることが前提となる。
 しかし、正確な情報はまだない。学校の内情を十分知ることもできない。
 有名校のバスケット部に入ることに目が眩んだ中学生とその親に、この状況下で冷静な判断などはできない。
 冷静な判断ができない状態の中学生の「本人の意志」は、学校が危険で教育にふさわしい場所にもどることができるかどうかわからない状況で、それだけ尊重すべきなのだろうか。
 そうした「本人の希望」を理由に適切が教育が行われる確証のない場所に中学からの受験生を受け入れることは、とても無責任なことだと思う。
 入試中止は、不祥事を起こした学校への「罰則」などではなく、十分な教育ができない学校へ新たな生徒を受け入れない「防波堤」だ。