
午後10時にはソファで沈没していて、午前3時頃にベッドに移動したはずだ。
だけど、午前8時に目覚めても疲れていて、まったくベッドから起きられない。
脱稿疲れ。原稿を提出したとたんに疲労困憊。疲れが出たようだ。
ともあれ、家の前の工事も始まって、音もうるさく、午前9時過ぎにはなんとか起き出した。
さっそく1バッチ目の洗濯をしながらシャワーを浴びる。
その後、うっかり2バッチ目の洗濯を始めてしまい、オーブンが使えなくなってしまった。
オーブンと洗濯機を同時に使うとブレーカーが落ちる。
というわけで、ピザの残りを朝食にできなくなった。
午前12時前、ペンネットにボローニア・ソースをかけて朝昼兼用食。
脱稿まで、後回しにしていたことについて、フォローのためネットにつなぐ必要があるのだけど、本日も、サンジャコモ広場に wifi は存在せず、頼みの Da Filo は何故か店が閉まっている。
やるなあ、手強いぞ、イタリア・クオリティ。
ならば Museo へ行って読書でもしようと思ったら、いつものテラスが大量の banbini(子どもたち)で使えない!
思い通りにならないことが1日に3つくらいあったところで、イライラしたりめげたりしていては、イタリア生活はできない。
というか、こちらにしばらくいるうちに、思い通りに行かないことが当たり前で平気になってしまった。
バスルームの天井灯だって、入居数日で点かなくなったまま、もう一ヶ月そのままだしね。
「そのうちなんとかなるだろう」と植木等状態。
僕の心がイタリア化している。
日本ではイタリア人とかラテン系の人間のいい加減さがよく語られる。けれど、ラテンの人間は自分がいい加減なだけじゃなくて、他人のいい加減さも許すから、その意味で、ものすごくフェアなんだよね。
スペインでのこと。
信号のある交差点の真ん中で、バスの運転手が向こうから来た知り合いのトラックと話を始めて、交差点を10分くらい塞いでいたけど、クラクションひとつならなかった。
「迷惑だから早く話すのやめろ」じゃなくて「友達に会っちゃったんじゃしょうがない。話が終わるまで後ろで待とう」なのだ。
日本ではあり得ないことだけど。
沖縄も似ていて、会社に遅刻してきて「友達と朝までのんでたから」というと「それじゃしょうがない」だったりする。もちろん、それを批判されることもあるし、批判を引き受ける。
ラテンのいい加減さは、ずるいのではなくて、結果、他社から批判されたり、仕事をなくしたり、経済でほかの国に負けたりすることがあっても、それは引き受けるから、逃げてはいない。
いいとこ取りではない。
ようするに、その場の優先度において、「いま」を中長期的なことよりも大事にするということだ。行動選択の基準が違うだけ。
こちらは、腹をくくって、散歩に徹することにした。
午後3時、ワコールのウォーキング下着に履き替え、iPod nano を歩数計にセットして出かける。
日差しは強いが空気は割りとひんやりしていて、半袖ポロシャツで歩いてちょうどよい。
北緯45度で空気の層が薄いので紫外線は強いはずだから、日焼け止めは塗る。
特にあてはないので、知っている道を中心に意図的に道を外れてみたりして、わざと迷って新しい道を開拓。
学生街のサンタ・マルゲリータ広場で Cichetto (つまみ:転じて、バールやバーカロでちょっと1杯やること)することにした。
最初は、いつも学生で大混雑の Caffe India で、スプリッツ(ほぼカンパリソーダ)、2ユーロ。
次は地元のオッサンで混んでいる(名前忘れた)で、チケット(つまみ)1.5ユーロをとってプロセッコ2.0ユーロ。
バールとかバーカロとか、立ち飲みでちょっと楽しめるところがたくさんある。
同じ店でも座って飲食すると高くなる。(席料が1ユーロだったり値段が倍くらいだったり)
ずっと原稿書き生活だったので、立ち飲み2軒まわって5.5ユーロ使ったくらいで「六本木でフィーバーしちゃった」くらいの開放感。
夕食は家で1.5リッターで3.9ユーロのプロセッコと共に。

