うまく休憩をとることで、午前中の体調不良からは順調に回復した。
サンジャコモ広場の wifi は夕方になっても回復しない。
午後、あまり張り詰めずにスロースタートを心がける。
Museo、Da Filo と使い分け、午後8時には30分ほど散歩。
自分の腕一本のプロの「ここ一番」の体調管理は確実に成功させなくてはならない。
夕食後、自宅で最後の推敲と改稿の作業。
午前1時過ぎ、ネットにつないで調べる必要のあること1点をのぞいて完成。
昨日の教訓から、頭を休ませるために、Pinot Nero を飲む。つまみはオリーブ。
最初に買った生協のオリーブはすごく美味しかったのだけど、今度のはあんまりおいしくない。
品質が安定しないのはイタリア文化?
品質を安定させようとすると、日本みたいにコストは高くなるし、窮屈な世の中になる。
品質だけよくなって、値段が安くて、ゆったりしたイタリアみたいな世の中、なんてきっとできない。
トマトもサクランボも奇形だらけだ。
ズッキーニのサイズもまちまちだ。
それをそのまま売るから、山から自分で計って買う量り売りだから、全部売り切ることができて、無駄なコストが出ない。
グリッシーニ(超細長いパン:グリコ・ポッキーみたいなやつ)のパッケージには、長さがまちまちな絵がついている。折れたのも入ってるよ。ということだ。
輸送中に折れるのは当たり前で、「折れたのが入ってるよ」と文句を言われないようにすることで、パッケージや輸送のコストが下げられる。
10本のうちに2本くらい折れてたっていいじゃないか、てことだ。

朝起きると目眩がする。
呼吸が浅い。汗が出ない感じ。
自律神経が壊れている。
壊れる直前ギリギリを保つのがいいのだけど、行きすぎてる。
ここのところ、寝ても脳が休んでいない状態だったからなあ。
昨日、夜、いいテンションだったんだけど、残り時間と比較して先に休むべきだとベッドに入った。
酒でも飲んでテンションを下げておくべきだったのかな。
休ませたいけど、テンションを下げたくない、という相反する要求のバランスを取るのが難しい。
身体を動かしてみようと散歩に出る。
ベネチアの狭い路地が迫ってきて押し潰されそうに感じる。
閉所恐怖。
体感として暑い。歩いても脈が上がらない感じ。
呼吸が浅く細かくなっているので、大きくゆっくりを心がける。
今朝もサンジャコモは電波がない。
サンポーロは電波があるけどログインできない。
デイフラーリではつながった。
サンジャコモに戻ってくるとあいかわらず電波がない。
教会の鐘が暴力的に感じられる。
自傷するか外の何かを壊したい衝動。
そんな自分を外から見ている別の自分。
自殺についての新発見。
人間は悩んで苦しくてそれから逃げたくて自殺するんじゃなくて、神経系が疲労すれば衝動的に自傷する可能性があるみたいだ。
いま、僕は長編の最後のところで、精神的にはものすごく充実していて、生きていることが楽しくてしょうがない、いわば精神的にはもっとも幸福な状態にいる。なので、苦しいとか逃げたいとか思うのとはまったく反対の状態にある。
だけど、普段、まったく感じることのない自傷衝動を感じた。
心の過労死としての自殺ってあり得る。そう思う。
それは「不幸」とは関係ないし、「精神」とか「心」とかじゃなくて、「内臓としての脳」の機能不全だ。精神ではなくて生理現象。
死んじゃうと、その事実は他人にはわからない。
「自殺=不幸」モデルにあてはめられて、「人知れず悩んでいたにちがいない」なんて誤解される。
僕が、今朝、教会の鐘の音を聞いて自殺していたら、「〆切の重圧に苦しんで」とか「創作上の悩みをかかえていたのではないか」とか説明されてしまうと思う。
実際の精神状態はまったくその逆だ。
死なないうちに書いておく。(笑)
自殺は生理的な現象だ。急性の症状を含めた病死の一種だと考えた方が自然。
今朝、そう思った。
自覚したので、ケアできている。
いやはや、アブナイアブナイ。
丁寧に手を動かしながらサンドイッチを作り、会話をしながら朝食を摂る。
熱い湯を身体に当てながらゆっくりシャワーを浴びる。
それで、かなり回復した。
(写真は地震の被害を伝える5月30日の新聞)
