日: 2012年6月3日

終結

 うまく休憩をとることで、午前中の体調不良からは順調に回復した。
 サンジャコモ広場の wifi は夕方になっても回復しない。
 午後、あまり張り詰めずにスロースタートを心がける。
 Museo、Da Filo と使い分け、午後8時には30分ほど散歩。
 自分の腕一本のプロの「ここ一番」の体調管理は確実に成功させなくてはならない。
 夕食後、自宅で最後の推敲と改稿の作業。
 午前1時過ぎ、ネットにつないで調べる必要のあること1点をのぞいて完成。
 昨日の教訓から、頭を休ませるために、Pinot Nero を飲む。つまみはオリーブ。
 最初に買った生協のオリーブはすごく美味しかったのだけど、今度のはあんまりおいしくない。
 品質が安定しないのはイタリア文化?
 品質を安定させようとすると、日本みたいにコストは高くなるし、窮屈な世の中になる。
 品質だけよくなって、値段が安くて、ゆったりしたイタリアみたいな世の中、なんてきっとできない。
 トマトもサクランボも奇形だらけだ。
 ズッキーニのサイズもまちまちだ。
 それをそのまま売るから、山から自分で計って買う量り売りだから、全部売り切ることができて、無駄なコストが出ない。
 グリッシーニ(超細長いパン:グリコ・ポッキーみたいなやつ)のパッケージには、長さがまちまちな絵がついている。折れたのも入ってるよ。ということだ。
 輸送中に折れるのは当たり前で、「折れたのが入ってるよ」と文句を言われないようにすることで、パッケージや輸送のコストが下げられる。
 10本のうちに2本くらい折れてたっていいじゃないか、てことだ。

自律神経が壊れた

Rxxx.jpg
 朝起きると目眩がする。
 呼吸が浅い。汗が出ない感じ。
 自律神経が壊れている。
 壊れる直前ギリギリを保つのがいいのだけど、行きすぎてる。
 ここのところ、寝ても脳が休んでいない状態だったからなあ。
 昨日、夜、いいテンションだったんだけど、残り時間と比較して先に休むべきだとベッドに入った。
 酒でも飲んでテンションを下げておくべきだったのかな。
 休ませたいけど、テンションを下げたくない、という相反する要求のバランスを取るのが難しい。
 身体を動かしてみようと散歩に出る。
 ベネチアの狭い路地が迫ってきて押し潰されそうに感じる。
 閉所恐怖。
 体感として暑い。歩いても脈が上がらない感じ。
 呼吸が浅く細かくなっているので、大きくゆっくりを心がける。
 今朝もサンジャコモは電波がない。
 サンポーロは電波があるけどログインできない。
 デイフラーリではつながった。
 サンジャコモに戻ってくるとあいかわらず電波がない。
 教会の鐘が暴力的に感じられる。
 自傷するか外の何かを壊したい衝動。
 そんな自分を外から見ている別の自分。
 自殺についての新発見。
 人間は悩んで苦しくてそれから逃げたくて自殺するんじゃなくて、神経系が疲労すれば衝動的に自傷する可能性があるみたいだ。
 いま、僕は長編の最後のところで、精神的にはものすごく充実していて、生きていることが楽しくてしょうがない、いわば精神的にはもっとも幸福な状態にいる。なので、苦しいとか逃げたいとか思うのとはまったく反対の状態にある。
 だけど、普段、まったく感じることのない自傷衝動を感じた。
 心の過労死としての自殺ってあり得る。そう思う。
 それは「不幸」とは関係ないし、「精神」とか「心」とかじゃなくて、「内臓としての脳」の機能不全だ。精神ではなくて生理現象。
 死んじゃうと、その事実は他人にはわからない。
「自殺=不幸」モデルにあてはめられて、「人知れず悩んでいたにちがいない」なんて誤解される。
 僕が、今朝、教会の鐘の音を聞いて自殺していたら、「〆切の重圧に苦しんで」とか「創作上の悩みをかかえていたのではないか」とか説明されてしまうと思う。
 実際の精神状態はまったくその逆だ。
 死なないうちに書いておく。(笑)
 自殺は生理的な現象だ。急性の症状を含めた病死の一種だと考えた方が自然。
 今朝、そう思った。
 自覚したので、ケアできている。
 いやはや、アブナイアブナイ。
 丁寧に手を動かしながらサンドイッチを作り、会話をしながら朝食を摂る。
 熱い湯を身体に当てながらゆっくりシャワーを浴びる。
 それで、かなり回復した。
(写真は地震の被害を伝える5月30日の新聞)