途中、けっこう飛んでいるけど、最後までいったので、切れているところをつなぐためにも、いったん推敲を始めている。この時点で、自分の小説の全体像を把握するため。
物語を面白くするには、順序立てて積み上げるより、「こうなった方が面白い」ということを書いてしまって、「こうなる」必然性はあとから頭をひねってなんとかつじつまを合わせるほうがいいことが多い。
順序立てて積み上げると、当たり前のことしか起こらなくなるから、物語のダイナミクスが足りなくなる。
ちょっとあり得ないようなことを書いてしまって、あとづけで、そういうことになるには、どんなことが途中で起きればいいのか、とか、この人物がどんな過去をもっていればいいか、とか、そういうことを後から作り込んでいく。
かなり無理なことでも、3日くらい腕を組んで考えれば、たいていはなんとかなるものなのだ。神様は必ずやってくる。(はずだ、いや、たぶんそうなる、いや、お願いだからそうなってくれ)(笑)
ドキュメント“考える”「ベストセラー作家 石田衣良の場合」(12月25日(火) 23:00~23:30 NHK総合)
という番組を録画で見た。
番組の中で、石田衣良が「ガチョウ」「草書」「光学」の三つを必ず入れるというシバリで「自殺願望のある少女が読んで自殺を思いとどまるような童話」を48時間以内に書く、という「お題」を与えられ、そのプロセスをドキュメンタリーにした番組だ。
こういう一見したところの無理難題というのは、小説家にとっては、それほどどうってことはなくて、むしろ、無理難題こそが物語が面白くなる原因のようなもので、むしろ自ら自分に与えた方がいいようなことだと思った。
たとえば、 無関係な単語を3つ並べてみる
A) スコットランド
B) 南極
C) 離婚
少し言葉を膨らませると、こうなる。
1)グラスゴー(スコットランド)の酒場で男が飲んだくれている。
2)昭和基地に女性新聞記者が泊まり込んで取材をしている。
3)地球最後の日に、東京で離婚する夫婦がいる。
この3つが、ひとつの物語のなかで終盤になってつながってきたら、絶対に面白くなるぞ、という予感がする。遠く離れたものがつながるときには強いカタルシスが生じるからだ。
ならば、この3つを書きはじめてしまい、じゃあどんなことが途中に起きればこれらがつながるかを必死にあとから考える。
3つなら3つをリアリティをもたせて描いてしまう。
300枚使ってそれを書く。しかるのちに、3日くらい腕組みして考えれば、のこり200枚くらいで、それらがつながり、500枚の小説がたいていできてしまう。
もちろん、それは簡単なことではないのだけれど、「できる」ことさえわかっていれば、あとは精神と肉体をつぎ込めばいいだけの話だ。
将棋のプロが現在のコマの配置から「詰む」という直感が先に働いて、それから実際の詰ませ方を読んでいくと、やっぱり詰んでいる、というのに似ているかもしれない。そして、「王将」から離れたところにあった、一見したところ無関係に見えた「歩」が大事な役割をしたときに、将棋の面白さが表に出てくるわけだ。
フィクションによるエンターテインメントの作り方として、そういう順序を取る作家はけっこう多いと思う。石田衣良さんも、与えられた直後は何のプランもないとしても、それほど困りはしなかったのではないかと思う。
関係ないけど、石田衣良の仕事場のイス(アーロンチェア)とキーボードが、僕のと一緒だった。
同じイスを使っている作家を他にも何人か知っている。
