Diary

阿川大樹原作「終電ちゃん」

 マンガ原作に初挑戦した「終電ちゃん」(作画/藤本正二)掲載の週刊モーニング(講談社)が発売になりました。
 吉野家でご飯を食べたついでにコンビニでゲット!
 新聞で「きょうの言葉」というコラムを1200本ほど書きましたが、鴻上尚史さんの言葉も何回か取り上げました。
 さて、コラムではありませんが、きょうの言葉は、
「大切なことは、自分の生き方に納得できるかどうかだ」
 いま、これを書いている黄金町には、そうして自分の生き方を大切にしている人たちがたくさん集まっています。そういう人たちと一緒にいることはとても心地よいです。幸福です。
 日本中の人がそう考えて生きたら、日本は素晴らしい国になると思います。
 神社にお参りするとき、僕は、いつでも手を合わせてまず最初に「世界中の人がそれぞれ自分らしく生きられますように」とお願いします。それから、個人的なあんなことこんなことをお願いします。
「自分の生き方に納得できるかどうか」を大切にして生きる人たちの集まり、そういう国づくりをできたらいいのにね。
 僕が小説を書いているのは、そのための社会運動みたいなものかもしれません。(笑)

寅さん映画について語る会

自分の仕事場であるスタジオの1階でのイベント。
映像作家の吉本直紀さん主催で「寅さん映画について語る会」。
ドキュメンタリー映画監督のの松元裕之さんも来てくれて、少人数でじっくり話ができた。

スポーツクラブ

リベンジで、スポーツクラブに行った。
体調維持は、なかなか大変。

日曜日はきらいだ

昼食は「かつや」でロースカツ定食。
スポーツクラブへ行きたかったが、日曜日は午後8時で終了してしまうので行けなかった。

あまり社交的でない

ヤマノカフェ。
原稿を書かなくてはならないので、夜の歓迎会はパス。

5回目のカイロプラクティック

行き帰りに二子玉川の駅ホームから見える多摩川が清々しい。

横浜へもどる

家に帰ったら届いていた「美術手帖」。生まれて初めて買った。
で、いきなり腹が立った。
「ここで学ぶのは技術でなく、固定観念や既成のものを一度疑ってみる目」(中学の先生)
 だって?
 いや、それはそれぞれ自分でやるからいいの。
 美術教育では技術を教えて欲しいの。義務教育、一般人はそこでしか技術を教えてもらう場がないんだから。唯一のチャンスなんだから。
 こういう勘違い(?)のおかげで、僕は義務教育でまともに絵の描き方1つ習ってこなかった。うまく絵が描けないままに大人になってしまった僕の年月を返して欲しい。
 一方で、「固定観念や既成のものを一度疑ってみる目」は、美術教育以外の所でちゃんと身につけてきたつもりだよ。
 美術の義務教育で教えることは、「芸術家の心構え」ではなく、「ただのふつうの人間が上手に絵を描ける」技術だと思うよ。算数が数学者のためのものではないのとおなじように。
 美術関係者は、もしかしたら「美術教育で必要なのは、技術ではなく固定観念を疑う目を養うことだ」という既成概念に囚われているんじゃないだろうか。それ、違うと思います。

普天間とかコザとか

 宜野湾の地元の方が、「オスプレイが並んでいるところを見に行きますか?」と案内してくれた。
 普天間基地を見下ろす、「嘉数の高台」と呼ばれているところ。
 しばらく、じっと立って、耳をそばだて、目を見開いて、いろいろな思いがよぎる、そういう時間を過ごした。
「沖縄の人は辺野古のサンゴのことなんてだれも気にしていません。日本政府のやり方が気に入らないっていうことなんです」
「空港だって拡張しているし、恩納村のリゾートだって、そこいらじゅうでサンゴなんて潰して埋め立てているんですからね」
 僕もそう感じていましたけれど、沖縄の、しかも、普天間基地の近くに住む人の口から、その言葉を聞くと、また複雑な思いが湧いてくる。
 昼にオーシャンでタコスを食べた後、普天間などへいって、沖縄最後の夜は、またコザへ戻った。
「りんりん」で晩ご飯を食べて、「Club Queen」でライブを楽しむ。
 生まれて初めて、「代行」を使って、恩納村へ戻った。
 友人夫妻が一緒だったので、コザの友人のみなさんへ連絡はしないで、勝手に行って勝手に楽しんで帰ってきました。すみません。

友人合流

滞在先に、友人夫婦、合流。
先日のレストランで大いに食べて飲む。

のんびり

近所を散歩してみたり、
かなーりのんびりしながら、
雑誌の新連載のゲラを見たり。
今晩は、デリバリーを頼んで、これからおうちご飯。
キッチンあるけど、お茶やコーヒー以外は自分でやらない。