ミラクルシティコザ

今日の映画2本目は「ミラクルシティコザ」

 阿川大樹沖縄事務所と僕が勝手に称しているコザに行った時の主な執筆場所でもあり、友人たちのたまり場の一つでもあるカフェ・オーシャンが舞台になっていることもあって、できればコザのシアタードーナツで観たかったのだけど、コロナでなかなかコザに行けないままドーナツでは9月15日で上映が終わってしまうということで、とりあえず、youtube のストリーミングで観た。(400円)
 路地も、ライブステージの場所も、ほとんどが僕の知っているところで撮られているので、コザ不足になっている僕には楽しめる映画だった。
 エンドロールに知っている人たちや知っている店の名前がたくさん見つかる。
 観ていて、「ああ、この平監督という人はきっと若いのだろうな」と思ったので検索してみると、33歳だということだ。
 というのも、監督はコザを愛していながら、基本的に昔のことを話す、懐かしがる老人たちを、結構冷徹に突き放している。そして、魂に流れている音楽が70年代のハードロックではなくてオレンジレンジ的ないまのメロディやリズムなのだ。もしかしたらこの監督は音楽自体をそれほど好きではないのかもしれないと感じた。
 出て来るエピソードがどれも、「紫」の宮永英一ら、この映画の舞台(のひとつ)になっている時代の人たちが、異口同音に語ることで、それが消化しきれないままに列挙されている感じだ。
 米兵と日本人、日本人と米兵にエンタメを供給して金を稼いでいるミュージシャン(侮蔑的に語られるときのバンドマンぐあ)、とのそれぞれの軋轢も、異なる国の親を持つ子供の苦しみもステレオタイプで並列的。
 つまり、軸足がどこかに突き刺さっていなくて、知識を並べてしまった作品になっているのが残念だ。
 脚本も編集も全体のテンポがあまりよくなくて加速感がない。たぶん、1時間59分59秒の尺は長すぎていて、110または100分以下にした方が良くなる。
 午前中にハリウッドのヒット作「トップガン マーヴェリック」をIMAXで観たあとだったので、この作品にとって条件が悪かったと思うけど、というわけで、作品としてはいまひとつに感じてしまったけど、それでも、たぶん、僕はあと何回かこの映画を観ると思う。