オリンピックと訪日外国人

《起雲閣で見た資料から》
 1964年、東京オリンピック。
 予想滞在客数は一日約3万人とされ、同地域のホテル旅館のキャパシティは約1万3千人と試算された。「東京オリンピック宿泊対策協議会」が作られ、東京都、静岡県の熱海・伊東、神奈川県の横浜・湘南・箱根地区、その他東京都近県が対象地区になった。
 熱海は国際観光旅館連盟伊豆箱根支部の一員として外国人観光客の受け入れの準備をした。結果は「予想を遥かに下回る期待外れの少ない宿泊者」だった。閉会後に届いたお礼状にも「大量の外客の予想が多いに狂い、頼みの法人客にも見放される」結果になった。

そういえば、
 2002年ワールドカップで僕はボランティアをしましたが、横浜市にはメディアセンターができ、決勝戦が行われるということで、横浜市は大きな期待をしていたのが読み取れましたが、とっくに世の中はインターネット時代。世界から集まる数千人のメディア関係者がパシフィコみなとみらいに出入りするようなことはまったくなく、巨大な国際展示場に作られたメディアセンターはガラガラで、運営スタッフの方が人数が何倍も居る状況。
 観客として日本各地の試合も見に行きましたが、静岡でも仙台でも、海外からの観客はサッカーにしか興味がなく、観光なんかしない。貧しい国から来た人はホテルに宿泊すらせずに、ビール飲みながら町で朝まで過ごしていた。僕も試合観たらさっさと横浜に帰ってきた。

さて、2020年のオリンピック。
 海外からの訪問者がたくさん来るとホテル建築ラッシュにまでなったけど、コロナで全部夢と消えた。
 でもね。コロナに関係なく、オリンピック観に来て、ついでに観光して帰る人なんて、最初からそんなにいないのは1964年に実証済み。スポーツ観戦は「その土地」を楽しむ観光コンテンツじゃないということがわかっていないような気がしている。