Diary

タイの香米をゲット

新車 Volkswagen Golf Variant の一ヶ月点検。
 ちょうど一ヶ月で1230Kmほど。
 午後1時過ぎにディーラーに車を預け、中華街の「青葉」でランチ。(定食700円)
 点検の帰り道、若葉町タイ人街にあるマーケットで長粒米(香米)を5Kg購入。3500円。「コシヒカリ」よりも値段が高い。値段がついていないので、タイ人にはもっと安く売っていると思うけど、タイの流儀にあわせて、こちらは日本人なので言い値で買う。
 日本人はだれが買っても物の値段はひとつであるべきだと考えるけど、世界的にはものの値段は買う人によって変わるというのが標準。払える人が払えるだけの値段で(納得する値段で)買うというのがむしろ世界標準の値段の決まり方。
 3500円でも欲しい、と僕は思ったからそれが適正価格なわけだ。
 同じものでも、人によって必要性や価値は変わるから、値段もそれに応じて変わる、という考え方。
 その後、ホームセンターとスーパーに寄って、いろいろと調達。
 ここで買った米は、同じく5Kgで2230円の「あきたこまち」の無洗米。タイ米の7割の値段。
 ここでは、民族や貧富によらず、だれでもこの値段で買うのが流儀。
 その他、お買い得は「ひがしまるのうどんだし」(6袋パックが100円)を3つ、とか、ソイジョイがひとつ69円の特売のものを14個とか、その他、もろもろ。
 カット1500円の美容室を見つけたのだけど、明日の予約は取れず。金曜日の午後になった。歩いて20分以上かかるところだけど、予報は雨。しょうがないか。
(前回、髪を切ったのは10月1日なので、4ヶ月ぶり)
 さっそく、タイ米を炊いて昨日のビーフストロガノフを食べる。
 炊いている時から部屋中にタイ米のいい香りが満ちる。
 あとは、本日も、仕事のマンガ読み。

焼き鳥スタートは「半どん」

 時々、雨が降る、どんよりと冬ざれた一日。
 大統領になる前のバラク・フセイン・オバマの演説を音声付きで本にしたものが40万部売れている。これからももっと売れるだろう。
 英語の演説というのはとても聞きやすいし、ちゃんとしたスピーチライターが書いた文章で文法的にもきちんとしているし、言語のリズムを活かしているし、ふつうの話し言葉よりもゆっくりであるし、なによりわかりやすい平易な言葉で綴られているから、たしかに英語の教材としても最適といえる。
 日本の場合、政治家の演説はあまり内容がないし、演説のシロウトである官僚が言質を取られないようにすることこそ最優先みたいに書いているし、そもそも演説で国民を動かそうと思っていないし、上手に人心を捉える演説をするとマスコミに「パフォーマンス」だとか「劇場型政治」だとか、いわれのない非難を受けるし、というわけで、演説に学ぶべきところは何もない。
 でもね、言葉が生きている、言葉が人を動かす、ということを言葉を商売にし、言葉を自分の人生にしている僕はとても喜ばしく思うのだ。
 昼過ぎ、担当の編集さんから連載の準備のための資料が届く。
 マンガ本10冊。
 週刊で連載するとなると、一話ごとのストーリーのまとめ方など、参考になるのはマンガではないかと考えた。ふつうの週刊誌にも小説は連載されているが、連載中に小説を欠かさず読む人はあまりいないだろうということで、ストーリ展開のしかたのお手本をマンガに求めてみようと。
 では、読む人があまりいないのになぜ週刊誌に小説が連載されているのか、というのは出版界のとある内部事情による。
 大相撲初場所、朝青龍対杷瑠都。
(このつづり漢字変換に苦労するなあ。枇杷、瑠璃、都、と入力して不要な文字を消しました。朝青龍は辞書登録してあるんだけど)。
 馬車道のスターバックスから、向かいにある全国共済に設置された街頭テレビが見える。がっつり強さを見せて12連勝。いいぞ朝青龍、このまま優勝して欲しい。
 奥の方の席なので、スタバの中でワンセグは受信できなかった。(これは将来のためのメモ)
 今年初めての焼き鳥は、馬車道の裏路地にある「半どん」。
 やや上品すぎるきらいはあるけれど、落ち着くし美味しいし高くないし。結構でございました。

オバマ大統領就任演説

 昨夜は、起きて生中継をみていたけれど、同時通訳でよくわからなかったので、英語で聞き直しました。
 
 http://www.asahi.com/international/090121douga.html
大雑把に言って、
「いま自分たちは、困難にあるけれど、自分たちの歴史を思い起こして、先人たちがやって来たことについて、我々は自信を誇りを持って、困難に立ち向かおうじゃないか、そうすればできるよ」
 内容的にはそういう話でした。
 いつもそうなのだけれど、(バカブッシュの演説ですら)大統領の演説を聞くと、感動するのですね。涙が出そうになる。
 それはアメリカという国の成り立ちと、彼らの教育と、スピーチライターという専門職の洗練された文章と、伝道師的伝統の英語の音楽的な言葉のリズムと、そういうすべてのものの重なり合わせだけれど、基本にあるのは当事者意識を皆が持とうとしている、もたそうとしていること。
 自分の国であり、自分の困難であり、自分の未来が自分の手にあるという基本構造。そしてそれが自由ということであり民主主義というものであると、つねに確認し続けていること。
 結果として、アメリカが行うことが世界を幸福にしないことはたくさんある。それはもうたくさん。
 けれど、大統領が替わってリセットがかかる度に、アメリカ国民はアメリカ合衆国国民であることを誇りに思い喜ぶチャンスをもつということだけは事実のようだ。
 一方、日本の政治の問題は、国民に当事者意識がないこと、政治家が当事者意識を持たせようとしないことに尽きるように思う。
 何もかも足りない困窮のなかから、経済が成長すること自体が幸福の増大に結びついていたときは、それで、だれも困らなかった。
 政治がいくらか失敗しても、だれかが私腹を肥やしても、みんなの生活が向上しているときは、多少のスローダウンも、取り分の不公平も問題にはならなかった。
 でも、いまのように困難に直面したとき、そのことはとても大きな障害になる。
 政治家が国民にわずかな負担を求めることすら困難になってしまっている。単純にたった数パーセントの税金すら上げられない。
 政治家と国民のあいだに信頼関係がないから、国民自身が自分の国を造り動かしているのだと思っていないから、自分の国の金庫に自分の財布からいくらか移動させるだけで、それは以前として「自分が主権者である自分の国のもの」であることにかわりはないはずなのに、税金を払うと云うことが、自分の財布から抜き取られ、自分とは関係のない財布に入ってしまうと思うのだ。
 誇りがあれば、自ら傷みを負うことができる。
 信頼されていると思えば、一緒に困難に立ち向かおうと言えるのに、「票を入れて戴く」「税金の負担をお願いする」あるいは「票を入れたらあとはだまって政治家に任せる」という構造だし、自分が主権者なのに被害者だと思ってしまっている国民は、国の困難や自分の困難に自分の責任を感じず、政治の責任を追求しては失望し、ますますしらけて何もしなくなる。
 僕は日本を好きだけれど、アメリカに大統領が生まれる度に、アメリカ人を羨ましいと思う。キューバの人を羨ましいと思うのと同じように。

映画『チェ 28歳の革命』

 封切り初日に行こうと思っていて、事情で先延ばしになっていたのを、先ほど見てきました。
 キューバ革命の立役者「エルネスト・チェ・ゲバラ」のドキュメンタリータッチの物語。
 ゲバラに対する十分な知識がないこともあって、よくわからないところや、視覚的にカストロとゲバラが区別できなくなってしまうところがあったりで、部分的に頭の混乱が起きたけど、すごく面白い映画でした。
 ゲバラをヒーローとして描いているということは、キューバ革命を全面的に肯定している映画であるわけで、それをアメリカが作っているところが、アメリカの懐の深さですね。ふだん、目一杯ふところが浅く見える(笑)アメリカですが、こういう映画を作る国でもあるんだ。
 だって、アメリカこそがキューバの敵であり、ゲバラが南米で活動していたときの、本当の敵だったわけだから。
 冷戦時代も遠くなりにけり、ということなのかもしれないけれど。
 僕の一番ストレートな気持ちは「キューバ革命やゲバラについてもっと勉強してからもう一度みたい」ってこと。
 少なくとも、この映画を観ていると、キューバ革命がなぜ成功したのか、という理由の一つがはっきり見えてきます。(と、シロウトの僕は思った)
 よく左翼の一部の薄っぺらな人で、相手を論破できないときに、学歴や出自を持ち出して、裕福な家庭で育った人間には、または、高学歴の人間には、弱いものの痛みはわからない、なんて議論にならない、根拠にならない、反則中の反則の話、禁句中の禁句を持ち出して、議論の相手を唖然とさせる人がいるのですが、そんなときにギャフンといわせるいい表現が見つかりました。
「じゃあ、君は、裕福な家庭で育って自分自身医者だったチェ・ゲバラは人々の痛みがわかっていなかったとでもいうのか」
 今度からそういってみよう。
(て、まったくレベルの低い話でスミマセン)
 革命っていうのは、先鋭化した活動家がいくらいてもダメで、ノンポリを自分の味方にすることによってはじめて成功するはずのものだ。
 だからこそ「あんたにはわからない」なんて言葉は、活動家としては絶対に吐いてはいけないセリフだからね。
 革命というのは活動家が「人民の前衛」に立つだけじゃなくて、前衛の後ろにたくさんの人民がいないと成り立たない。「あんたは僕の後ろにこなくていい」と自分の方から人民を分断してしまう革命家はだめである、ということが、この映画を観ればわかるはず。
 活動家のみなさん、ぜひ、ゲバラに学んでください。
 最近、プラクティカルな議論ばかりで、思想的な議論をしていないので、右翼でも左翼でもいいから、久しぶりに、ちゃんと議論のできる人と話をしたいなあ、なんてことも思った夜でした。

pomera (ポメラ) という筆記用具

 最近では、ブログを書く人など、書くこと自体を職業としていなくても、「書き手」が増えているから、pomeraみたいな道具は、もしかしたら、ものすごく需要があるのかもしれない。
 一昔前、神話があった。
「タイプライターがふつうに使われる欧米と違って、日本人はキーボード操作が苦手である」という神話だ。
 家電メーカーは、どうやらいまでも、どこかそう思っているふしがあって、テレビのリモコンにキーボードをつけないから、ビデオのタイトルを入れたりするのがすごくたいへんだったりする。
 せっかく機械の能力としてはいろいろ便利になって編集能力やタイトル管理機能があったりするのに、文字入力のインターフェースが悪すぎるのだ。バカだよね。
 USBでキーボードを挿せるようになっていれば、多くの家庭にあるキーボードで文字が簡単に入力できるというのに、50音の表の上をカーソル移動して文字を選ばせられる。
(せめて、携帯電話方式でテンキーで文字入力できればずっとまし)
 実際は、いい道具さえあれば、それで文字を書きたくてしょうがない人はたくさんいるのかもしれない。
 著述を直接職業としない人でも、実際、会社での仕事の多くは文書作成だし、仕事以外にも、ブログに日記を書いたり、自分史を書いたり、趣味で小説を書いたりする人はものすごくいるから、いまや「使いやすい文章入力ツール」があったら少々のお金を出しても手に入れたい人は意外に多いのかもしれない。
 若い世代は、すでに携帯メールでコミュニケーションしながら育っているから、思いの丈を文字にする文化は、これからますます盛んになるだろう。
 文房具屋さんの KING JIM が「電子鉛筆」として pomera を発売したのはひょっとしたら必然なのかもしれない。電気屋さんやパソコン屋さんこそが、キーボードやパソコンをいつまでも特別な存在と考えていたけど、ユーザーの方はとっくに書く道具として使いこなしていたのではないか。
 pomera とその評判を見聞きしていると、そんな気がするのだ。
 筆記用具だと思えば3時間しか使えないなんてあり得ないし、ネットにつながらないとダメだなんてことも別にない。そんなボールペンや鉛筆がどこにあるっていうんだ。

はじめてポメラの電池が切れる

 都内へ出勤。
 道が空いていて、いつもよりも早く渋谷に着いたので、マクドナルドがまだ朝食メニューではないか。
 というわけで、マックは断念して、直接、駒場図書館を目指す。
 キャンパスに着くとさっそく条件反射的に腹が減っている。(笑)
 新しいメニューに挑戦、というわけで、「富山ブラックラーメン」(400円)。本当に富山にこういうラーメンがあるのかどうか知らないけれど、醤油味で焦げ茶色のスープだ。スープはふつう。麺はそこそこ悪くないかな。
 おなかが空いているので、スープまでしっかり飲んじゃったよ。(笑)
 ITALIAN TOMATO CAFE Jr. で連載の企画についてpomeraでメモを作る。
 途中、使いだしてから初めて「電池の残りが少なくなりました」とのメッセージが出て、充電式の eneloop を、予備の単四電地に交換。電池で動くということはなんとすばらしいことか。
 全体を通じてのテーマとか、サブエピソードの規模とか。
 掲載だから1回ごとに、それなりの「山場」をコンスタントに確保する必要があるのだが、単行本化のときには、それではリズムが悪くなってしまったり、冗長になったりするので、どのみち、かなりの書き直しは必要になるだろう。
 刊行周期を週刊とした場合、1回の分量は原稿用紙にして、15枚から20枚程度なので、スペック的には pomera で書けてしまう。むしろ、確実に締め切りを守るには、pomera のような道具でいつでもどこでも書けるということは大きなメリットかもしれない。
 長編の執筆では、数量的なバランスや、構造を俯瞰するために、アウトラインプロセッサや Excel などのツールを頻繁に参照するので、パソコンが必要になることが多くなるのだけれど、こうして考えごとをしながらどんどん書いていくような場合は、pomeraでまったくストレスがない。入力ツールとしてほとんどPCに遜色がないといえる。
 もう少しこうだったらさらに便利になるのになあ、というところはもちろんある。
 明日明後日がセンター試験なので、駒場キャンパスは午後休講。食堂も図書館も午後五時まで。
 家に帰ったら、ハドソン川に旅客機が不時着して全員助かったというニュース。すごい。

連載のための仕事のスタイルの確立せねば

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 午前5時、サッポロ一番味噌ラーメンを食べて寝る。(わ、体に悪そう)
 午前8時40分起床。当然、眠い。
 例によって、妻の通勤に便乗して出勤。
 恵比寿から歩き、並木橋近くのマクドナルドで、朝食をとりながら仕事開始。
 コーヒー(クーポンで100円)+チーズバーガー(120円)=220円。
 昼になって、店が混んできたので駒場図書館に移動。
 pomeraで、コラムを書いたり、タイトルを考えたり。
 イヤホンのBGMは久々にベートーベンの「運命」。
 昼食は、鶏唐揚げみぞれ和え(290円)+五種雑穀米S(100円)+味噌汁(20円)=410円。
 家からタッパウエアでご飯をもってきて、カフェテリアでおかずだけとっている学生が目立つ。けっこうみんなつましいのだ。
 前に見て、僕もそうしようと思ってみたけど、いい年をしたおっさん(白髪があるから学生たちからみたら「じいさん」かもしれない)がそういうことをしていると、みすぼらしくて、若者の夢をくじくからやめておいた方がいいと思い至る。
 大人は若者の手本にならないとね。(意味不明)
 ここのところ、ほぼ一日中、新刊のタイトルを考えている。
 タイトルは売上にとって重要なので、最終的に編集者の意見にそうべきだというのが僕の考え方であるけれど、そのためのたたき台になる案はできるだけ、多彩にインスピレーションに満ちたものを用意するというのが僕のスタンス。
 
 午後四時、渋谷に移動して打合せ。
『D列車でいこう』を読んでいたという編集者から連載のオファー(詳細内緒)をいただく。ありがたいことだ。
 長編と連載を同時進行するには、そのスタイルを確立する必要があるので、仕事全体をみわたして、自分なりのやり方をつくっていくことが肝要。
 プロというのは、結果をきちんと出すためのやり方を自分で見つけられる人ってことだ。
 イチローしかり、山本昌しかり、伊達公子しかり。
 新しいチャレンジであるし、生活のリズムにとっても、経済の安定にとってもいいチャンスなので、いかに時間を作り出していくことができるのか、形を作り出していこう。
 
 野毛に立ち寄って、某ホテルの料理人の人などと歓談。
 明日は、エッセイを1本、仕上げなくては。
 本年も、本格的に始動って感じ? 語尾上げ(笑)

あたりは大混雑

 暮れからずっと腰が痛い。基本的には運動不足。
 というわけで、自転車で出かける。
 ジャックモールをたくさんの人が歩いている。中央市場にはだれもいない。ポートサイド公園は近所の人が子供連れで出ている。ベイクォーターに入る駐車場待ちの列も長い。
 高島中央公園も子供連れ。
 中華街はバカ混み。駐車場に入るための行列がワンブロックをぐるりと囲んでいる。いつもは空いている中華街の Blenz Coffee も今日は満員。元町も人でいっぱい。元町のスターバックスはほとんど外まで列ができているし、歩道は行き交う人がひっきりなし。
 というわけで、横浜の中心部の、観光やショッピングのエリアはどこも大混雑だ。
 僕は、山下公園のマクドナルドでチーズバーガーとナゲットとコーヒー(クーポンを使って320円)で昼食。
 入ったときには行列だったけれど、pomeraでちょっと原稿を書いているうちに空いてきた。
 帰宅して、続きの仕事。

KINGJIM pomera がやって来た

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 pomera(ポメラ)がやって来た。
 一部では絶賛されている、テキストエディター専用マシンだ。
 小さな液晶画面に、開くと小型のノートパソコンと同じ大きさになる折り畳み式キーボードがついている。
 インターネット機能もない。メールもウエブブラウジングもできないし、もちろん音楽も写真も動画も扱えない。ただただ文字を書くだけしかできないが、文字を書くのに必要十分な機能があり、文章を書くことについては妥協していない。
 売り出したのは文房具メーカーのキングジム。
 会社の会議などでメモを取るための軽便な道具として企画したらしい。
 ところが、これが仕事上で文章を書くことの多い人たちが待ち望んでいる道具だったのだ。
 ノートパソコンは1kgかそれ以上、pomeraは370g。ノートパソコンのバッテリーは数時間しかもたないが、pomeraは単4アルカリ電池で20時間。充電器など持ち歩かなくても、電池切れになったらコンビニで調達できる。
 僕もその一人だが、パソコンを使っているほとんどの時間文章を書いているような人々にとって、じつはノートパソコンにもっていた不満がきちんと解消されているのだ。
 というわけで、発売前から様々な媒体で取り上げられ、発売と同時に絶賛を受け、初期ロットはあっというまに売り切れて日本中の店頭から消えてしまっていた。
 メーカーの予想を遙かに越える売れ方であり、ユーザー層も想定していた一般のビジネスマンというより、ヘビーユーザーに受け入れられるものになっていた。
 いま、この文章もpomeraで書いている。入力にほとんどストレスがない。
 外出時には1kgのノートパソコンを常に持ち歩いていたけれど、これだけですめば、ずいぶんと楽になる。
 電源もスイッチを押して2秒で立ち上がるので、パソコンのような待ち時間もない。
 バックライトのないモノクロ液晶もとてもコントラストが高くて見やすい。実にすばらしいマシンだ。
 ヘビーユーザーが高機能な道具を求めているというのは、最初から誤解だ。
 板前は十徳ナイフは使わない。万能包丁も使わない。
 出刃包丁、菜切り包丁、蛸引き、と、それぞれの用途に特化した専用の道具を使う。
 余計なことはできなくてよいから、やりたいことが妥協せずにしっかりできる必要がある。
 どこでも時間を惜しんでできるだけ長い時間文字を書きたいのに、要りもしないカラー表示ができるかわりにバックライトが電気を食って電池が保たない道具は、かえって困るのだ。
 外へ持ち出すから小さくといっても、十分な速度で自然に文字が書けない窮屈なキーボードでは困る。
 文字を書くことに特化した基本性能を持った上で、その先に付加機能がなければならないのだが、実際は、あれもこれもできるようにすることで、ノートパソコンも中途半端な道具になっていたのだ。
 様々なことができる多彩な機能を持つパソコンという道具が成熟して、おのおのの機能をよりブラッシュアップした単機能の道具が出てくるのは、ある意味で当然のことだろうと思う。

探偵手帳?

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 子供の頃、雑誌の付録に「探偵手帳」というのがありました。
 変装の仕方とか、シャーロックホームズの住所とか、暗い夜に水たまりを見分ける方法とか、そんなことが書いてありました。
 なんとなく、内容がもの足りなくて、自分でそういう手帳を作ってみたりもしました。
 写真は推理作家協会の手帳。
 むかしは、企業が手帳をつくって、年末になると取引先に配ったりしていました。
 NECで働いていた頃は、技術部門だったので、たしか年末に回覧が回ってきてお金を出して買った覚えがあります。
 そういえば、カレンダーというのも、最近は配られなくなりました。
 なんで写真に目薬が写っているかというと、ドライアイだからです。