diary2016

葬儀

義母の葬儀が無宗教で行われた。
近親者、実際につきあいのあった友人、組織や商売の義理で動いている人が一人もいない式典。
いい葬儀だったと思う。
遠慮するよりもむしろ言いたいことをストレートにいう人柄がむしろ良い友達に恵まれる。そういうことを感じた。
R.I.P.

オスプレイ

 訓練というのは「本番でうまくやるためにやる」わけなので、訓練中には事故が起きるのはふつうというか想定内のことで、問題は、それでも十分安全であるかどうかだと思う。
 今回のオスプレイのように、洋上で訓練して失敗して洋上に落ちるのは、参加している乗員はともかく、一般人に危険はなさそうだ。
 浅田真央だって、練習で転びまくるから本番で三回転ジャンプができるわけで、練習で転ぶのは問題ないし当たり前だよね。
 沖縄に基地を押しつけている現状は問題だと思うけど、オスプレイの空中訓練の事故が住民の安全を脅かしているという事は無いと思う。
 反対運動をするために、客観的でない主張をすると、まともな人の支持が得られなくなるので、やめたほうがいい。

パソコンは壊れるもの

 ツイッターにPCが壊れたと書いたら編集さんが心配してくれたのだけど、元エンジニアなので「パソコンは壊れるもの」だと思っていて、多重化してあるのでへっちゃら。
 最大3台同時に壊れても、リカバリータイム40分(家と事務所の片道通勤時間)で仕事の続きができます。
 時々、クリエーターの人でパソコンが壊れたと悲鳴を上げている人がいるけど、仕事で使うパソコンが1台しかないこと自体プロの自覚が足りないと思ってしまう。
 パソコンは壊れるに決まっている。しかもたいていは〆切直前に。
 朝6時過ぎ、著者校(初校)作業終了。
 仕事場近くのセブンイレブンで宅急便を出しつつ帰宅。

文庫の著者校

 父のために実家に泊まる妻を残して、終電で新百合ヶ丘から黄金町の事務所へ向かう。
 午前1時前、事務所に到着。すでに25日だが、24日の分の仕事開始。
 故人の好きだったモーツアルトのクラリネット五重奏曲K581を聴きながら、2月発売の文庫の著者校。

義母、逝去

 午後、見舞いに行った妻から電話。
 義母の容体が悪くなっていると医師から言われたと。
 すぐに駆けつける準備を始めて15分後、亡くなったという報せになる。
 電車で病院の最寄り駅あざみ野まで行ったところで、遺体は自宅へ搬送されるということで、今度はそこからバスで妻の実家のある新百合ヶ丘へ。
 年末、クリスマスの土曜日で、道路は大渋滞。
 妻の実家に着いたのは、自宅を出てから3時間後だった。
 半年前から入院していた母が、やっと自宅へ帰ってきた。

天皇誕生日

 伊勢佐木町でロースカツ定食を食べていたら、外を「奉祝天長節」という幟旗を立てたデモ隊が更新していて、途中、怒鳴り合っていた。
 なんだか誕生日を祝うのにふさわしくない雰囲気だったな。

自由に生きるための能力

 今日は一人で自炊なので、モヤシ炒め(28円)に納豆(3つで68円のうちのひとつ)という超格安の夕食。一番高いのが、バーリアルなるイオンの嘘ビール(85円)。
 これでけっこう幸せになれるので、将来のお金の心配がない(笑)。
 質素な暮らしで満足できる人間に育って本当によかったと思う。でなければ、小説家になる決心などできない。
 貧乏に弱い人は冒険ができなくてかわいそうだ。
「科学的に安全である原発」は将来的に存在しうると思う。
 けれど、人間は合理的判断をするとは限らない存在だ。
 さらには、時に悪意を抱く存在であることを考えれば「人間は善意で行動する」ことを前提に作られている原発は哲学的見地から安全ではないと思う。
 わざと事故を起こそうとする人間は必ず現れる。

文庫のゲラ到着

ヤマト運輸、年末で混んでいるみたいで、指定の時間にゲラが届かない。まだ発送側の中継地点。早くても夜遅くになりそうなので、家庭サービスを兼ねて、沖縄料理食べに行く予定を立てた。
出かける直前にやっと届くが、後回しにして関内の「舞天」へ。
沖縄的にソウルフルな店で楽しかった。

エッセイの日

 カナダの「ふれいざー」誌向けの連載エッセイ。
 コラムが片付かなくて後回しになっていた。
 明日には文庫のゲラが来るので、その前にこれ。

マイナンバー

 出版社あてのマイナンバー関係の書類を2通作成。
「書類は出さなくても不利益はないからわたしは出さない」とかいう人がいるけど、書類を出さなければ自分がマイナンバー制度の外にいられるわけではない。
 書類を出さなければ役人が手間をかけて名寄せの作業をすることになる。
 つまり、子供じみた反発のせいで、税金が無駄に使われる。
 そもそも行政を効率化して、最小の手間で税金をしっかり取るためにマイナンバーという制度があるのだから、行政に意地悪をしてもなんの意味もない。