春になったので、バイクのバッテリーを充電。
このバイクで初めてエンジンかからくなっていたけど、バッテリーが死んではいなかった。充電後のテストも合格。まもなく5年になるけどまだ使える。
ついでに横でジャンプスターターも念のため充電。
ジャンプスターターがあっても4mmの六角レンチがないとバッテリーにアクセスできないので、そこのところとても大事。
ことしは夏の間、蓼科にバイクを置いておこうかと思っている。
というのも、横浜で妻が透析に週3回通うのに車があったほうが便利なので。
ここ何年か、妻は白内障で運転を止めていたのだけど、今月、二度に分けて手術をして視力が回復するはずなので、僕が送り迎えをしなくても自力で運転して通えるはず。
で、車は一台しかない。
都立新宿高校出身の弟が、ある日、新宿で隣の席で飲んでいた人が同窓の先輩だということで話をするようになった夜があり、どんな仕事をしているのかという弟の問いに、「ミュージシャン」だと答が来て「いろいろ大変でしょうけどがんばってください」と〈激励して〉別れたと聞いたことがある。
その人が「坂本龍一」として後に有名になった人だった。
坂本は1952年1月生まれ、1954年12月生まれの僕の3年上の学年で、都立高校にも学園紛争があった真っ盛りの新宿高校の生徒だった。
僕が入学した後にも、高校の敷地には独特の書体の立て看板があった。ガリ版刷りの社会運動のチラシも頻繁に配られていた。クラスでもいろいろな討論をした。僕も高校生の時に代々木公園に集合して、「安保反対」「沖縄返せ」「佐藤(栄作総理大臣のこと)を倒せ」とシュプレヒコールを挙げながら、表参道を横一列に腕を組んでデモをしたことがある。
坂本はそれより前のずっと激しい運動があった時代に高校生活を過ごした。
そんなこともあって、だいたい僕らの世代を含め、上の世代は基本的に反自民、または、左翼的な目で社会を見ることがデフォルトになっている。
自民党支持が多いいまの若者と正反対に、60代70代で顕著に自民党支持率が低く野党支持が多いという世代的特徴だ。
現在に至る坂本の発言は、当時、僕ら高校生の多くが見ていた「日本」「社会」「自民党」「大企業」「資本主義」「支配者と被支配者」についての考え方をそのまま反影していた。
原発反対への社会的な発言は一つの重要な立場の表明として評価できるとして、一方で、福島の事故の後、復興を妨げるような、科学的に誤った知識による風評加害を繰り返す人でもあった。
YMOこそ、僕にとっては全然心に響かない音楽だったけれど、「戦場のメリークリスマス」のテーマは、繰り返し繰り返し聞いても奥が深く、きちんと教育を受けた才能のある人の創り出すものの力を強く感じるものだった。
ひとりの人間がすべてを持っていなくてもいい。すべて正しくなくてもいい。
坂本龍一は、彼の作った音楽によって、この社会に大切なものを残した。
ライブ終わって、魂が抜けたというか疲れが出たというか。
栗原さんの個展の最終日も、Tsukada さんとこのライブも、至星さんの美味しそうなカレーも、家から出る気力が湧かずで。
それでも、3時過ぎから、ベランダでオーストラリアへ帰る Sakura Alice のところから先日もらい受けたスチールの棚の錆落としをして組み上げ、仕事場の床を塞いでいたものをむりやり縦に積んだので、床に片付けのためのスペースができた。
2021年秋に12年いた黄金町の仕事場を引き払って膨大な荷物が家に入り、妻も2022年春に大学の研究室を引き払ったものだから、家の玄関も廊下も居間ももちろんそれぞれの部屋も、段ボールなどが塞いでいて、家全体が通路はだいたい60cm幅でしかもジグザグ。居間にもソファへつづく狭い同様の通路が確保されているだけ。
片付けをするにはいったん広げる場所が必要なのに、それがないものだから片づけられないという状態がつづいていた。
やっと少しスペースができたのと、広げるスペースは引き戸を開けてベランダを使えばいいじゃん、と瓢箪からコマで気づいた。
(いや、さっきまでは、ベランダに続くドアの前にダンボーがあって、僕の部屋からベランダへはアクセス不能だったのだ)
というわけで、プランA、プランB、プランCなど全部実行できなかったがプランDができたので、まあ、生産的
以前に、車からバッグを盗まれてしまったときに、取材用のICレコーダーも一緒に盗まれてしまったのですが、改めて手に入れた。
動作テストをかねて、録音状態でポケットに入れたまま、しばらく行動していました。
再生してみると、その時に気づかなかった音や、音から景色が浮かんだり、その場の空気が頭の中に再現されてきます。
これは小説の情景描写で心象を書くときにとても参考になる。
あと、アイデアを思いついたときに、独り言を言っておけば忘れないのでいいかもしれない。
あと、ある事象から次の事象への正確な経過時間が、その時に時計を見ていなくても正確に分かる。
というわけで、小説家としては、後で聞かなくてもとりあえず録音機を動作させてもっているというのはけっこう役に立つかもしれない。

