日: 2022年8月14日

満蒙開拓平和記念館

 

 今日は山の家から120Kmほど車で走ったところ、長野県下伊那郡阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」の取材。
 小さな施設だけれど、テーマの背景を説明したビデオ20分、体験者の聞き取り全部で100分以上など、2時間半ほど滞在したが、ビデオ以外の体験者の文字起こしまで全部は読み切れなかった。
 13年間しか存在しなかった「満州国」へ、国の都合で半ば騙され強制されて開拓団として移住していった家族たちのことを中心に、彼らの為に土地を奪われた中国人、ソ連参戦で運命を変えられ命を失ったり、家族が離散した人々、シベリア送り、残留孤児の問題、生糸暴落などによる農村の貧困、など、国と国民の関係を考えさせられる、とてもフェアで事実の積み上げによって考えさせられる展示になっている。
 戦争と国家と国民について考えるには、広島の平和記念資料館、糸満のひめゆり平和祈念資料館などが、どちらかというと戦争の被害者として悲惨さを伝える形になっている施設に対して、被害者であり同時に加害者であることを感じとることのできる、この「満蒙開拓平和記念館」の方が多面的でよい施設だと思った。
 どのように国民が戦争を支持していたのか、ということもとてもよくわかる。政府や軍部がむりやり戦争に引っ張っていったばかりでなく、情報操作によるものであったにしても、国民が戦争に歓喜し、積極的に関わっていったことが、とてもよくわかる。
 戦争は「被害者」としてそれだけ悲惨であることを知っても、それだけで防ぐことはできない。なぜ、戦争を始めたか、そして始めた戦争をどのように国民が支持したか、ということを考え、被害者ではなく「戦争をしていた当事者」としての意識を振り返らなければ、防ぐことはできない。
 日本国民は日米開戦を大喜びし、心の底から「戦うことが正しい」と信じて戦争を始めたのだ。
 日本に戻ってきた残留孤児だけでなく、日本人の子供をあずかって自分の子供として育て、後に、国交回復で日本の肉親が見つかって育てた子どもを手放すことになった中国人の母親、ノルマと競争心から生徒に開拓団への参加を半ば強制した教師、など、とても多角的な体験談で構成されている。
 毎年、8月になると繰り返される被害者としての「悲惨な戦争の姿」ではなく、国民が当事者であったことをもっと考え続けなければならないと強く思った。
 片道2時間かけて行ったかいがある。できてまだ9年ほどだそうだが、もっと知られてよい施設だと思う。
 満蒙開拓団で出て行った人数は長野県が突出しているとのこと。
 それにしても、沖縄戦の日本軍にせよ、満州の関東軍にせよ、戦況が悪くなると、国民をそこに残したままさっさと先にその場から逃げていく日本の軍隊ときたら。
 夜、花火の音が聞こえる。
 こんな山の中で、と思っていたら、遠く諏訪湖の花火大会の音らしい。