池田修を偲ぶ6日間「都市に棲む 池田修の夢と仕事」
@BANKART STATION
BANKARTを運営していた池田修さんとはひとことも話したことはない。
名前を聞いたことがあるだけだった。過去に BankART で見かけたことがたぶんあって、きっとあの人が池田さんなのだろうという淡い認識だけだったのが、亡くなって大勢の人が写真を上げているので、ああ、やっぱりあの人が池田さんだったのだと理解した。
ただ、前に書いたように僕の愛用のギターと同じギターケースを使っていたことがわかって、僕は急に池田さんに親近感を抱いた。
ケースを開け、ギターのネックに手を伸ばした時の感触、そして、そこからギターを引っ張り出すときに感じる、ケースの内側のベロアの生地の摩擦抵抗を感じる瞬間。
弾き終わってケースに戻すとき、最後の数センチすとん落とすときにふたたび感じる独特の滑り摩擦。それを僕と同じように池田さんも感じていたのだと思ったら、同じ気持ちを共有していた人なのだと、いわば赤の他人の僕が勝手に思うようになった。
彼のギターはYAMAHAのFG-200というモデルで、1972年から4年間販売されていた。僕が同じケースに入れているAriaのギターを買ったのが1973年だから、完全に時代が一致している。
池田さんは僕より3つ年下だから、彼がこのギターを買ったのは高校生の頃だったと推察される。
それから、僕がそうであったように、池田さんも、このケースに何千回もギターを出し入れしたのだろう。