月別: 2020年9月

歩いた

一般病棟。

午後3時半に、リハビリの先生が来てベッドから立ち上がる。
靴を履く。サルから人間になった。
サークル(歩行器)で立って、フロアを往復。
自立トイレの許可が出る。
さっそく用を足す。赤ん坊から大人の人間になった。

渇きとの戦い

ICUは賑やかだ。
患者と看護師医師との会話もさることながら、医療スタッフどうしも割と和気あいあいとやっている。

隣のご婦人は87歳、おむつをしていてうんちが出てしまうらしく、ナースコールをしては仕切りに申し訳なさそうにしている。その度に看護師さんが「いいんですよ、いいんですよ」となだめている。

別の看護師同士の会話。
「ドレーン浴びちゃった」
「えええええっ!」
「全部。ズボンビショビショ」
「靴は?」
「靴も結構新しいのに、もう捨てるしかないなあ」

ドレーンというのは体腔内に溜まる体液を体外に排出するために入れる管のこと。
医療の世界では自分以外の他人の体液(血液など)はうんちと同等に汚いものとして扱われているので、「ドレーン浴びちゃった」は看護師にとっては「うんこ浴びちゃった」に匹敵する意味を持つ。
常に感染の危険と背中合わせの仕事だ。

そうした様々な会話や音を聞きながら、ほぼ上を向いたまま過ごす。

手術

午前3時半には目が覚める。そこからトロトロ寝るのが病院暮らし。
6時からは水分も摂れない。
午前8時、抗生剤の点滴なのだけど、若い看護師さんでルートがうまく取れなくて時間がかかる。手術前に全量入れなくてはいけないらしく、速度をあげたら今度は顔に火照りが出て減速。
結局、8時半の予定が8時50分出発になる。
出足からいやな感じで始まる。

手術室までは歩く。
座って、まず、パジャマを脱いで、横になる。
その先はもう麻酔の中。

ICUで目覚める。
妻がやってきて、10分面会。
そのあとは、痛みもあるけど、むしろ喉の渇きとの戦いが、翌日まで続く。

時間が経つのが遅い。
前日の朝6時から水を口にしていないので、早く時間が経って飲めるようにならないかと願うばかりなのだけど、一日中、ほぼ2時間おきに時計を見ては絶望的な気持ちになる。

結局、水が飲めたのは翌29日の午前7時過ぎ。24時間以上、水を口にすることができなかった。
手術の不安よりも心理的には「死ぬかと思った」。まあ、ICUにいて脱水で死ぬことはありえないのだけど。

早寝早起き

今日も午前3時半に目が覚めて、そのまま起きている。早寝早起きである。
朝食前に病棟内を歩き回って運動。
昨日は動かなすぎた。夜に地下三階のローソンへ行っただけ。

歩いた範囲では調子が良く、あたかも手術が必要ではないかのよう。
仕事をしていなければあまり悪くならないし、悪くなってもじっとしていればいい。
しかし、仕事はしたいわけだし、悪くなるのを承知でやるしかないから、苦痛の原因は取り除いておかないといけない。

歩きながら病室の稼働率を調べてみると、50%を下回っている。
コロナで医療施設の経営まで疲弊している。

特にすることもなく淡々と過ごす。
入院してから仕事をしないと決めたら血圧が低く安定している。
外にいる時はいつも何かしら張り詰めているからなあ。
「病院にいるとストレスがないから」
と言ったら看護師さんが「それ、奥さんに言っちゃダメですよ」
いや、そういうことじゃあないんだ。

午後、ICU 担当の看護師さんがやってきて、説明と見学。
ICU は見かけは意外と普通だった。
看護の密度が高いのだね。確かに Intensive Care Unit だからね。

シャワー

午前4時前に目が覚めて、しばらく本を読んでいるうちにまた眠ってしまい、午前7時に目覚める。よく寝た。入院しているといくら寝ても罪悪感を抱かないのがいいね。
どこにいてもいつでもいろいろ忙しいから、10年分の疲れをとっているような気がする。

今回の術式、腰椎脊柱管狭窄症の側方経路腰椎椎体間固定術(XLIF)と後方侵入腰椎椎体間固定術について調べる。

祝 入院後、初めてのお通じがあった!
13年前の入院ではここで苦労した。手術後の痛みより、便秘の方が辛かった。
普段は、どちらかというと1日複数回の人なので便秘の経験に乏しい。
何事も経験だ。
夕方までに出なかったら、便秘薬を出してもらおうと思っていた。

入院後初めてシャワーを浴びる。
慣れないので、段取りが悪い。着替えとかシャンプーとかタオルとか右往左往。
いつでも、シャワーを浴びて後悔することはない。
肩こりも良くなった。

小川珈琲のドリップパックでコーヒーを淹れる。
2杯目の飲んでいたら「いい香りですねえ」と看護師さんが入ってきた。

畑野友美『神様を待っている』読了。
読み進めるうちに、胸が苦しくなってくる小説。

午後6時に夕食を摂るとすぐに眠くなってしまうが、午後9時の消灯までは本を読んで起きていた。

造影検査

午前3時半に目が覚めて、そのまま起きる。いつでも眠れる場所にいるから無理に寝なくてもいい。
モバイルSUICAの履歴を見ながら、交通費を経理システムに入力したりして過ごす。
こうして、普段できないことができるから入院もいいね。
読書のネタもいろいろ持ってきた。

朝の体温、35.7度。血圧124/76。
朝食、なんとなくがっかり。検査で昼食抜きになるので、勝手に期待してしまった。(笑)
でも、何にもしなくて食事が出てくるのは本当に楽だ。

午前10時前、装具の納品。
午前11時、音楽を聴きながら運動。少しでも筋力を保持しなくては。

午後3時前から造影検査。
造影剤を入れて、いろいろな姿勢でレントゲン撮影、のち、伸ばした姿勢でCT撮影。
午後4時15分、やっと水を飲めるようになる。

午後5時、会議を終えて妻が合流、担当医から手術の説明、のはずが始まったのは6時過ぎ。
結構な大手術であることよ。

午後10時、点滴はずす。
看護師さんを見ていて、人との接し方を学んでいる。

ヒマという贅沢

入院。
妻も帯同してくれたが、受付を通り、整形外科病棟のナースステーションまで。
コロナ対策で面会者は病棟に入れない。

寝巻やタオルの説明、トイレ、シャワー、キッチン、テレビのカード、そのほかの説明。
保険適用の4人部屋だけど、部屋にシャワーとトイレがあるのは、ありがたい。
すっかり忘れていたけど、13年前に入院した時のことを思い出してきた。
窓の外はなかなかの絶景。

看護師さんが来ていろいろ聞き取り。
薬剤師さんが来て聞き取りと、今後、投薬されるものの説明。
リハビリの担当さんが来て、筋力のテスト、歩き方の観察、リハビリ計画とその目標について。

あとは基本的に暇。
そういえば、13年前に入院して以来だけど、病院にいる時しか暇なことがない。
ヒマとはなんと贅沢なことだろう。

21時消灯。
あえて前日あまり寝ないようにしていたので割にすぐ寝付くことができた。

出発

午前8時前に起床。
さっそく朝食を作って食べる。
入院が午後1時なので、それはつまり昼食後ということであり、入院してしまえば食事は夜までできないから、昼食もちゃんと摂っておかなくてはならない。そこから逆算して、朝食もちゃんと「朝に」摂る必要がある。

残りのコラム20本を校正して編集者に送付。

シャワーを浴びる。
枕カバーと着た物すべてとバスタオルを洗濯。
戻ってくるともう夏物はいらないなあ。
足の爪を切る。

というわけで、
では、行ってきます。

入院前日

Mac mini が届いたけど、触る時間がない。

検体提出から5日を過ぎて、OCR検査で陽性でしたとの連絡がこないので、どうやら陰性であったらしい。よかった。陽性だと入院手術ができない、

夕方少し散歩。
病院内のローソンで、T字帯、弾性ストッキング、などを調達。

しばらく家を空けるので、どんどん洗濯。
入院で必要なもののチェック。

新聞コラムの校正が残っていたことに気づく。よかった。
とりあえず60本のうち、40本を済ませる。
残りは明日、出発前だのクラッカー。

刃物一式は研いである。
(妻は包丁を研がない)

オートバイ

今日の入院準備は、オートバイを走らせること。
8月に入ってからまったく乗っていなかった。
エンジンは無事にすぐにかかった。
彼岸なので墓参りに行こうかと思ったけれど、空がアヤシイので、それは延期。
昨日ヨットハーバーで遣り残したことを思いついたので、まずはヨットへ。
次にはバイク駐車場へ行き、駐車シールの発行。
(8月20日で切れていたまま行っていなかったので、こんどは11月20日まで)
つぎに黄金町のオフィスへ立ち寄って戸締まりの確認。
都合2時間ほど。
さて、腰の手術をしてそのあとにバイクに乗れるのはいつになるだろう。

マンションのオートバイ置き場に新しい大型バイクがずらりと増えていた。
コロナで通勤で使う人も多くなっていたけど、行楽も公共交通機関を使わないほうがストレスフリーだから、自家用車やバイクの需要は増えていると思う。
バイクででかければ、だれにも会わず話さずにドライブして帰って「行楽」ができでしまう。感染リスクゼロだ。

帰宅後、昼食。
残りひとつになっていたにんにく1片で二人分のペペロンチーノを作ったら、ちょっとパンチに欠けた。もう少しにんにくがあった方がいい。

Amazonの配達員がマンションの下でインターフォンを鳴らしてから実際に部屋に届くまでに、キャベツとソーセージのスープができてしまった。
マンション内の世帯数が多いので、下でまとめてインターフォンをならして所在を確認してから各戸を回ってくるので、通常、15分以上かかる。