料理は自分で作った方がおいしいという人は、たまにしか自分で作らない人なんじゃないかな。
僕は、自分の味には飽きているのか、その他の理由か、たいてい他人が作ってくれた料理の方がおいしいと思う。
(僕の料理がおいしいという人はいるから、僕が調理が下手なわけではないと思う)
セブンイレブンのコーヒーの味が変わって前より悪くなったような気がする。
三井物産が仕入れを変えたかな。
年金抑制法案、衆議院を通過。
ちゃんと増税しないから、社会保障を削るしかない。
増税に反対する人のおかげで、弱者を守ることができなくなる。
弱者に優しい社会を作るには、弱者でない人の負担をきちんと増やさなくてはならない。
午前4時、キッチンオリジンで、唐揚げとサラダを買った。
ゆで卵とブロッコリーのマヨネーズサラダかあ、と思ってトングで容器に取っていたら、隣にソックリのものがあって、そこには海老が入っている。
ん?
そうか、最初のバットは古いので残り少なく、隣のバットは同じものがあとから追加されている。グラム売りでブロッコリーも海老もゆで卵も単価が同じなので、同じサラダの中からみんな海老を先にあさって買っていくんだね。
生存競争という言葉を思い出した。
みんな一所懸命生きているんだなと思ったら、なんだか元気が出た。
今夜はいい夜だ。
そして、セブンイレブンでサッポロビール。
目覚めると、予報通り、雪が降っている。
天気予報を確認して、テニスコートをキャンセル。
テニスがキャンセルになったので、その分、原稿書きができる。
午後4時23分のバスで、事務所へ出勤。
33回目の結婚記念日を仕事場で迎える。
連作短編の6作目までの読み直し書き直しを(多分)完了した。
あとは、書き下ろしの7本目を書くフェーズに入る。
午前7時頃、事務所を出て、徒歩で帰宅。
遠回りして伊勢佐木町の富士そばで、朝そば、320円。
家に着いても眠くならないので、なんとなくのんびりしながら心を休ませる。
おそらく寝たのは午前11時くらいだろうと思う。
寝て起きて、小さなイタリアンレストランへ出かけて、結婚記念日ディナー。
午前5時59分の地震の時は、まだ黄金町の事務所で仕事中でした。テレビがないので、ネットでNHKを見ると「逃げて下さい」の連呼でした。
揺れの大きさは大したことはなかったけれど、ずいぶん長かった。この長さは初体験かなあ。
311の時も黄金町で、家のマンションは30分くらい揺れていたらしい。地震が終わっても、免震構造に蓄えられた振り子のエネルギーが減衰するのにどうやら時間がかかるのですね。
横浜は震度3だったそうなので、免震構造だと揺れ方によってはほとんど揺れないこともあるのですが、今回は揺れたらしい。
午前7時過ぎのバスで、出勤の方々に混じって帰宅。
シャワーを浴びたら、今日は新宿経由で出勤。
午前11時前、ごーやー荘をチェックアウト。
胡屋のバス停にちょうどバスが停まっていて、そのまま乗り込み、一路、那覇へ。
バスの中で、今回の旅で会った人を勘定してみたら、以前からの友人25人に会っている。
その他、写真家の豊見さんとか、照屋勇賢とか、FMコザを立ち上げた人とか、新しく会った人もたくさんいる。
飲み屋のカウンターでたまたま一緒になって、もう名前は忘れてしまったが、じっくり話し込んだ人もいる。
観光客だらけの国際通りへ行ってもしょうがないので、新都心おもろまちで下車。
「インバウンド」(文庫版は「あなたの声に応えたい」)の舞台になったコールセンターのある町だ。
新しいビルが建ち、お洒落な店が入った商業施設のある「ほぼ東京」の町。
国際通りで時間を潰すよりも、ここらのカフェにいた方が心地よい。
とんかつ屋で、カツと沖縄そばの組み合わされたランチ。
隣の席には、中国人の若いカップル。
女性は服装もお洒落で美人。男性はださい。
中国人の一般男性でお洒落な人をほとんど見たことがない。
スターバックスに移動して、午後4時前まで仕事。
ゆいレール・おもろまち駅で、沖縄の交通系カード OKICA を買う。
唯一の鉄道であるゆいレールと、4大バス会社の路線バスで使える。
空港からバスに乗るとコザまでの料金は小銭の範疇ではなく1000円以上かかる。
両替機の関係で1万円札ではなく確実に千円札を持っていることを確認しておかなくてはならない。あと、乗ち込むときに乗ったエリアを確認するチケットを取らなくてはならない。
それが意外とストレスなので、OKICAを買ってみた。内地の suica などとは連携していない。まだ、商業施設などでは使えない。
乗ってしまえば19分で那覇空港に到着。
空港ビルに入ってすぐの、土産物屋に「ぴぱーち」を発見。
しかし、おじさんが2つを握りしめている。一旦そこを離れてもどると、きれいに売り切れてしまっていた。
ううう、最後の2つを買われてしまったか。
他の店を何軒か回るが、どこにも売っていない。
テレビで放送されてから、数日経っているのに、いまちょうど売り切れるというのも、あまりにもタイミングがよすぎる感じがして、もう一度、さっきの売り場に戻ってみると、空になっていたところ一杯にずらりと「ぴぱーち」があるではないか。
思わず2つ買ってしまった。
トイレットペーパーなんかも、こうして余計に買う人がいてパニックが起こるのだろうと思うわけだが、ぴぱーちは必需品じゃないし、しばらくすれば需給が緩和されるのは分かりきっているので、いいだろう。
ちなみに原産地を見てみると、(タイ国 石垣島)となっていた。
スカイマーク518便は、羽田空港混雑のため出発が10分遅れて、午後5時20分、ゲートクローズ。
金城宏次の紅型染工房で、照屋勇賢に初めて会った。
話したのは、黄金町のことや、文明論みたいなことなど。
彼は2005年のヨコハマトリエンナーレに参加していたのだけど、その年、僕は山下公園のコンテナしか見ていないので、彼の作品は写真でしか見たことがなかったのだけど、新しい「紙袋」の作品を持ってきて見せてくれて、初めて彼の作品の現物を見た。
あーだこーだ言いながら、光の当て方を変えたりして、しばし遊んでしまった。
元はマクドナルドの紙袋なのだけど、紙袋なだけに形を保って運ぶのがたいへんで、専用の木箱をつくっている。
話をしたら黄金町に来たがっていた。
吉本直紀さんが作った「黄金町バザール2016」のPV3本をとても気に入っていた。
沖縄とニューヨークを行き来しているのだけど、最近は韓国や中国経由で沖縄へ入る方が飛行機が安いので、東京を通る機会がなくなっていて、それがネックみたいだ。
日本の国際競争力の無さは文化にまで影響を与えている。
妻からリクエストのあった、島胡椒(ぴぱーち)が、近所のスーパーでは売っていないので、徒歩で農連市場にある問屋中松商事へ。
しかし、残念ながら売り切れている。
お店の人の聞くと、テレビで紹介されて急に注文が増えて、入って来ないのだという。
やっぱりね。
その足で、コザ十字路方面へ。
そこには、昔、黒人街で、のちに高いアーケード(銀天)ができた商店街がある。
ところが、今ではそのアーケードの修繕もできない状態になっている。
営業している商店は数店舗。商店の数より、NPO法人の事務所や、介護施設、児童施設など、行政の補助金が出ている施設が使用している物件の方が多い。
ただ、国道330号線に面した建物の外壁には大規模な壁画が描かれていて、そこは町の歴史を記した絵巻になっている。
これはかなり壮観で、わざわざ見に行く価値がある。
とはいえ、これがあるから商店街が復興するということいはならないだろう。
だって、商店の方がやる気がないのだから。
午後5時頃、オーシャンへ。
店はすっかり片付いていた。
カウンターには昨日の出演者たち。
ヤッシーを労うとともに、自分も余韻に浸るためだろうか。
少なくとも僕はそんな気持ち。
しばらくはテーブル席で仕事。
SHOTAがやって来てしばらくした頃、僕も仕事を切り上げて、カウンターへ。
演奏で大活躍のサックスの有田が、手伝いで大活躍の奥さんを連れてやって来る。
アレンジャーでピアニストで、養豚場のオーナーでもある赤嶺ヤッシー。ベースの優誠。
昨日、カチャーシーで踊っていたおじい。(顔はよく見かけるが名前は分からない)