青島幸男、逝く

 青島幸男が亡くなった。1932年生まれの青島幸男は、僕より22歳年上。
「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」「スーダラ節」「ハイそれまでよ」「明日があるさ」「お昼のワイドショー」、彼が作品を産み出していた時代に僕の人格形成が行われたようなもので、全部同時代だ。
 テレビのテレビらしさを作った人であり、サラリーマンを世間の主役にした時代の申し子でもある。
 35歳で参議院に当選したところまで、それはテレビの力を信じた結果でもあった。
 野坂昭如とならんで青島幸男は早稲田大学の校風を具現化したような人でもあり、少しだけ上の世代で早稲田大学を謳歌した僕の父親に芯にあるメンタリティにおいてそっくりで、青島を見ていると父親を見ているような気がしていた。
 都知事になって彼がやったことも、反骨精神とサラリーマンの視点ではすでに経済も政治もやっていけないという現実離れにおいて、昔の早稲田そのものだった。これも企業に不適合で自分で事業を興して玉砕した父親を彷彿とさせる。
(そこへいくと、慶応の人は、実に現実をちゃんと見ている。福沢諭吉は偉いなあ)
 権威に対する「アンチ」が真骨頂だった早稲田の青島がテレビを作った。
 いつのまにか、テレビはテレビ自体が権威であり旧勢力になり、「小泉自民党圧勝」をまるで予想できなかったくらいに国民とは離れた存在になって、暴走を続けている。
 多数が善良であるという前提のなかで「毒」や「本音」に意味があったのに、世間の毒が平気で表に出て、それを「本音」として肯定することが当たり前になると、暴走に歯止めがかからない。
 アンチとして、やってはいけないことを「テレビの中だけで」やって視聴者が溜飲を下げていた時代が終わり、皮肉やイジメの番組が、テレビが権威になった時代には、「テレビでもやっているのだから」となんでも許されると錯覚され、テレビニュースで繰り返し報道される例外的な悪事が、「だれでもやっている」と視聴者に受け取られて、「社会の本当の姿は汚くてずるい人間が得をしている場所だ」とだけ翻訳されて疑われなくなってしまった。 テレビが少数例を取り上げ続けると、人々の心の中で、それが「ふつう」になってしまうのだ。
 青島幸男さんには、政治をやらずにずっとテレビを動かしていて欲しかった。
 早稲田精神で、ずっとテレビを権威にしないでおいて欲しかった。
 僕にとって、青島幸男のマスターピースは、渥美清主演の「泣いてたまるか」のいくつかの作品だ。
 青島幸男も岸田今日子も70代半ば。
 平均寿命が80年あるからといって、自分が何歳で死ぬのかはわからないから標準的に生きた部類の寿命だろう。
 特に長生きしたいわけではないけど、宇宙の真理がどうであろうと、自分のもっている時間は有限なのだなあ。などと当たり前のことを思った。
 小説書こう。

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