手順を学ぶ

2週間、テレビを見ていない。
なかなか思索的で悪くない暮らしだ。
たとえば意味のないノーベル賞騒ぎも耳に入らないし。(笑)
テレビがない方が精神も安定している。
(それはそうと、村上春樹があたかもノーベル文学賞の候補であるかのような風説を最初に流したのは、いったいいつだれなのだと、誰か調べたりしていないのだろうか)

十分に体が曲がらないので、ひとりで靴下を履くことができなかったが、いくらかコツをつかんで、5分くらいかければなんとか履けるようになった。
いまではなんとかひとりでシャワーを浴びることができる。
ただし、病室の狭いシャワールームでパンツを履くのがちょっと難しいので、裸になってから浴衣式の寝間着を着ていき、浴衣でもどって来て、ベッドに戻ってから下着を着けてパジャマに着替えるという手順が必要だ。

入院は遠くない将来やって来る「介護される暮らし」のよい予行演習だ。いずれにしてもこまかな工夫を重ねることは楽しい。

同室の人もそれぞれに面白い。
71歳の元神奈川県警の暴力団担当の刑事だった人は、伊勢佐木警察署にも長く居て、クセのある人だがとても面白い。お互い退院して体調がもどったら、今の黄金町をご案内することにした。

病院には wifi がないので、ふだん通りに暮らそうとすると、「ギガ」をどんどん消費するが、運よく入院直前に端末が届いた楽天モバイルが容量無制限なので助かっている。
(ただし、サービスエリアのはずなのに楽天は圏外でパートナーの au の回線なので、高速通信は5GBまで、もちろんそれはあっというまに使い切っているので、1Mbps ほどの低速に制限されている)
iCloud の同期を禁止、動画は見ない、という状態で、1日に5−8GBは必要だというデータが取れたことは今後の役に立つ。

退院の条件が揃いつつあるので、来週のどこかで退院できそうだ。
ただし、筋力体力は落ちているし、いろいろ体も自由に動かないので、当分は「臨時身障者」の状態で暮らす。これも「小説家の芸の肥やし」としては悪くないので楽しみだ。

夜、合田誠『げいさい』(文藝春秋)読了。
絵を描いてくシーンが圧巻。
その他の描写からも小説家と美術家は視点が似ていると理解した。
物語を一言でいえば青春小説なのだけど青春時代のみならず表現者は「自分とはなんぞや」ということについていつも考え続けているものなのだ。きっと。