diary

エディ・ヴァン・ヘイレン死す

今朝も1時半に目が覚めて2,3時間、調べもの。
主に手頃な4WDの車について。
ついでにカタログ請求しておく。

午前9時20分、リハビリ。順調。
院内は補助具なしで、自立歩行可。

ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレン死すの報せ。
50年以上ギターを弾いているが、そっちの方向のテクニックを磨いたことはない。
けれど、彼のギターはカッコイイし、いつか、練習してみたいと思っていた。
彼はもう遠ざからなくなったので、僕が近づくだけだ。

手術後二度目のシャワー。
歩くことはほぼ自由にできるが、体が曲がらないので、自分で靴下をはくことができない。パンツとパジャマのズボンはかろうじてはける。

すっかり仲良くなった同室の人たちも順調に回復している。
一人は慢性副鼻腔炎、一人は頸椎椎間板ヘルニア、かな。

前日、下剤を飲まなかったらお通じがなかったので、就寝前にピコスルファート・ナトリウム(下剤)を6滴服用。

人類は麺類

例によって、寝つきは良かったが午前2時過ぎに目覚めてしまい、そのままほぼ起きていた。
午前6時前にまた少し寝た模様。

執刀医の先生が来て、術後1週間の説明。
レントゲン画像問題なし。しっかりネジが打ち込まれている。
血液検査の数値のプリント。
CRP、白血球、ヘモグロビンは、順調に回復している。ただし、まだ異常値。

午前9時20分、リハビリ。
腿を上げること。足のストレッチ。

昼食に「けんちんうどん」が出て、病室内が沸き立つ。麺類は初めて。
カレーライスが恋しい。

もと製鉄所勤務の川中美幸ファンの人から「人生ごよみ」のクリアフォルダをいただく。
そこにレントゲン写真をしまう。

術後、1週間目

午前1時過ぎに目が覚めてまったく眠くないので、読書をして過ごす。
そのうちに眠くなって寝たのは何時だったか。

朝食、完食。
検温、血圧、などバイタル測定。
先生による傷口のチェック。塞がっているので、フィルムを貼った状態でシャワーを浴びて良いことに。

10時20分、一人でリハビリへ。
歩行器なしでの歩行の許可が出た。やった。
その足で、レントゲン撮影、2方向。

日曜日

昨日からパソコンを使い始めたのはいいのだが、気がつくとデータ使用量(通称「ギガ」)の残りが急激に少なくなっている。
オーバーすると、退院後に不便が生じるので、対策急務。

ちょうど退院直前にやっと届いた楽天モバイルの「300万台1年間1円で使いたい放題」をテザリングすればいい。運がいい。が、しかし、それは家に置いてある。
自宅に電話して、妻に探してもらうが見つからず。
電話を切って、ベッドに戻り、カバンを弄ったらぽろりと出てきた。
必要ないはずのものを何かの「間違いで持ってきた」のだが、結果オーライ。運がいい。

おかげさまで、僕は人生だいたい運がいい。
たくさんお金があった時期もそんなにないが、なぜかお金に困らない。

会社辞めて小説家を目指して、細々生活していると、友人から非常勤の取締役の仕事をオファーされたり、某法人の顧問の仕事が来たり。
実際に小説家デビューしたあとも、預金残高がつきそうになると、ヒット作が出て印税が入ったり。
不思議と最後のことろでお金に困らないようになっている。

コードブルー

11時すぎ、全館アナウンス「コードブルー 、ICU」
コードブルーは容体が急変して危険な状態になっている患者がいて、そこに必要な医療スタッフがいない状態を示す。

13時すぎ、二度目のコードブルー。
13時20分、三度目のコードブルー。

今日は外来診療もない土曜日なので、医療スタッフがあまりいない日。
無事だといいな。
ここは病院なのでいろいろなことがあります。

昨日帰ってきた同部屋の人たちと打ち解けて話をする。

午後、下着の替えを入手。

リハビリ 3日目

自分のサークル(歩行器)でリハビリ室へ。
ストレッチをしてから、リハビリ室内をサークルなしで3周。約70m。
病院建物内は歩行器を使ってどこへでも自分で行って良いことになった。

それにしても8階の自動販売機はずっと故障したまま。

助手さんがシャンプーしてくれた。すっきり。

蓄膿症の手術、頸椎の手術で出て行った二人が、夕方に戻ってくる。
4人目、パーキンソン病を持つ人が ICU から戻ってきて満室。
午後8時過ぎ、パーキンソン氏は誤嚥により ICU へ戻る。

リハビリ 2日目

車椅子でリハビリ室へ。
病棟のフロア内、サークルで移動する許可が出た。
というわけで、老化を行ったり来たり徘徊する。
励ますためのうそかもしれないが、手術直後にしてはよく歩けていると。
まあ、ここで「あんたはダメだ」という必要はまったくない。

「都民の日」都内の公立小中学校は休みのはず。そして天祖神社のお祭り。
記憶の中では「天祖神社のお祭りはいつも雨」だけど、今日は雨ではない。

歩いた

一般病棟。

午後3時半に、リハビリの先生が来てベッドから立ち上がる。
靴を履く。サルから人間になった。
サークル(歩行器)で立って、フロアを往復。
自立トイレの許可が出る。
さっそく用を足す。赤ん坊から大人の人間になった。

渇きとの戦い

ICUは賑やかだ。
患者と看護師医師との会話もさることながら、医療スタッフどうしも割と和気あいあいとやっている。

隣のご婦人は87歳、おむつをしていてうんちが出てしまうらしく、ナースコールをしては仕切りに申し訳なさそうにしている。その度に看護師さんが「いいんですよ、いいんですよ」となだめている。

別の看護師同士の会話。
「ドレーン浴びちゃった」
「えええええっ!」
「全部。ズボンビショビショ」
「靴は?」
「靴も結構新しいのに、もう捨てるしかないなあ」

ドレーンというのは体腔内に溜まる体液を体外に排出するために入れる管のこと。
医療の世界では自分以外の他人の体液(血液など)はうんちと同等に汚いものとして扱われているので、「ドレーン浴びちゃった」は看護師にとっては「うんこ浴びちゃった」に匹敵する意味を持つ。
常に感染の危険と背中合わせの仕事だ。

そうした様々な会話や音を聞きながら、ほぼ上を向いたまま過ごす。

手術

午前3時半には目が覚める。そこからトロトロ寝るのが病院暮らし。
6時からは水分も摂れない。
午前8時、抗生剤の点滴なのだけど、若い看護師さんでルートがうまく取れなくて時間がかかる。手術前に全量入れなくてはいけないらしく、速度をあげたら今度は顔に火照りが出て減速。
結局、8時半の予定が8時50分出発になる。
出足からいやな感じで始まる。

手術室までは歩く。
座って、まず、パジャマを脱いで、横になる。
その先はもう麻酔の中。

ICUで目覚める。
妻がやってきて、10分面会。
そのあとは、痛みもあるけど、むしろ喉の渇きとの戦いが、翌日まで続く。

時間が経つのが遅い。
前日の朝6時から水を口にしていないので、早く時間が経って飲めるようにならないかと願うばかりなのだけど、一日中、ほぼ2時間おきに時計を見ては絶望的な気持ちになる。

結局、水が飲めたのは翌29日の午前7時過ぎ。24時間以上、水を口にすることができなかった。
手術の不安よりも心理的には「死ぬかと思った」。まあ、ICUにいて脱水で死ぬことはありえないのだけど。