「国民が銃をもつ権利」を述べたアメリカ合衆国憲法修正第2条は、以下の通り。
Amendment II
A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.
修正第二条
規律のとれた人民軍は、自由な国家を守るために必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。(阿川大樹による日本語訳)
武器を持つ権利について、日本人によくある誤解は、アメリカでは「自分の身を守るために銃をもつ権利がある」のだという勘違いだ。
けれど、この条文が示しているのは、他国からの侵略や、自国の政府が国民の自由を抑圧する可能性があるから、国民が組織だってそれと戦うことができるように、国民には武器を持つ権利があるのだ、という考え方だ。
つまり、合衆国憲法の精神は、「自由国家」が武器によって守られるという考え方が基本になっている。 銃によって守る対象は個人の生命や財産ではなくて、「自由な国家(free State)」である、ということ。
いい悪いは別にして、日本人とはまったくちがう理念で武器を捉えている。
たとえば、自衛隊がクーデターを起こして軍事政権ができたら、武器をもたない国民は闘うことができないではないか、だから市民にはつねに武器を持つ権利が保障されていなければならない、というのがアメリカの憲法修正第2条の精神である。
(日本の歴史の中にも、政権維持のために「刀狩り」が行われたことがたしかにあった)
しかし、いま、自由な国家が失われる危険と、それを守るためにあるはずの武器によって、日常的に危険にさらされる個人の生命の危険と、どちらが大きいのだろうか。
多くの日本人にとって、後者の方がよっぽど危険だと思われるだろうし、僕もそう感じるのだけれど、しかし、政府が国民を抑圧する危険が本当にこれからもないのかどうか、たしかに自信がないのだ。
だからこそ、みんなに選挙に行って欲しいし、もっとまともな報道機関や、まともな野党があって欲しいと思うのだけど、どうもそのあたりがアヤシイ。
日本人は平和ボケだけじゃなくて自由ボケもしている。
(くだらない捏造で放送内容に政府が介入する機会をみずから作ってしまうテレビ局のていたらくを見てくれ)
というわけで、バージニア工科大学の乱射事件によせて、改めて考えてみた。
阿川大樹の著作は こちら です。